レストランというのは、単に外で美味しい物を食べる場所だとだけ理解している人がいるかも知れないが、この本を読むとそれはレストランの役割のほんの一部に過ぎないことに気付かされる。レストランというのは、地域の食文化を形作り、それを人々のアイデンティティにまで昇華させていく強い力を持っているのである。
自分が料理好きだということと、その昔、ボストンに住んでいたことから、気になって早速この『Dining Out in Boston: A Culinary History』を読んでみた。
ボストンの料理は、とにかく高カロリーなものが多い。普通に朝昼晩と三食食べていたら、瞬く間に激太りすること請け合いである。この中に、日本では余り馴染みがない料理ではあるが、インディアン・プディングというものがある。 11月第4木曜日の感謝祭(Thanksgiving Day)に、ターキー(七面鳥)と一緒に食べるデザートである。
そもそも感謝祭は、1620年12月21日にイギリスからメイフラワー号に乗ってプリマス(マサチューセッツ州)に上陸した清教徒(ピルグリム・ファーザーズ)の最初の収穫を記念した行事に始まると言われている。
イギリスから持ち込んだ作物の種子が土地に合わずに多くの餓死者が出た時、ネイティヴアメリカン(昔で言うインディアン)は、ピルグリム・ファーザーズたちにこの極寒の地で生き抜く方法や、トウモロコシなどの食べられる物を教えた。その感謝を表す意味で先住民を招いて収穫を祝う宴会を開いたのが感謝祭の始まりである。
インディアン・プディングはその時にデザートとして作られたものだと言われており、当然、そこにはコーンミール(乾燥させたトウモロコシを挽いて粉にしたもの)が入る。料理方法としては、まず鍋で牛乳と一緒に煮立て、そこに卵、糖蜜、砂糖、スパイス類を加え、オーブンに入れる前に牛乳をかけて焼くのが伝統なものである。
その他、ボストンの代表的な料理としては、ニューイングランド・クラムチャウダーがある。今のクラムチャウダーには、トマト味など様々な種類があるが、ニューイングランド風のオリジナルは、牛乳をベースとした白いクリームスープで、ボストン・クラムチャウダーとも呼ばれている。
材料は、チェリーストーン・クラム(ホンビノスガイ)の剥身、タマネギ、ジャガイモ、セロリなどだが、それ以外にも色々なレシピが存在していて、要は好みの物を入れてクリームスープを作れば良いということである。そこに砕いたクラッカーを入れて(小分けにされて袋に入っているものは、袋ごと手で思いっ切り握りつぶす)、熱々の内に食べるというのが作法である。
自分もボストンに行って初めて見たのだが、アメリカ東海岸原産のチェリーストーン・クラムは、ハマグリとほぼ同じような食感で、色はその名の通り桜色をしている。日本ではハマグリは生では食べないと思うが、チェリーストーンは生で供され、個人的にはオイスター(牡蠣)より好みだった。
日本名の「ホンビノスガイ」というのは、これが日本産の「ビノスガイ」の仲間で、一番先に新種として発表されたため、「本」を付け加えたとされている。「ビノス」の名は、ギリシャ神話の愛と美の女神・ビーナスから取った「Venus」が属名であったためで、それほど身が綺麗な色をしていると思って頂きたい。
ロブスターもボストンで有名な食材である。日本にも「レッドロブスター」というレストランがあり、以前六本木にあった店はオシャレなカップルで溢れていた。今ではロブスターも高級食材として扱われているが、実はボストンでは肉を買えない貧しい人々が肉の代わりのタンパク源として食べていたもので、開拓時代は刑務所の収監者に出されていたらしい。今になってみれば、何とも贅沢な話ではあるが。
ボストンで老舗のレストランとして有名なのが、本書に登場する「ユニオン・オイスター・ハウス」(Union Oyster House )である。1826年にオープンしたボストン最古のシーフードレストランで、元アメリカ大統領のジョン.F.ケネディがマサチューセッツ州知事の時代にしばしば家族と利用し、2階の18番テーブルが彼の愛用したテーブルだったと言われている。
内部のインテリアは創業当時のまま残されており、1階がオイスターバーで、フロアの真ん中にカウンターがあり、スタッフがオイスターの殻を剥いでいるところを目の前で見ることができる。2階のレストランでは、クラムチャウダーやロブスターの他、チェリーストーンやリトルネック(アサリ)などが食べられる。
その他、ボストン港に面して景色が良いオシャレなシーフードレストランが、1963年にオープンした「アンソニーPier4」(Anthony’s Pier 4)で、日本からお客さんが来るとよくお連れした。更にもう少しカジュアルなものだと、1968年にオープンした「リーガルシーフード」(Legal Sea Foods)がある。「Legal Cash Market」という雑貨店のオーナーが経営する魚市場の隣で始めたレストランだったことから、「フレッシュでなければLegalの魚ではない」(”If it isn’t fresh, it isn’t Legal!”)というのをキャッチフレーズにしている。
冒頭に話を戻すと、レストランというのは単なる家庭の外での食事の場ではなく、社交の場であり、新しい文化が芽生える場所であった。アメリカにおいてホテルで豪華な夕食をするという習慣、それ以外にもオイスターバー、学生のたまり場としてのバー、アイスクリームパーラーなどの食文化は、全てボストンから始まっているそうだ。
大勢の人がいる中で、親しい友人と同じテーブルを囲んで食事をとるという今のレストランのスタイルはフランスから始まったもので、アメリカのレストランは、元々は植民地時代に旅人が泊まる簡易宿所であり、簡単な食事を出して旅人をもてなしたというのが始まりらしい。
初期のメニューにはニューイングランドらしい特徴があった訳ではなく、ニューイングランド料理が注目されることも意識されることもなかった。著者の調べた限りでは、ニューイングランド料理というものを意識して振る舞ったのは、1769年の清教徒上陸記念日(Forefather’s Day)を祝うために、プリマスのレストランにOld Colony Clubのメンバーが集まったのが最初だったようだ。その後、1876年、アメリカ独立宣言100周年(American Centennial)を機に、アメリカ国民としてのアイデンティティが高まると、アメリカ独自の料理というものが意識されるようになり、それが1900年代に入って勢い付いたそうだ。
このように、ピルグリム・ファーザーズから始まるボストンの食文化というのは、アメリカの食文化の原点である。そして、ボストンはレストランを始めとしたアメリカの都市文化の最先端を行く謂わば実験場であり、ボストンの歴史を知ることでアメリカの文化について多くを知ることができるのである。
こうしたボストンの食文化の2世紀以上(主に1800年から1980年代)に亘る歴史を綴ったのが本書である。著者のJames C. O’Connellは、都市計画の専門家で、都市の歴史を研究する著述家でもあり、食に関する本も多く出版しているそうだ。
本書のために著者が古本屋巡りをしながら集めた昔のメニュー、絵葉書、写真などが多数掲載されており、これらを眺めながらパラパラとめくってみるのも良い。かなりマニアックではあるが、『Mapping Boston』というボストンの地図と歴史を重ね合わせた本がMIT Pressから出版されており、これと合わせて読むとなお理解が深まると思う。
本書を読んで、自分が引退後にやるべきことのイメージが湧いてきたような気がする。