本書『進化は万能である』は、『赤の女王』『ゲノムが語る23の物語』『徳の起源』『やわらかな遺伝子』といった、進化や遺伝、社会についての作品を手がけてきたイギリスのベストセラー作家マット・リドレーが、前作『繁栄』に続いて昨年発表した The Evolution of Everything: How New Ideas Emerge の全訳だ。
『繁栄』では、「昔は良かった」というノスタルジーや、「それに引き換え今は」という嘆き、「先が思いやられる」という不安がじつは事実無根であるとし、その主張を裏づけるデータをたっぷり紹介し、「今は昔に比べて、けっして悪くはない。いや、これほど良い時代はかつてなかった」という結論を導いた。あわせて、現在の繁栄に至るまで人類の進歩を促した要因として、交換(交易)と分業(専門化)を挙げた。そして、厭世論や悲観論に毒されがちな私たちに、共有や協力、信頼、自由、 秩序が普遍化したボトムアップの民主的な世界という未来像を提示して、元気づけてくれた。
本書でも、そのボトムアップという概念と歴史的方向性に着目し、今度は進化という切り口から物事を眺め、今後も進歩が続くという明るい展望を与えてくれる。ただし「進化」といっても、自然淘汰による生物学的進化にとどまらない。進化は私たちの周りのいたるところで起こっている、というのが著者の主張だ。前作の核心である交換と分業による人類の進歩と繁栄もこの「進化」に含まれる (第5章参照)。この見方を取れば、ダーウィン説は「特殊進化理論」にすぎず、「一般進化理論」も存在することになる(ちなみに著者も認めているように、「特殊進化理論」という用語は著者独自のものではなく、イノベーション理論家のリチャード・ウェブの言葉だ)。
プロローグで著者は、「進化は自然発生的であると同時に否応のないものだ。単純な始まりから積み重なる変化を示唆する。外から指図されるのではなく内から起こる変化という、言外の意味を持つ。 またたいてい、目的がなく、どこに行き着くかにかんして許容範囲が広い変化を指す」と規定している。
ところが(というより、だから)著者にしてみれば、「現在のような人類史の教え方は、人を誤らせかねない。デザインや指図、企画立案を過度に重視し、進化をあまりに軽視するからだ」となる。
なぜそうした見方が幅を利かせているのかと言えば、一つには、「動植物の形態や振る舞いの場合には、見たところ目的があるように思えるので、意図的なデザインに帰することなく説明するのが難しく感じられ」るからであり、デイヴィッド・ヒュームの書いているように、私たちは「どの自然現象も、何らかの知的行動主体に支配されているものと想定」してしまうからだ。そしてまた、文化についても、それが人間の抱える問題をうまく解決できるのは「誰か賢い人が、解決するという目的を念頭に置いてデザインしたからだと、私たちは考える傾向」を持っているからであり、また、「ランダムなデータに有意なパターンを見る人間の癖」のせいでもある。
著者は、世の中は人間の意図やデザインや企画立案で動いているという考え方を、「妄想」として斬り捨て、前作で悲観論を覆しにかかったように、本書ではその妄想の束縛から人々を解放することを目指す。
それを試みた先哲として著者がまず目を向けたのがギリシャの哲学者エピクロスだが、彼の著述は失われてしまったため、それに代わって注目したのがローマの詩人ルクレティウスであり、彼が残した『物の本質について』だ。各章の冒頭に引用があるので、読者のみなさんにも、もうすっかりお馴染みだろう。著者は、ハーヴァード大学の歴史家スティーヴン・グリーンブラット著『一四一七年、 その一冊がすべてを変えた』を通して、ルクレティウスを知ったという(ルクレティウスの先見性の 素晴らしさは第1章に詳述されている)。著者は、「キリスト教徒たちがルクレティウスを抑圧しなかったなら、ダーウィニズムの発見は何世紀も早まっていたに違いない」と悔しがり、「ルクレティウスの詩を、60代になってやっと……読んだことについては、これまでに受けた教育への憤りが今後も私の心のなかでくすぶり続けることだろう」と、不満をあらわにする。
そしてルクレティウスさえもが、著者の苛立ちを募らせる。彼も自由意志を説明するために神を持ち出したからで、これがいわゆる「ルクレティウス的逸脱」だ。そして、逸脱はルクレティウス1人にとどまらず、ニュートン、ライプニッツ、ヒューム、アルフレッド・ラッセル・ウォレス、スティーヴン・ジェイ・グールドら、時代の先駆者たちによっても繰り返された。だからこそ著者は、同じ轍を踏むまいと、「妄想」の打破に邁進するのだろう。
前作『繁栄』も生物学や進化、歴史、社会、経済などじつにさまざまな観点に立っていたが、今回は原書のタイトルで「The Evolution of Everything(万物の進化)」と謳うだけあって、取り上げる分野は宇宙、道徳、生物、遺伝子、文化、経済、テクノロジー、心、人格、教育、人口、リーダーシップ、政府、宗教、通貨、インターネットと、ますます多様になった。なにしろ、著者に言わせれば 「人間の文化に見られる事実上すべてのものの変化の仕方を、進化によって説明できる」からだ。そして前作同様、当を得た事例を多数挙げて説得力ある主張を展開する。
著者の言葉を挑発的、過激と感じ、そこまで向きにならなくても、と思う方もいらっしゃるだろうし、すべてに進化の観点を当てはめることには多少の無理を見て取る方もいらっしゃるかもしれない。 おそらく、著者も批判は覚悟の上だろう。それでも本書を著したのは、「ニセ科学」が横行し、それに迎合する人々がいる現状への憤懣に加えて、根拠のない思い込みを抱いたり、事実に反する主張を鵜呑みにしたりしがちな私たちの目を、真実に対して開きたいという強い願いがあればこそだろう。 それゆえに著者は言うのだ──「みなさんがデザインという幻想を見透かして、その向こうにある創発的で、企画立案とは無縁で、否応もなく、美しい変化の過程を目にできるようになってもらいたいと願っている」と。はっとするような主張を突きつけられ、従来の「常識」を見直す醍醐味を堪能し、物事は意外にもそれほどトップダウンではないと読者のみなさんに実感していただけたなら、著者も喜ぶだろう。
2016年8月 訳者を代表して 柴田 裕之