タイトルや副題を見ると、やや小難しそうな雰囲気だ。有斐閣の本ということで堅めな教科書のような内容を想像していた。しかしひとたびページをめくると、こんな一文が目に飛び込んでくる。
質的調査の教科書を書いてください、という依頼を受けたとき、最初に頭に浮かんだのは、マニュアルのような教科書よりも、読み物として読んで面白い本を作りたい、ということでした。
「分析や解釈できない出来事」について綴られたエッセイ『断片的なものの社会学』の著者としても知られる社会学者、岸政彦氏によって書かれたまえがきの冒頭である。本書は岸氏と2人の若手研究者が、質的調査の手法についてまとめた一冊だ。
「読み物として面白く」という狙いは宣言だけでは終わっておらず、最後まで挫折せずに面白く読み通すことができた。広い意味で社会に興味はあっても「社会学」となると小難しさを感じて敬遠しがちだったのだが、まずは本屋で社会学の棚をじっくり眺めることから始めようという気持ちになった。
質的調査とは、簡単にいえば「数字を使わない調査」のことだと書かれている。インタビューや聞き取り、歴史的資料の収集など、「質的」なデータを集めて分析する質的調査では、量的調査のような切れ味のよいクリアな知識を得ることはほとんどない。得られる知識も、あやふやな、まとまりのないものになりがちである。とはいえ、「社会学の調査が、量的調査と質的調査にそれほど単純にはっきりと分かれるとは思っていません」ともあるように、実際に調査を行う上でそこまではっきりとした区別があるわけではない。
すっきりとした答えが出ないという特徴は、質的調査の「方法」にも当てはまるという。調査の手順、データの解釈の仕方など、決まったやり方がないため、ノウハウも大雑把で感覚的なものになってくる。そもそも実際のフィールドが順序通りに進むはずもなく、また予期せぬ展開にこそ「発見」があるということもあり、無理に一般化したところで現場ではあまり役に立たない。
だからこそ、全体を通して「個人的な体験」をベースに話が進められる。調査をする中で気を付けていたポイントや苦労した点が具体的なエピソードを通して語られるので、良い意味で教科書的ではなく生き生きとしている。
フィリピン・マニラのボクシングジムに住み込んでボクサーと貧困について調査した石岡丈昇氏は、データと同様に大事にしていたのがその場の「気分」だったと書いている。電気が灯らなくなるなど身近な出来事から生じる「徐々に日常が崩壊していく恐怖」のような、その場に漂う「気分」を掴まなければ貧困を捉えたことにはならないと考えていたという。
さらには論文を書く段階でも、「気分」が執筆の方向性を左右すると言い切っている。「どのように書けば、フィールドの実像を歪めずに済むか?」、「このデータは、どのように解釈できるか?」といった論文を書く上での問題に対して、意思決定をする際の基準になるのが「気分」だというのだ。アウトプットの形がたとえ論文であれ何であれ「気分」を中心に据えるというのは一見尖ったスタンスのように見えて、自分が目の当たりにした「現実」を的確に伝える上で実はこれ以上のやり方はないのかもしれない。
女性ホームレスの生活を調査している丸山里美氏は、支援施設での住み込みボランティアでの経験について語っている。資料を参照しようと、施設の利用者には立ち入りが禁じられている職員室に何気なく入った。するとその時を境に利用者から「職員側の人間」という目で見られるようになり、たまり場に丸山氏が来ると「それまでの会話がぴたりと止む」というほど警戒されてしまったという。調査のフィールドでは「何者として振る舞うか」という難しさが常に潜んでいることが分かる。
本書ではこのような、質的調査というものに付きまとう「決まった答えはないけれど、調査の成否に関わってくる現実的な問題」について多様な視点から語られる。それはたとえば「”歴史的事実”と”一個人が語る現実”との食い違いをどう捉えるか」というものだったり、「”調査とは根本的に他者への暴力である”というそもそもの構造にどう向き合うか」といった話だったりと様々だ。
抽象的に議論すればいくらでも難解でつまらなくなりそうな話題も、エピソードを軸に実感のこもった語られ方をするので飽きさせられない。「生活史を話すのは私の人生を売り渡すのと同じだから、簡単に応じることはできない」と言われて返す言葉が出てこなかったこと。女性ホームレスに聞き取り調査をする中で「家に居候させてほしい」と打ち明けられた時の葛藤。これまで「アウトプット」のとっつきにくさから敬遠しがちだった社会学も、調査の「プロセス」に着目するとそこには生々しく手に汗握る世界が広がっているのだと気づかされた。
「想定読者」のようなものを思い浮かべるならば、やはり社会学に興味のある学生に向けて書かれた本ではあるのだろう。しかし「質的調査はじつは多くの人が多かれ少なかれすでにおこなっているのではないでしょうか」とも書かれているように、そもそもは垣根のない話なのだ。論文の書き方などいかにも教科書的な部分は流しつつ読み物として味わおうとすれば、もっと広く読まれる可能性を秘めた本だと思っている。