小雨降る冬の日、空腹を満たすために凍える外気にその身をさらす必要はない。ネットでピザをオーダーすれば、数十分で熱々のチーズがあなたの口元にやってくる。ピザが届くまでの数十分も、お気に入りのコーヒー豆で淹れた一杯があれば苦痛ではない。世界中のあらゆる動画や脳を刺激するゲームを与えてくれるスマートフォンが手元にあるのだから、暇を持て余すことなどない。ネットで買えるものより、ネットで買えない物を探す方が難しく感じる現代においては、50年前の人なら想像すら難しかったような贅沢が、部屋から一歩も出ることなく手に入る。
電子で繋がりあう21世紀には、物質の移動が重要性を失っているかのように錯覚するかもしれないが、もちろんそうではない。むしろ、わたしたちの生活はより多くの物の、より長い距離の移動に依存している。コーヒー豆はエチオピアからの長旅の末にあなたの部屋に辿り着いたのであり、30分で届けられたピザは配達員の努力だけでなく、ドミノ・ピザ社が構築したグローバルなサプライチェーンの成果である。極めつけはスマホだ。世界中からかき集められた原材料が部品となり、iPhoneとして組み立てられ、iPhoneそのものがあなたの手中にたどり着くまでの距離を合計すれば40万km近くになる。あなた自身が部屋に閉じこもっていたとしても、あなたの回りはとてつもない速さで移動を続けている。
本書は、現在の世界がどのような「移動」のもとに成り立っているのかを徹底的に掘り下げることで、「移動」の未来がどうなるのかを教えてくれる。ピュリッツァー賞を受賞したジャーナリストである著者は、車や船、飛行機などによる移動・輸送の現場がどのように変化しながらこの社会を作り上げるに至ったのかを、移動の現場で活躍する人々の姿とともに教えてくれる。多くの人が聞いたこともないであろう「港湾水先人」という職業の人々がいなければ、中国が世界の工場と呼ばれることもなかったかもしれない。その年収が3,000万円~5,000万円にも及ぶ港湾水先人は、海運業界の精鋭集団であり、安全な物流に欠かすことはできない。本書には港湾水先人のような、グローバルな移動を支える縁の下の力持ちも数多く登場する。
国際貿易の歴史を考えるとき、コンテナの重要性を忘れることはできない。コンテナの発明は、貿易の全てを変えてしまったと言っても過言ではない。統一基準でつくられ、積み重ねが可能な金属製のコンテナが誕生するまで、港での揚げ積みは何千年もの間、基本的には同じ方法で行われていたのだ。荷物の揚げ積みだけで10日間かかることも珍しくなく、海外からの輸入品には価格の1/4以上のコストが上乗せされていた。膨大な時間とコストという大量輸送の障壁をコンテナが取り払った時、グローバルな物質の移動は加速の一途をたどることを運命付けられた。
コンテナの誕生がもたらしたものは、輸送時間の短縮やコストの削減にとどまらない。コンテナ輸送は、企業間の競争環境を一変させ、生産拠点の海外移転という新たなトレンドを作り出した。消費地と生産地が近接する必然性はなくなったのである。そして、全てを自社内で行うことによる輸送コストの削減をもたらした垂直統合は、国境を超えて世界中から最も優れた最も安い製品を調達する水平分業型に取って代わられた。家電市場に君臨していたアメリカ企業をその座から追い落とし、日本企業の勃興をもたらしたのは、コンテナ革命がもたらしたグローバリゼーションであったともいえる。本書で語られる移動の未来が、自社のポジションや、自身の生活をどう変えていくのか想像しながら読み進めると、新たな世界に胸が高鳴るはずだ。
最も身近な移動手段である車についても多角的に語られ、多くの紙面が割かれている。ハイブリッド車や電気自動車など進化を続ける車にも、実は多くの非合理が残されている。例えば、車は平均すると一日の内22時間は使われることがない。また、標準的な車幅が約1.8メートルなのは工学的に有利だからではなく、2頭立ての馬車のサイズに由来している。何より見過ごすことができないのは自動車事故によって多くの命が失われていることであり、その事故に対する罰則が軽過ぎることだ。2014年のウォールストリート・ジャーナル紙の調査によると、ニューヨーク市で発生した交通死亡事故の95%は起訴に至らなかったという。近年一躍注目を浴びている自動運転車は車を新たな次元へ導くのか、著者はGoogleや学者へのインタビューを交えながら追求していく。
グローバルな移動によって日々の生活の便利さは向上し続けているが、移動の爆発的増加は限界に近づいている。移動を支えるインフラは多くの場所で悲鳴を上げ始めているにも関わらず、増え続ける世界の人口が、より多くの移動を求めているからだ。移動の未来はわたしたちの未来そのものであり、より良い未来のために、わたしたちは新たなアイディアを生み出さなければならない。本書は移動の未来を少しでも良いものにするためのヒントが詰め込まれている。
20世紀最大の発明とも言われるコンテナはどのように誕生し、世界を変えたのか。一人の男が画期的なアイディアをもとに文字通り世界を変えていく過程は、どんな映画よりもドラマチックだ。
戦争における兵站の重要性は誰もが知るところであるが、本書は湾岸戦争でロジスティクスディレクターを務めた著者がその現場がどのようなものなのかを教えてくれる。
現在の移動に欠かすことのできない飛行機技術の歴史がその誕生の瞬間から丁寧に語られる。多くのデータが付されており、技術がどのように進化していくかを知ることもできる。レビューはこちら。