わが家でも、「選択」を定期購読しているが、シリーズ「日本のサンクチュアリ」を毎回読んでいるわけではない。そこでこの機会に、改めて聖域に足を踏み込んでみると、自らの経験と照らして、思い当たる節のある聖域がいくつか目についた。いずれもしばらく前に書かれた記事だが、最近になって、それらの聖域には新しい動きが出ている。それは、何年かたったくらいでは、賞味期限の切れないようなテーマが、聖域の対象として選ばれてきた証だろう。
2016年の夏は、ネタ涸れを感じさせない夏だった。まずは、舛添前東京都知事の政治資金をめぐる問題で、ザル法と言われる政治資金規正法の網をくぐり抜けた舛添氏が、「違法性はないが不適切」という、世論の網に絡めとられて、辞任に追い込まれた。その後行われた都知事選挙で、突如脚光を浴びたのが、これまでは都民の目に触れることもなかった自民党東京都連で、ついには、「都連のドン」と呼ばれる人物にまで、都民の関心が向くことになった。
その自民党東京都連を、ブラックボックスと呼び、闇に埋もれた利権の構造を暴くと訴えて、見事知事の座を射止めたのが小池百合子氏だった。それを思うと、実に先見性のあるテーマ設定だったと感心をしながら、「自民党東京都連 党本部も手を出せぬ『利権の伏魔殿』」と題した記事を読んでみた。すると、聖域の広さに違いはあっても、その構造は、全国どこの自治体でもあまり変わりのないことに気がついた。
「指名競争入札であれば、指名業者に入れるように(中略)担当者にねじ込む(都議会関係者)」といったくだりを読むと、多くの読者は、力技で役所をねじ伏せて、業者から裏金を受け取る議員の姿を思い浮かべるだろう。だが、構造はそれほど簡単なものではない。というのも、一定の基準で定めた指名業者の枠を、正当な理由もなく広げることには、職務権限を負った自治体の職員もかなりのリスクを感じるからだ。
当然、議員の側もそのリスクを知っているので、いきなり個別の企業の名をあげて、指名に入れろと働きかけるわけではない。「今回の施工には、環境対策の技術が必要だし、地元への経済効果も考えないといけない」などと持ちかけて、意中の企業に参加の資格が与えられるよう、暗に迫るのだ。そんな時、手慣れた職員なら、議員の意中の企業が指名に参加できるよう、発注の仕様書に手心を加えてくれる。そこには、知事にも見えないブラックボックスがある。
議会と知事との間には、もう一つ、世間にはあまり知られていない力関係がある。それは、知事の提案した人事案件を、人質案件に変えてしまうという荒業だ。どういう意味かというと、副知事など、首長の片腕になる特別職を選任するには、議会の同意が必要だ。このため、議会の多数派をまとめる力のあるドンは、人事案件を認める代わりに我々の言うことを聞け、さもないと副知事人事には同意をしないと、「人事」を「人質」にとってしまうのだ。
「都連のドン」の武勇伝の中にも、「猪瀬氏の副知事就任に反対した」自民党都議団に対して知事側が、「猪瀬氏が特定の所管を持たないという条件で同意を取り付けた」との記述があるが、副知事人事を人質に、何らかのやり取りがあったことは想像に難くない。
加えて、東京都の一般会計予算は、「中規模国の国家予算にも匹敵する」から、予算の割り振りを実質的に差配する、多数会派を牛耳るドンは、ますますその力を強めることになる。築地市場の豊洲への移転をはじめ、2020年の東京オリンピックに向けて、莫大な資金が動く東京で、小池知事はどう立ち振る舞うのか、日本の聖域「自民党東京都連」に目を通すと、東京問題への興味と関心は倍増してくる。
小池知事が就任した三日ほど後に、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで、オリンピックが始まった。日本選手の大活躍もあって大いに盛り上がったが、オリンピック旗が東京に引き継がれたことで、次なる聖域、「スポーツマフィア 電通」の活動が本格化する。
この聖域は、国体を主催するもう一つの聖域、「日本体育協会」と境を接しているが、高知県知事の時代に国体には手を焼いた。知事になって間もない頃、さしたる疑問も抱かないまま、高知国体の開催に手をあげたが、開催年の2002年が近づくにつれて、国体はとんでもない仕掛けだと気付くようになった。
国体の開催にあたって日本体育協会は、聖域と呼ぶにふさわしい殿様ぶりで、開催県の知事は、東京の本部に出かけて開催の決定をお願いするのだが、各競技団体の上から目線も、同じ様なものだった。国体の開催規則を盾に、競技会場の改修を指示してくるのだ。例えば、県内の射撃場は、開催規則に照らすと、陽の光の差し込む角度がずれているので、射撃場の位置を変えてほしいとか、室内球技のコートのラインと体育館の壁との距離が、開催規則の定めより短いので、体育館を全面改修してほしいと、当たり前のように言ってくる。
安全上の問題があるのならともかく、その心配がなければ、後は競技の公平性が保たれれば十分だ。それなのに、規則だからと言って、多額の予算のかかる改修を平然と求めてくる、こんなことが、長年繰り返されてきたのかと唖然とした。と同時に、こんなことをいつまでも続けさせてはいけないと、彼らの聖域にも切り込んだ。
日本の聖域「日本体育協会」には、「まだ使用に堪える用具や判定道具一式があるにもかかわらず、新規に数百万円で購入した」事例が紹介されていて、「競技団体と、用具メーカーや納入業者はべったり。国体を口実に、中央競技団体からの要請もあって、新調させるのだろう」との解説がつけられていた。さもありなんと腹が立つが、さらに、何とかならないかと感じたのが、開会式に消える多額の企画・運営費だった。まさに大手広告代理店の聖域で、「電通でなければ五輪が動かせない」のと同じような常識が、全国の国体に受け継がれている。
リオオリンピックの後半戦では、バドミントン女子ダブルスの高橋・松友ペアが、この競技では日本人として初めての金メダルを獲得した。バドミントンは、あのオグシオペアの活躍で、企業からの協賛金を得やすいスポーツ団体になったため、国際試合への派遣など、選手の強化に資金を回せるようになったという。それが、今回の金メダルにつながったわけだが、その副作用として、男子の有力選手二人が裏カジノへの出入りを認めて、所属企業から解雇・出勤停止処分を受けるというスキャンダルも起きた。
こうした集金構造について、日本の聖域「スポーツマフィア 電通」が指摘しているのが、JOCのシンボルアスリート制度だ。「これは五輪でメダル獲得が期待される選手の肖像権を、JOCに4年間で6億円支払うスポンサーが優先して使える制度」で、表向きは、マイナー競技の選手にも、安定的な収入をもたらすために作られたと説明されているが、実態は、「トップアスリートを電通が囲い込み、広告まで作ろうという制度(スポーツメーカー関係者)」だと、喝破されている。
オリンピックは、我々を、ひと時の興奮の中にいざなってくれる。そんなオリンピックの持つ魔力を実感した後だけに、日本の聖域に描かれた「電通によるスポーツ界支配の功罪」を、見極める目の大切さを感じさせられた。
そのオリンピックのさ中、言外に生前退位のご意向をにじませた、天皇のお気持ち表明の映像が公表された。象徴天皇には、宮中祭祀から幅広い公務まで、なすべきことが数多くある。それを全うできるだけの気力と体力を備えている者が、象徴天皇の座にあるべきだ。にもかかわらず、天皇が高齢になった時には、象徴としての行為を限りなく減らしていけばいいというのでは、問題の解決にはならないというのが、天皇のお気持ちだった。
日本の聖域「東宮」には、2012年に、天皇が心臓のバイパス手術を受けた後、「天皇、皇太子、秋篠宮が宮内庁長官を交えて意見交換する『三者会談』が、定例的にもたれるようになった」と記されている。お気持ちの中で語られた、象徴天皇の心得はもとより、このままでは将来、秋篠宮悠仁親王が、男子皇族として一人取り残される現実を踏まえて、女性宮家の創設や女性天皇の可能性にまで、話は及んだのかもしれない。
天皇のお気持ちの中にも、東宮家をはじめとするご家族への思いが込められていた。天皇の終焉にあたっては、長い悔やみの儀式と葬儀が続く中、新時代に伴う諸行事が同時に進むため、「とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません」というくだりだ。聞きようによっては、法の定めに従って、天皇の崩御を待って皇位を継承したら、皇太子妃がその状況に堪えられないのではないかとの、心配りとも受け取れる。
皇太子や愛子さまとの縁から、長くお仕えするだろうと思われていた職員が、早々に東宮を去った。皇太子が子供の頃、七夕の短冊に「ふるえたて」と書いたことを紹介して、これは、寄る年波で震える私の「震えた手」にかけて、病や年齢に負けずに「奮い立て」と励まして下さったのですよ、とNHK記者時代の私に話してくれたような、思いを持った職員が、離れてはいないかと心配になる。
だが、どんなに憂えても、時代の歯車は確実に回っていく。適応障害と診断されている皇太子妃も、いつかは皇后になる日がやってくる。そうした中で、より良い道を模索してきた天皇に、「東宮」の人々はどうこたえるのか、いつまでも聖域に閉じこもってはいられない。
このシリーズに取り上げられた聖域は、それぞれ個別の聖域だが、政界、官界、財界、学界などを媒体に、互いに絡み合っている。平たく言えば、天皇の生前退位は、東京オリンピックの元号に関わり、東京オリンピックでのメダルへの期待は、スポーツのビッグビジネス化を促す、そしてそのビジネスを仕切ろうと、政治家がうごめくという構図だ。
読者の皆さんは、それぞれの聖域の根深さと同時に、聖域どうしの絡み合いにも目を向けると、さらに読みごたえが増すだろう。
(平成28年8月、ニュースキャスター)