本書のタイトルを見て、「これはまさに自分のための本ではないか!」と思い手に取られた読者の方も多いことだろう。なかなか減らない労働時間、息つく暇もない育児や介護、なくならないサービス残業、改善しないワーク・ライフ・バランス……。メディアなどでしばしば取り上げられるこれらの問題が明示しているように、日本ほど「時間がない」と感じる人々がたくさん暮らしている国は、他にないかもしれない。
しかし、『いつも「時間がない」あなたに』という字面から、さぞや有効な時間活用術が書かれているに違いない、と期待に胸をふくらませながら本書を読み進めるのはおすすめしない。副題の「欠乏の行動経済学」が表現しているように、本書はあくまでも「欠乏」に焦点を当てた学術的内容を紹介した入門書である(実際に、原著のタイトルは欠乏を意味する Scarcity で、副題を含めて特に「時間」を強調してはいない)。時間の他にも、モノやお金などに関するさまざまな欠乏の事例が紹介されているのだ。そして、そこで明らかにされるのは、人々が欠乏を感じるときには、足りないものが何であっても似たような状態に陥ってしまう、という驚きの事実だ。時間不足を解決するためのノウハウはちりばめられていないものの、その代わりに非常にエキサイティングな学術的発見や仮説がいくつも示されている。 時間不足によって陥る典型的な状況が、他の資源の欠乏によって生じる状況となぜ似ているのか、欠乏がさらなる欠乏を招くのはなぜか、欠乏を避けるために有効な手段は何か、といった興味深い問いに対する答えが、さまざまな実験や理論とともにつまびらかにされていくのだ。
著者のセンディル・ムッライナタン教授の所属はハーバード大学経済学部、エルダー・シャフィール教授はプリンストン大学心理学部。どちらも行動経済学研究を牽引する世界的な中心地で、ムッライナタン教授の同僚には、行動経済学界の重鎮であるデヴィット・レイブソン教授やマシュー・ラビン教授が、シャフィール教授の同僚には行動経済学に関する先駆的な業績でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン名誉教授などがいる。そんな両校を代表するエース級の冠教授である2人が、経済学と心理学という分野を超えた協業から生み出した最先端の研究成果が、本書で詳しく解説される「欠乏の行動経済学」なのである。
ここで少し具体的な問題を考えてみよう。あらかじめ締切の決まっている仕事を引き受けたとき、質の高い成果を出すためにはどうすればよいだろうか。たとえば、とある書籍の解説文を2週間で書かなければいけない、という状況をイメージして欲しい。良い文章を書くために、皆さんならどうするだろうか。
本書の答えは、「締切ギリギリまで書かない」こと。締切が迫ってきて執筆時間が欠乏すると、人は自然と作業に集中することができる。そのおかげで、普段はなかなか書けないような文章が簡単に書けるようになる、という理屈だ。本当に書けるかどうかは本人の能力次第かもしれないけれど、直感的にも、集中することによって仕事の質が上がるというロジックは理解しやすい(この集中が思わぬ副作用をもたらすのであるが、それはまた後述)。私がこの戦略に従ってギリギリまでこの原稿を放置していたかどうかは、皆さんのご想像にお任せすることにしよう(笑)。
このように時間の欠乏が集中力を高める効果を、本書では「集中ボーナス」と呼んでいる。 興味深いのは、この集中ボーナスが、時間だけでなくモノやお金などの他の資源が欠乏した時にも、同じように生じるという点だ。例えば、カツカツの生活費で家計をやりくりしなければいけない一人暮らしの学生を想像して欲しい。食費を1円でも浮かせるために、この学生は安い食材や飲食店などの情報を集め、値段と味・カロリーなどのバランスを考えた食事をとるに違いない。他にも、服や飲み会にどのくらい出費するか、電車代を節約するために歩くかどうか、バイトのシフトを何時間にするか、といったお金に関する問題に対して、細かいトレードオフを意識しながら意思決定を行うことだろう。ざっくり言うと、お金が欠乏することで、お金の使い方について集中ボーナスが発生して、買い物上手になるというわけだ。経済学が想定する典型的な経済人(ホモ・エコノミクス)の姿、と形容できるかもしれない。
いま、この学生が突然、親からありあまるほど仕送りをもらえるようになったとしたら、 一体何が起こるだろうか。著者たちによれば、金銭的な視点からトレードオフを考えることがほとんどなくなるらしい。たとえば、新しい服を選ぶ際に、色やデザインは気になっても値段はほとんど気にならない。バイトをするかどうかも、時給ではなく、やりがいや職場での人間関係などを重視して決めるようになるだろう。同じ学生であっても、仕送りの金額が増えるだけで、意思決定の仕方自体がガラッと変わってしまうのだ。単に仕送りが増えたことによる所得効果によって消費パターンが変わる、というわけではなく、トレードオフを意識しなくなる・できなくなる、という点が斬新だ。本人にとって重要な資源が欠乏して集中ボーナスが生じると合理的経済人に近づき、逆に余裕があって欠乏状態にないときは合理的 経済人から遠ざかる、という発見はとても面白い。
さて、ここまでは欠乏によって生み出される、集中ボーナスというプラスの効果を紹介してきた。しかし、欠乏は当然マイナスの効果ももたらす。それが「トンネリング」と呼ばれる認知作用である。トンネルの内側のものは鮮明に見えるが、トンネルに入らない周辺のものは何も見えなくなる。「トンネル視」として知られるこの視野狭窄になぞらえて、欠乏のせいでさまざまな重要なことが意思決定の際にトンネルの外に押し出されてしまうことを、著者たちは「トンネリング」と名づけた。欠乏がもたらすマイナスの効果であるこのトンネリングは、プラスの効果である集中ボーナスの代償と考えることができる。重要な概念なので、本文からも少し引用しよう。
ひとつのことに集中するということは、ほかのことをほったらかすということだ。本やテレビ番組に夢中になりすぎて、隣にすわっている友人からの質問に気づかなかった経験は誰にでもある。集中する力は物事をシャットアウトする力でもある。欠乏は「集中」を生むと言う代わりに、欠乏は「トンネリング」を引き起こすと言うこともできる。つまり、目先の欠乏に対処することだけに、ひたすら集中するのだ。(本書49頁より)
つまり、集中ボーナスとトンネリングはコインの表裏の関係にあるのだ。あることに集中すれば別のことがおろそかになってしまうのは避けられない。それでは、このプラスとマイナスの正反対の2つの効果はどちらが強いのだろうか。著者たちは、マイナスの効果が圧倒的に強い、と警鐘を鳴らしている。欠乏に伴う集中によって脳の処理能力に大きな負荷がかかること、トンネリングによって本来重要な問題が無視されてしまうことの弊害は、集中ボーナスによるプラスを帳消しにしてなお余りあるほどだという。実際に本書の中では、トンネリングがどのような問題を引き起こすのか、数多くの(集中ボーナスと比べると遥かに多くの)実例が紹介されている。特に、さまざまな分析結果や改善策が提示されているのが貧困問題だ。
貧困に苦しむ低所得者層は、お金が欠乏しているため日々の家計のやりくりに集中せざるを得ない。常に頭がお金の問題に支配されているので、それ以外の問題に対する処理能力が大きく落ちる。特に、貯蓄や教育といった、貧困から抜け出すために必要となる長期の事柄が、トンネリングによってシャットアウトされてしまう。結果的に、欠乏が将来のさらなる欠乏を招くこととなる。こうして、借金を繰り返し、将来への投資がおろそかになり、なかなか貧困から脱出できない、という貧困の罠に陥ってしまうのだ。低所得者層がこの罠から逃れられないのは、彼らが生まれながらにして近視眼的であったり、能力が劣っていたりするわけではなく(仮にそうだったとしても、それだけが原因とは限らず)、貧困に陥っていること自体が欠乏を招き、トンネリングを引き起こしているからなのだ。
「トンネルを抜けると、そこは次のトンネルの入り口だった」(意味がわからない方は「川端康成 雪国」で検索すべし)という状況から抜け出さない限り、欠乏・貧困の罠からは逃れられないのである。これは、効果的な貧困対策を考えるうえでも、極めて重要な知見ではないだろうか。欠乏状態に陥らないためのゆとり・遊びを本書では「スラック」と呼んでいる。もしトンネリングが諸悪の根源なのであれば、そもそも欠乏をできるだけ起こしにくくするために、効果的にスラックを与えるような政策が有効だろう。たとえば、低所得者層向けの補助金や生活保護費などを支給する際に、1回にまとめてたくさん払うのではなく、できるだけ支給のタイミングを分散して回数を増やす、という方法が考えられる。
政府だけでなく、個人や組織レベルでも、できるだけスラックを持たせるように仕組みを工夫することによって、平均的なパフォーマンスを引き上げることができるかもしれない。
たとえば、昨今のワーク・ライフ・バランス改善の動きに沿って、長時間労働の是正を行った企業や部署の中から、(時間あたりではなくトータルの)生産性が大きく向上したケースも報告されている。労働時間が減って業績が改善する、というのは少し不思議な気がするが、 ひょっとすると、時間に追われてトンネリングを起こしていた個人やチームが、欠乏から解放されて一気に生産的になった結果なのかもしれない。
こう考えると、本書が打ち立てた欠乏の行動経済学は、日本社会においてもさまざまな形で応用できる知見を含んでいることが窺える。特に、「時間がない」と自覚している多くの 日本人にとって、いかに日々の生活の中にスラックを潜り込ませトンネリングを避けることができるかは、長い目で見た生産性を決定的に左右する要素と言えるだろう(たまには締切間近の集中ボーナスに頼ることも有効かもしれないけれど)。本書のアイデアからヒントを得て、欠乏を感じなくなる、つまり欠乏が欠乏するような生産的な日々をぜひ多くの方に送って頂きたい。
最後に、著者たちからの警告を紹介したい。
人はトンネリングを起こすと、ほかのことを完全にほったらかす場合がある。(本書60頁より)
今回の解説記事執筆によってトンネリングを起こし、私もまさに身をもってこの効果の恐ろしさを実感した。妻の誕生日を忘れてしまったことを猛省しつつ、筆を擱くことにしたい。
皆さんも、トンネリングにはくれぐれもご用心!
2016年12月 大阪大学大学院経済学研究科准教授 安田 洋祐