選択できるということは途方もない利益をもたらす。そして、選択できることは好ましいことと考えられている。一方で、同時に多大な負担を強いる。人間の時間と集中力は限られており、ときに不合理な選択や行動をしでかす。すべての選択について都度立ち止まって学習することは難しく、それが楽しいとも限らない。
だから、人類は歴史を通じて様々な工夫をしてきた。ナッジ(Nudge)はその工夫の1つであり、iNcentives(インセンティブ)、Understand mappings(対応付けの理解)、Defaults (デフォルト)、Give feedback(フィードバック)、Expect error(誤ちの予見)、Structure complex choices(複雑な選択の構造化)で構成される。
例えば、人間の損失回避性を利用したインフルエンザの予防接種の例がある。
1.この秋、インフルエンザの予防接種を受ける場合は□にチェックを入れる。
2.「私はこの秋、インフルエンザの予防接種を受けます」もしくは「私はこの秋、インフルエンザの予防接種を受けません」のいずれかを選ぶ。
3.「私はこの秋、インフルエンザの予防接種を受けて感染のリスクを減らし、50ドル節約することを希望します」または「私はこの秋、インフルエンザの予防接種を受けて感染のリスクを減らし、50ドルの節約を望みません」のいずれかを選ぶ。
1より2の選択肢が、2より3の選択肢が予防接種の受ける人の割合が増えた。このように選択肢の設計を変えることで、人びとの行動が変わる。
そして、本書の主題はナッジの一つであるデフォルト(初期設定)である。デフォルトの有効性に関するよく知られた実例として臓器移植のドナーがある。ドイツでは臓器提供について、同意の選択を求められる方式を取り、その同意率は12%であった。一方で同じヨーロッパのオーストリアでは、同意しない(拒絶の)選択を求められる方式を採用しており、臓器提供の同意率99%であった。日本では運転免許証や保険証の裏面に臓器提供の意思表示ができ、ドイツ同様に同意を求められる形式である。
デフォルト・ルールは人間の行動に大きな影響を与える。そして実験や実証により有効な知見が蓄積されている現在、この有効な技術を使い、選択肢の提示によって、時間に追われる現代人を正しい選択へ導くことができる状況にある。
また、桁外れの科学技術、特に情報産業が生み出すテクノロジーの進歩の恩恵を受けられる現代では、デフォルト・ルールを自分好みにカスタマイズできるようになっている。ビッグデータの助けを借りて、自分に似た人の好みの傾向を知ることが益々簡単になり、自分のプロフィールに基づいて、本やガジェットを買うときに自分好みの選択肢を提示してくれる。
さらに一歩先に進んで、予測ショッピングに関する実験結果が本書で明らかにされている。そこで、若者世代が示した傾向は未来への予兆を表しており、Amazon Dashの先にどんな変化が待ち受けているのかがうっすらと見えてくる。このような人びとの選好にあわせた「個別化したデフォルト・ルール」はすでに私たちの生活に欠かせないものになりつつあり、今後も加速する。
一見好ましいツールのように思われるデフォルト・ルールだが、すぐにいくつかの疑問が浮かぶ。それは、どんな基準で、誰が選択肢を決めるのか、である。さらに、どんな場合に能動的な選択がよくて、デフォルト・ルールがよいのか、である。他にも選択の都度考えないようになれば誰かに操られるだけの考えられない存在になるのではないか、などなど疑問が溢れ出てくる。
そして、本書ではデフォルト・ルールの設定が問題解決に有用で、私たちの恩恵となるとぶれずに主張し、その過程であらゆる疑問に的確と答えていく。
著者はハーバード大学ロースクール教授のキャス・サンスティーンである。行動経済学者リチャード・セイラーとの共著『ナッジ』は世界的ベストセラーとなった。その後、オバマ元大統領の政権下で情報・ 規制政策担当官を務め,ナッジを実際に政府内で実践する機会を得て、多くの研究や実践を通じて発想を発展させてきた。尚、イギリス、オーストラリア,ドイツなどの国でも同様に、行動経済学の知見やナッジのアイデアを制度設計に活用する機関が設立されている。
意思決定にそっと介入され、知らないところで誘導されているという事実そのものは不愉快に感じることだが、一方で人間の能力に限界があり、すべてを能動的に選択することは非現実的である。だから、私たちは本当に関心があり、重要なことに力を注ぎ、それ以外については、選択しないという選択に委ねることが合理的である。最終章まで読めば、委ねた場合のメリットとデメリットまでも十分にわかった気分になれる。
しかし、最後までもやもやとした違和感が拭えない。その正体の一部が、クリティカルな解説で明らかになる。最後の最後まで読み応えのある一冊だ。
成毛によるレビュー