私は堤清二が作り上げたセゾン文化の恩恵にあずかった世代だ。音楽、ファッション、美術と、清二のおかげで知ったことは数知れない。だが同時にビジネス上での異母弟、義明との相克も報道で知ってはいた。
著者の児玉博は2000年の“セゾングル―プ”解体の折の記者会見で、淡々と答える清二に対峙していた。財界を退いて9年、清二は小説家、辻井喬として生きてきた。だがその5年後、義明が証券取引法違反で逮捕され、西武グループは崩壊する。再建を主導する銀行のやり方に突如、異を唱えた清二は最前線に立った。
児玉は真意を探るためにインタビューを申し込む。計7回、十数時間に及ぶインタビューの初回、名前の呼び方を尋ねると「堤清二として話をさせて頂く」と答えた。彼の口から語られた堤一族の姿は、隆盛と凋落の歴史であり、怨念と情愛の二律背反の物語であった。
滋賀から上京し立志伝中の人となった康次郎は艶福家であった。3番目の正妻である操の長子、清二と、愛人として別邸を構えていた石塚恒子の子、義明との間には、康次郎の晩年、後継者争いが取沙汰されていた。
指名されたのは世間の思惑に反し、清二より7歳年下の義明であった。
その折、清二に与えられた財産は池袋の小さな百貨店に過ぎなかった。しかし約20年余り後には、一代で西武百貨店、西友、パルコなどおよそ200社、年商5兆円というセゾングループを築き上げる。
だがバブル崩壊によってグループは破綻。代表を退いてからは作家、辻井喬として生きていた。堤清二というビジネスマンが復活したのは、愛憎半ばしながらも捨てられない長兄としての矜持と、康次郎との約束を守るためだった。
知的なイメージを崩すことなく清二は真摯に語っていく。だが読み進むうちに彼の傑物ぶりと異母弟の狂気に背筋が寒くなる。清二が追い求めてきたものは一体なんだったのか。彼もまた愛を乞う人だったのか。
2016年大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)に相応しい血族の軌跡であった。(週刊新潮 2016.8.25号より転載)
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小説家・辻井喬が描いた父と息子の小説。ぜひ読みたいと思うが、絶版。文庫でも電子書籍でもいいので、再刊してほしいと熱望している。