9・11から10年が経った。テレビに繰り返し映し出されるシーンはあまりに現実味に乏しく、ただただ呆然として画面を眺めていたことを思い出す。今年の5月2日にはアメリカによってウサマ・ビン・ラーディンが殺害され、ホワイトハウス前に集まり歓声を挙げるアメリカ人の姿が映し出されていた。彼が率いたアルカーイダはもちろんイスラームを代表する存在ではないだろうが、イスラームと無関係ではありえず、9・11以降イスラームにまつわる戒律や宗派、様々な聞き慣れない単語を耳にすることが多くなった。
本書の著者であるタミム・アンサーリーはアフガニスタンで生まれ育ったアメリカ在住の作家である。2000年にアメリカで高校生用世界史の教科書の作成に携わった著者は大きな衝撃を受ける。出来上がった教科書全30章のうち、イスラームが中心的なテーマとなったのはたった1章に過ぎず、その構成は「教科書の目次を額面どおりに受け取ったら、イスラームが今でも存在するとはとても思えない」内容だった。世界史におけるイスラームについてもっとページを割きたいという著者の主張は聞き入られることはなかったが、9・11でその状況は一変した。世界がイスラームとは何か、ムスリムとはどのような人か、と問い始めたのだ。
本書は単にイスラームの世界で起こった事実を淡々とまとめたものではない。600ページを超える大著であるが、イスラーム誕生からの1300年を均等に書き表しているわけでもなく、預言者ムハンマドとその4人の後継者が生きた時代の比重が大きくなっている。本書はムスリムの人たちが歴史の中で実際に起こったと思っている出来事、つまり、ムスリムを動かしている物語を伝える一冊なのである。著者は現在のイスラーム社会の状況はムスリム共同体の理想からかけ離れた停滞したものであると述べるが、この現在の状況に到達するまでの本書の物語は以下のとおりに進んでいく。中学・高校で習った我々の知る世界史とは大きく異なるのではないだろうか。
- 古代-メソポタミアとペルシア
- イスラームの誕生
- カリフの時代-普遍的な統一国家の追及
- 分裂-スルタンによる統治の時代
- 災厄-十字軍とモンゴルの襲来
- 再生-三大帝国の時代
- 西方世界の東方世界への浸透
- 改革運動
- 世俗的近代主義者の勝利
- イスラーム主義者の抵抗
無宗教と表現されることの多い日本人もお盆になればお墓参りに行き、クリスマスはどんちゃん騒ぎをして、年が明ければ神社に初詣に行く。神主の息子は同級生にいたし、キリスト教の洗礼を受けている友人も少なからずいる。しかし、ムスリムの友人はおらず、モスクに行ったこともなく、ムハンマドの誕生日を祝う「ムハンマドマス」を体験したこともない。そもそも「ムハンマドマス」などというものは存在せず、エジプト以外ではムハンマドの誕生日に特別なことを何も行わないということも知らなかった。本書はそんな知識レベルの自分でも、展開される物語の面白さにぐいぐいと引き込まれて、一気に読み進めることができた。
預言者ムハンマドは西暦570年頃マッカの名門部族ではあるが貧しい両親のもとに生まれる。父親はムハンマドが生まれる前に、母親はムハンマドが6歳のときに他界してしまい、祖父のもとで養育されることとなる。裕福な寡婦ハディージャと結婚し、ビジネスでも成功したムハンマドは神の啓示を受ける。唯一神の存在を説いて回るムハンマドに対してマッカの人々が脅威を感じた理由は彼らが営むビジネスにあった。マッカの実業界は宗教がらみの観光産業で大儲けをしており、ムハンマドの説く唯一神が定着してしまうとその他の神を信じる人々はマッカに来なくなってしまうと考えたのだ。現在毎年100万人以上がマッカにあるカアバ神殿を訪れているのだから、皮肉としかいいようがない。とはいえ、当時の実業界の焦りは切実なものであり、遂にはムハンマド暗殺計画が立てられる。この暗殺計画から逃れるためにムスリムたちはマッカからヤスリブ(マディーナ)へ移住しており、この移住はヒジュラと呼ばれた。西暦622年、ヒジュラが行われた年がヒジュラ暦元年としてムスリムの運命の転換点となっている。
ヒジュラ暦10年にムハンマドは最後の説教で、自分は最後の神の使徒であり、自分の死後は神の啓示が下されることはないと宣言した。ムハンマドの死後、後継者は誰かという問題に加えて、後継者はどのような存在であるべきかという問題が議論されたが、その指導者像は明確なものではなかった。しかし、指導者がいなければ共同体が維持できないことは明白であり、ムハンマドの親友であり身内以外では最初のムスリムとなったアブー・バクルが指導者に選出された。彼が「代理人または後継者」を意味するカリフという称号を名乗ると申し出たことがカリフ制の始まりである。この後に続くカリフ達のキャラクターや政策は非常に個性的である。第2代カリフのウマルは元来酒好きで喧嘩っ早い大男であり、アブー・バクルが後継者に指名した際には皆が尻込みするほどだった。このような男がカリフに選ばれることも興味深いが、カリフになった後の功績は更に興味深い。イスラーム圏以外の人々にはそれほど知られていないこのウマルを著者は、聖パウロとカール・マルクスとロレンツォ・デ・メディチとナポレオンが合体した人物とまで称している。本書には本当に多くの人物が登場するので、お気に入りの人物を探しながら物語を進めるのも本書の楽しみ方の一つだろう。
本書は600ページを超える厚さであり、上述のイスラーム誕生期以外の内容も盛りだくさんである。様々な帝国の勃興や、暗黒の時代を過ごしていた西洋との関係など、1300年の歴史を1つの大きな物語として体験できる。本書を手に取ったら先ずは巻末の日本版特典である「後記-日本の読者へ」に目を通して欲しい。オバマ大統領誕生から中東の春まで、現代のイスラームと本書で紹介されている物語の繋がりがより見え易くなるはずだ。
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タイトルにある通り、ざっくりと色々な宗教の概要を知るのによい一冊。
9月の今月読む本で代表成毛が紹介した本。飛んで飛んで回って回るイスラームの本のようで気になる。