学生時代からメキシコの貧困層の生活改善運動を研究しストリートチルドレンを見守り続けてきた、フリージャーナリスト工藤律子は2014年に気になるニュースを目にする。近年、中米からアメリカに不法入国する少年たちが増加しているという内容だった。記事によると、単独で国境を越えようとして米・国境警備隊に拘束された未成年5万2000人のうち、75%以上がホンジュラス、グアテマラ、エルサルバドル出身者である。彼らがアメリカを目指す理由は「人道的見地」が必要なケースが多くアメリカを悩ませているという。
少年たちは地域を支配するギャングの暴力から逃れるために危険を冒してもアメリカを目指しているのだ。興味を持った著者は自らの活動の拠点であるメキシコのNGOに依頼し、ギャングから逃れメキシコに不法入国した少年にインタビューを行う。それが「マラス」と呼ばれるギャングたちを追う取材の始まりとなる。
マラスと呼ばれるストリートギャング(本書では「若者ギャング」という呼称が使われている)とはどのような集団なのか。実は中南米出身のギャング団はアメリカのロサンゼルスが発祥地だ。アメリカに移住したヒスパニック系の若者たちで構成されており、メキシコ移民が中心のチカーノ系ギャング団を初め、様々な国の移民が入り混じるバリオ18(18ストリートギャング)などが勇名だ。
これらのギャング団の中でも最大かつ最悪なギャング団が「マラス」の語源ともなったマラ・サルバトゥルーチャ、通称「MS13」だ。本拠地の米国で1万人とも2万人ともいわれる構成員がおり、世界全体では10万人を超える構成員が存在すると目されている。近年ではヨーロッパでも存在が確認されている、世界でも有数のギャング組織のひとつである。特に中米で大きな勢力を誇っている。
ギャング団は密売、殺人、誘拐ビジネス、武器の密輸から売春までと、ありとあらゆる凶悪犯罪を手がける。組織は軍隊並みの厳しい階級制度で支配されており、小学生くらいの年齢の子供たちが行う見張り役から始まり、中学生くらいの年齢でみかじめ料の徴収を行う役目をこなす。この段階ではまだ準構成員である。正式のメンバーになるためには人を一人殺害するという試験をパスしなければならない。つまり正規のメンバーはほぼ全て殺人経験者である。また足抜けは許されず、ギャングを抜けようとすれば死の制裁が必ず待っている。
80年代から92年まで続いたエルサルバドルの内戦から逃れてきた移民が大勢ロサンゼルスに定住し始めた頃から、米国内のギャング抗争が激化し、市民を巻き込んだ凶悪犯罪が悪化の一途をたどる。業を煮やした米国政府は犯罪歴のある移民を強制送還するという政策実施する。強制送還されたギャングのメンバーは自国で所属していたギャング団支部を設立するが、極貧層が多い中米のスラムでギャング団は燎原に放った火のごとく瞬く間に広がってしまった。
ギャング文化は世界中の若者を魅了している。ダボダボのTシャツとジーパンを身につけ、最新のスニーカーを履き、独特のハンドサインでポーズをとる。ラップミュージックと全身に入れたタトゥー、そして改造した旧型のアメ車を乗り回すスタイルはクールで刺激的だ。世界中の都市で問題になっている壁の落書きなどもこのギャング文化の一つだ。これらのスタイルは日本でも浸透しており石田衣良の著作『池袋ウエストゲートパーク』で描かれている。ドラマ化もされているので知っている人も多いであろう。
<参考動画 You Tubeの公式ページより。ヒスパニック系のギャングスタラップは世界中で若者を魅了している。>
マラスの脅威に怯える中米の国々の中で著者が取材対象にした国はホンジュラスだ。日本の三分の一弱の国土に810万人の国民が住むこの国は2010年以来5年続けて「人口10万人あたりの殺人事件発生件数世界一」という治安の悪い国である。
彼らがギャングの世界に足を踏み入れる事になる最大の理由は貧困と家庭の崩壊だ。ホンジュラスのスラムでは厳しい極貧の生活を余儀なくされている人々がほとんどで、子供たちの親は麻薬や酒に溺れるか、不法移民としてアメリカに出稼ぎに出ており、躾も教育もままならない家庭で育っている。
このような環境論を述べると「本人の努力不足」という声が必ず出てくる。日本の場合でそのような一面もあるかもしれないが、ホンジュラスの貧困レベルと腐敗した社会システムは努力が実を結ぶ事を許さないレベルにある。努力して大学を卒業しても、コネや賄賂がまかり通る中米の国々では、スラム出身者に満足のいく仕事が回ってくるのは稀なのだ。幼少の頃より社会の不平等にどっぷりとつかっているスラムの少年たちが目指す道はおのずと限られてくる。その中でもっとも彼らを惹きつける道がギャングなのである。
元ギャングのアンドレスのインタビューを読めば少年たちがギャングに憧れる理由がわかる。スラムで育ち親からも社会から顧みられることのなかった少年が、ギャングのメンバーになった途端に大人たちから畏怖、尊敬されるのである。
暴力による尊敬など所詮はまがい物だと著者は指摘するが、一方で親に愛される事もなく、社会からも差別を受けてきた少年たちは傷つき、アイデンティティを喪失しているとも指摘する。たとえまがい物の尊敬でもギャングが与えてくれる力と帰属意識が少年たちには輝いて見えるのだ。
さらに金だ。国民平均年収が30万円ほどのこの国で15歳のアンドレス少年は週に1万4千円以上の金を稼いでいたという。その金で遊び歩き痛快な毎日を送っていたという。ただし、それは毎日のように起こる殺人(仲間の少年が、殺した敵のメンバーの死体をバラバラに解体していることもあったという)といつ自分が殺されるかもしれないという恐怖と隣りあわせの日々でもあった。
このような状況でホンジュラス政府はどのような対ギャング政策を取っているのか。それは力による弾圧だ。スラムの少年たちは刺青をしているというだけの理由で逮捕されてしまう。治安機関の人間による少年への暴行も頻発しているという。ギャングの更生を支援するNGO「JHA-JA」のリーダーであるジェニファーはギャングよりも警察の方が恐ろしいという。ギャングを支援する彼女の元には頻繁に警察関係者と見られる人物から脅迫の電話がかかってくるのだ。
また、警察の支援を受けた「死の部隊」という民兵組織が頻繁にギャングメンバーを誘拐、拷問、殺害しているという。著者はこのような政策はギャング問題の解決にならないと指摘する。実際に最近では警察の弾圧を受けたマラスがメキシコなどの麻薬カルテルと手を結び、さらに凶悪化しているという。
貧困とチャンスの欠如した社会がいかに私たちにとって有害であるかを本書は見事に浮き彫りにしている。これは、私たち日本人にとっても重要なテーマであろう。日本の青少年がここまで凶悪な組織犯罪を起こさないのは、日本人が生まれつき善良だからという理由ではないはずだ。私たち日本人はある程度、公正な社会に生きており、努力さえすればチャンスが与えられると信じる事ができる。だからこそ前を見て進んでいく事ができるのだ。このような社会システムを維持する努力を怠ったときホンジュラスの状況は対岸の火事ではなくなる。子供たちの姿こそ、その社会を映す鏡である事を改めて思い知らされた。