1993年、埼玉県大里郡で起きた「埼玉県愛犬家殺人事件」。若い人は記憶がないかも知れないが、ペットショップを営む関根元と風間博子の夫妻(姓が異なるのは偽装離婚済み)が判明しているだけで客など4人を殺した事件は当時、世間を震撼させた。この事件を下敷きに、鬼才・園子温が映画『冷たい熱帯魚』を制作しているが実際の事件の残忍さはかなり抑えられている。
80年代後半のバブル期、夫妻は空前のペットブームの波に乗り、高級犬の投機で成功。財をなしたが、バブル崩壊後には設備の投資や維持費が重くのしかかり、負債だけが残った。そうした中、彼らが生み出した「ビジネスモデル」はあまりにも卑劣だ。
言葉巧みに、高級犬とはいえ、市価の100倍の値段で売り、その後に売り先の家に忍び込み、盗み出したり、殺したりしてしまう。顧客の悲しみにつけ込み、もう一度、ペットを売りつける。当然、気づく客もいるわけだが、ばれたら殺してしまう。死体を切り刻み、ぐつぐつに煮たり、自宅の庭に埋めたり。死体がないから事件は発覚しない。
関根は「俺は30人は殺している。人間の寿命は俺が決める」と嘯くが、実際に相当の人間を手にかけているのだろう。本書を読めば分かるが、気に入らないと殺してしまえばよいという発想は常人には理解しがたい。
この事件で特筆すべきは、被害者の4人の中にヤクザがいたことである。本書は腹心の子分を殺されたヤクザの元親分・高田耀山の回想記である。稲川会直参で会長秘書も務めていたヤクザの中のヤクザだ。
突如として部下が姿を消すが、如何せん死体がないから事件化しない。苛立つ親分は独自の調査を始める。
もちろん、捜査権限などないのだから手荒い。犯行仲間と思われるチンピラをさらって、関根との会話を盗聴させたり(これは後に重要な捜査資料になる)、関根を組事務所に呼び出して、「てめーがやったんだろう」と迫ったり。緊迫感が半端ない。殺してなくても「殺しました」って言いかねない。まあ、実際に殺しているんだが。
当然、警察は報復に出かねない親分を徹底マークする。身動きがとりづらくなる一方だが、警察の殺しの捜査は遅々として進まない。殺しに手を染めなかったことをヤクザの誇りとしてきた親分だが、葛藤しながら「関根殺し」を決断する。関根夫妻の身勝手な犯行におののくと同時に、暴排条例もない時代だけに、ヤクザを敵に回すってことがどれほど恐いか痛感する。
「埼玉愛犬家殺人事件、水面下で進行していたまさかの暗殺計画」と聞くと本格ノンフィクション風だが、思わず「むむむ」と唸ってしまう記述も少なくない。
「連絡がとれなくなった時、私は真っ先に関根を疑ったが、誰も信じなかった」とあるが、確かに巨漢で荒々しいだろうヤクザを一般人が殺せるとは思えない。なぜ、親分はわかったのか。自身も関根からトラやらライオンを購入したことがあるなど面識があり、出会った当初からきな臭いと感じていたらしいが、最大の理由は「チャクラが覚醒した者のみが見える眼で関根の犯行がわかったのだ」という。いきなり冒頭で「座禅と瞑想を続けたおかげで、チャクラが覚醒している」と言われても、リアクションに困るではないか。
確かに、本書の中に出てくる親分の写真は座禅姿ばかり。親分のホームページを見てみたら、なぜか「7徳の武王・織田信長」という同じタイトルの記事に溢れており、住所と携帯電話の番号まで公開している。個人情報を保護する気はゼロというか、むしろ積極的に公開している姿はまさに親分の中の親分。挙げ句の果てに、「『任侠の報告』愈々、明日発売されます」って、親分の本のタイトルは『仁義の報復』。漢字に挟まれた「の」以外、まるで違うのだが小さいことは気にしていたらヤクザ稼業はつとまらない。
瞑想ならぬ迷走の懸念を読み手に抱かせるも、警察とヤクザのやり取りや被疑者に司法取引を持ちかける検事など日本の闇もぶちまけているところは必見。かすかに漂うトンデモ系の臭いは好き嫌いが分かれそうだが、事件ノンフィクション好きとしては絶対に読むべき一冊だろう。