私たちは常に装っている。同じ集団の人間とみなされるための制服を、愛されるための装飾を、自分はこういう人間であるとみられるための記号を。
装うことは最大の武器だ。身を守るためにも、何かを得るためにも。 装うことを初めた最初の生き物は昆虫ではないかと思う。私たちは知らず知らずのうちに小さな昆虫たちの真似をしているのかもしれない。
昆虫と人間が似ている点は、他にもたくさんある。本書ではそんな昆虫の生態を、擬態、共生、求愛、集団行動の4つのセクションにわけて解説している。
「14歳の世渡り術」というシリーズの本書は、中学生はもちろん、小学生でも読めるような優しい語り口で紡がれる。著者は昆虫写真家として有名な海野和男さん。少しでも昆虫をかじった人ならまちがいなく聞いたことがある、昆虫好きからすればまさに神様のような存在だ。
基本的なことから丁寧に解説されているから昆虫初心者や昆虫少年にはもちろんおすすめだが、マニアが読んでも心を躍らせずにはいられない。 生態の説明の中に、著者自身が現地に赴いて見たエピソードも織り交ぜて語られているからだ。
昆虫は他の生き物と比べて圧倒的に小さい。昆虫界では捕食者であるカマキリや強そうなカブトムシだって鳥や小動物からすれば格好の獲物にすぎない。だから、昆虫は様々な方法で身を守る。ヘビやフクロウなどの捕食者や自然に溶け込むように木の葉そっくりに擬態したり、毒をもったり、死んだふりをしたり。死んだふりをすることを偽死という。海野さんはこの擬死をマレーシアで見たイッカクカマキリを例にとって説明している。
海野さんがイッカクカマキリの写真を撮ろうとして動いた時に、イッカクカマキリはぽとりと枝から落ちた。この様子を見て海野さんは興味を持つ。普通ならカマキリは敵に対して威嚇姿勢をとるのだが、この時、身を守る方法として擬死を選択したのである。そして、そのまま30分近くも死んだふりを続けた。こんなこと、図鑑でも、まずお目にかかれることはない。
驚くと微かに体を揺らすコノハムシ、刺されると飛び上がって「やられた!」と叫んでしまうほど痛いアカシアアリ、チイチイと鳴いて子供を呼び寄せるモンシデムシ……今まで標本になった姿しか知らなかった昆虫たちがぐっと身近な存在になって現れる。
シリアゲムシのオスがメスに贈り物をして交尾することは知られていても、獲物を持って翅を上げ下げするとメスが同じように翅を上げ下げして近づいてくる様子までは中々語られない。 人目を惹く特異な生態は今までにも多くの本や記事で語られてきたが、それが実際にどのように行われているかは意外と知られていないのだ。
さらに、海野さん自身の独特の昆虫観も、本書の魅力を大きく後押ししている。海野さんは昆虫の小さな背中に私たち人間の姿を重ねている。体のつくりも寿命も生き方もまるで違うように見える昆虫と人間だが、昆虫の生き方から学べるものは大きい。 私たち人間の寿命は80年から100年と昆虫に比べて随分長いように感じるが生物の歴史からみるとほんの束の間だと海野さんはいう。
たとえば、あなたが恋をしていたとしよう。
もし、告白することを悩んでいる人がいたら、昆虫の必死さを観察して欲しいです。そう、当たって砕けろの精神なんです。その様子を滑稽と笑う人がいるかもしれません。だけど、僕はその姿に深い感動を覚えます。
みなさん、恋をしたら昆虫のことを思い出してください。勇気をもってアタックするのです。ダメだったら、また次の人を探したらよいではありませんか。
かなり変わったアドバイスだが、一理あるなと笑ってしまう。 かつての昆虫少年たちは図鑑の僅かな情報に想像を膨らませ、いつかその目でその昆虫たちを見る事を夢みて、お金を稼ぐようになると昆虫採集の旅に出た。 海野さんもまだ海外旅行が自由化されてまもない頃、バイトをして貯めたお金で安い周遊券を買ってアジアを周っていたそうだ。
今は図鑑も多様化して、写真は驚くほど美しく、DVD付きのものなんかも流行っている。珍しい標本や生体もたくさん出回っているから、今の昆虫少年を取り巻く現状は昔に比べて随分恵まれていると言えるだろう。しかし、満たされている分、昆虫への欲求は薄まっているかもしれない。昆虫の魅力はやはり、昆虫の星である地球の上を自由に蠢いている時に最大限に発揮されるのだ。
私自身、昆虫に関しては「ゆとり世代」の人間であるが、そんな世代であるからこそ熱い情熱をもって地球の果てまで昆虫を追いかけなければならないと思う。 昆虫は現在見つかっているだけでも100万種。私たち人間が含まれる哺乳類の6000種と比べるとどれほど昆虫が多いかがわかるだろう。しかも、毎年3000種の新種が見つかっているため、一説には1000万種をゆうに超える昆虫がいるのではないかと言われている。たとえ、1日に100種類の昆虫を見たとしても私たち人間の誰一人として全ての昆虫を見ることはできないのだ。
海野さんは昆虫の好きなところに「多様性」を挙げている。 昆虫を知る事で、世界は何倍にも大きくなる。侮れない昆虫の多様な魅力を存分に味わってほしい。