著者は米国コネチカット州にあるコネチカット・カレッジという教養大学の生物学教授である。カレッジのある町は北海道の函館くらいの緯度にあたり、ニューヨーク市から東方に車で三時間くらいのところにある。 第1章にあるように、現地の落葉樹林を訪れてみると、太平洋を隔ててはるかかなたにあるのに、似たような緯度にある北海道南部の落葉樹林に実によく似ている。
また本文にあるように、教授は日本を数回訪れて、特に京都には半年程度ずつ滞在していたので、その折に自然地域や文化的な場所も含めて、日本の各地を実際に訪問している。専門の鳥類学分野では、森林の分断化で鳥類が悪影響を被ることをいち早く察知して警鐘を鳴らした一人であり、『サイエンス』誌(1995年)にも寄稿している保全生物学的見地に立つ研究者である。
本書の醍醐味は何といっても、著者の視野の広さだろう。落葉樹林を切り口にして、中生代からの森林生態系の進化史を論じるという時間的広がりもさることながら、人間社会からの影響などを、3つの大陸にあてはめて論じるという空間的広がりも実に壮大である。中生代の森は磨りガラスを通してみるように不鮮明で、登場する分類群も科や属のレベルに留まるが、現代に近づくにつれて記述が鮮明になってくる様子が研究の進み方を表しているようで興味深い。現代の森では樹種や生息する動物種、さらに亜種なども見えてくる。さらには病原体などのミクロの生物の世界まで入り込んで森を見るという体験も一種の壮大さを感じさせる。
また、各地で同時的に発生しているシカなどの大型草食獣による喫食や、在来種を脅かす侵略的外来種とその移入を促している人間社会の問題など、森林保全上の大きなテーマをよく一冊の著書の中に組み込んだと感心する。そして、結論としては、別々の地域の文化の中に発達してきた多様な知恵を互いに学びあい、世界の 落葉樹林を保全していこうという積極的な提案がなされている。深刻なテーマが続く中で、こうした未来志向のある視点に触れると、森林の保全活動に光明が差してくるようで、心の救いを得られる気がする。
前著書の『鳥たちに明日はあるか 景観生態学に学ぶ自然保護』(文一総合出版、2003年)では、生態系を森林や低木林、草原など鳥類の生息環境ごとに分けて論じ、その成立過程を考慮しながら、健全な機能 を保全するための対応策を個別に説いていた。本書でも、落葉樹林や鳥類の保全策はそれぞれが抱える問題ごとに異なるので、細やかに対応する必要があることを力説している。例えば、シカによる喫食で森林が衰退する事態は世界中の森で問題になっているが、その森林の規模や周辺の環境ごとに対応が異なるという可能性は示唆に富んでいる。
日本に暮らしてその文化に浸っていると、自然を見る見方が他の文化の人々と同じかどうか、あまり考えることがないかもしれない。しかし、自国の文化に特有な自然観は、自然の生態系が健全さを失いかけたとき、 それを保全するためには知っておくべき重要な背景である。その意味で、日本人の自然観が比較的に抽象的であることや、自然の中であってもネイチャーセンターが設えられており、縁側から庭園美を楽しむのと似たような観察の仕方をするという指摘に、目からうろこが落ちた思いがした。言い換えると、日本人の自然の楽しみ方は、積極的に自然の中に入って楽しむよりもその外から眺めて楽しむことで自然を体験したと感じているということだ。
現代の特に都会人は、バーチャルな世界に浸る機会は増えたが、その反対に本物の自然を体験する機会はますます少なくなっている。一方、自然を研究対象にしている研究者でも、研究分野が専門化してくるにつれて、自身の研究分野の狭い範囲だけを切り取って見ることが多くなっている。これから先、日本人の自然体験の仕方は変わっていくのだろうか? また、そうなると日本の自然を保全するときには、どのような視点の転換が必要になるのだろうか?
本書の著者は研究者であるとともに、熱心なバードウォッチャーでナチュラリストなので、実体験をとても重視している。例えば、本書に登場する西ヨーロッパや日本、北米などの各地の森の様子をとてもリアルに表現しているので、実際に読者も森の中を散策しているかのような気持ちになる。特に、中生代に恐竜が闊歩していた森を散策するイメージなどは、本書を読んで初めて味わった感覚である。
また、最新の研究の結果は、往々にして、学術用語が満載の研究論文で発表されるだけで、一般人に感覚的にわかりやすい形で提示されることは多くない。そんな中で、「梢の若芽が芽吹き始めた」というように私たちが森の中を歩いているときに感覚的に捉えられる現象を、「外来寄生生物の除去実験が成功した」という最新の研究結果と照らし合わせて説明してくれるような配慮はありがたい。このように時空間を超えて、各地の多様な森を研究者の案内付きで散策できるのは、めったにない体験と言えるだろう。実際に森へ出かけて、森の複雑さや多様さを味わい、ご自身なりの宝物探しをしてみていただきたい。