『映画と本の意外な関係』メグ・ライアンのサンドイッチ

2017年2月9日 印刷向け表示
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映画と本の意外な関係! (インターナショナル新書)

作者:町山 智浩
出版社:集英社インターナショナル
発売日:2017-01-12
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本書を読んで、映画とともに過ごした20代を思い出した。恋もしていた。それはまるで『紀州のドンファン』(栗下直也のレビューはこちら)のような季節だった。・・・と、そんなことを書きたかったわけではない。読後に起きた、生活の変化について書きたかったのだ。

私は、遅ればせながらAmazonプライムに登録し、スマホの通信容量をあげて、会社の行き帰りの電車の中で映画を観るようになった。小さい子供がいると家で映画を観る時間がないため、通勤電車なのである。

それは、めくるめく変化だった。いま、アメリカ社会は大きく揺れ動いている。かの国の文化への関心が、自分史上最高に高まっている時期である。行きと帰りの約1時間。2日で1本。完全に映画にハマってしまった。

これまで、ネット記事のチェックに使っていた時間が、映画鑑賞の時間に替わった。使ってなかった脳を使っている感じがする。しかも、漫然と観ていた20代とは異なる手ごたえがある。どう異なるのかを言い当てた言葉が、本書の「あとがき」にある。

映画は何の予備知識もなく観ても楽しいものですが、観終わった後、心に引っかかったことを調べるとさらに楽しさが広がります。本書に収めた『グランド・ブダペスト・ホテル』や『ベルリン・天使の詩』、『ソフィーの選択』などは、その発想の原点にある、ツヴァイク、ベンヤミン、ディキンソンの作品と人生を知ってから観ると、まったく違う映画に変わります。 ~本書「あとがき」より

御意。仰せの通り。本書を読んでから映画を観ると、著者の言わんとすることがよくわかる。本書は、22本の映画に登場する印象的な言葉を紹介し、そこに込められた意味や背景を探る内容だ。そして、映画を紹介しながら縦横にペンが走るため、読者は更に数多くの映画と出会うことができる。

「自分は映画そのものより、映画について調べる方がもっと好きなのかもしれません」と語る著者の博識ぶりは凄まじく、広く深い知識が身につく一冊だ。「好き」で書かれた文章だから、押し付けがましくなく心から楽しい。映画中毒者を量産するキケンな本。逆にいうと、人生を変える力がある本だ。まえがきで触れられている映画『華氏451』的にいえば、一刻も早く暗記しておくべき本のひとつと言える。

そんな本書の薀蓄を少し紹介したいのだが、まさによりどりみどりで、どこから手をつけたら良いか甚だ迷う。だから、これも私が「好きに」選ぶことにした。もし、皆様が「あ、軽い本だな」と感じたとしたら、軽いネタで皆様の気をひこうとした私の責任であって、本書の責任ではないことを予め断っておきたい。話は文学だけじゃなく政治や経済にも及び、本来、深い本なのだ。

本書で紹介されている映画は、新旧さまざまだ。例えば、イーサンホーク主演の『恋人たちの距離』(1995年)は、シリーズ3作目の『ビフォア・ミッドナイト』(2013年)まで18年間の歴史をたどる。後続作があったなんて知らなかった。あ~観たい!

そして、メグ・ライアン主演の『恋人たちの予感』。うわ、軽っ!と侮るなかれ、その後のロマンチックコメディの雛形になった傑作である。サンドイッチでイク、という偽オーガズムの名シーンについての記述が面白い。それを見た60代の女性が、ウエイトレスに注文する。「彼女と同じものを」。

映画『インターステラー』は、主人公の娘・マーフの本棚の移動のショットで始まる。そこには、監督自身のアイデアの原点とも思われる『5次元世界のぼうけん』や『時の矢』、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編集が並んでいて、私たちのような本の虫にひそかにウィンクを送っているという。

「007」シリーズの言葉遊びの紹介も、面白かった。プッシー・ガロア、プレンティー・オトゥール、ホリー・グッドヘッド・・・ボンドガールにへんてこな名前なのは、卑猥な言葉を文字ったものが多いからなのだそうだ。ここでは書けない言葉がほとんどなので、詳しくはぜひ本書で!

そして極めつけは、ホイットマンとディキンソン。『ソフィーの選択』『きみに読む物語』『いまを生きる』・・・本書では詩との関連において多くのセリフを読み解いていることもあって、この二人の詩人の名前が何度か登場している。

例えば、『ソフィーの選択』では、感情のままに生きるホイットマンの詩を愛する恋人ネイサンの虐待に耐えるソフィーが、自意識という牢獄に閉じこもったディキンソンの詩に出会う。そして自死した二人のベッドに置かれていたのは、ディキンソンの詩集だったのである。

『きみに読む物語』は、ホイットマンの詩を愛する労働者・ノアと、富豪の令嬢・アリーの長い愛の物語だが、その映画は「継続」と題する次のようなホイットマンの詩で締めくくられている。

何も失われたりしない
失われるはずがない
体は衰え
年老いて冷たくなり
若き日の炎は
残り火さえ去り
眼の輝きは陰ったが
必ずや再び燃え上がるのだ  

~本書「第22章 アメリカ映画の詩が聴こえる」より

親や故郷などから逃れるために、若き日、人は映画にしがみつくのかもしれない。私も、その意味で心が渇き、必死にもがいていた記憶がある。ではなぜ、いま私はこれほどまでに映画に惹かれるのだろうか。

イギリスでもアメリカでも、少数派となった富裕層(支配層)が選挙に敗れる波乱があった。本書を読んで、映画はこれまで、それ以外の層を慰めるために作られてきたように私は感じた。矛盾を抱えながら、現実にはそれを解消することができない人々のために。そこにある悲哀こそが、人々の心を揺さぶるのだ。

その社会は転覆しつつある。私はいま、そこから逃れるために、40代にもなって再度、映画にしがみついて渇きを癒しているんだと思う。映画のセリフを借りれば、古い時代の価値をひきずっている奴らはサルなのだ。いま私は、次の時代に移る準備をしようとしている。

そう嘯いて、映画にハマる自分を許しているだけなのはわかっている。映画はただただ面白いのだ。日常生活にロマンスの欠片もなくなったこの年になっても、映画は面白いものなのだ。いざ、集え。大人たちよ。どこまでも深い、映画という美しい泥沼に。その入り口は開かれた。

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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『決定版-HONZが選んだノンフィクション』発売されました!