HONZが送り出す、期待の新メンバー登場! 堀内 勉は外資系証券を経て大手不動産会社でCFOも務めた人物。自ら資本主義の教養学公開講座を主催するほど経済・ファイナンス分野に明るい一方で、科学や芸術分野にも精通し、読書のストライクゾーンは幅広い。今後の彼の活躍にどうぞご期待ください!(HONZ編集部)
去る7月21日、来日したトーマス・カスリス教授の東大駒場キャンパスでの講演会に参加する機会に恵まれた。カスリス教授は、日本の宗教(特に神学)と哲学を専門とするオハイオ州立大学の名誉教授である。
この講演会は、何と予約不要、参加費無料というもので、東大のみならず日本の大学ではこうした質の高い催しが結構頻繁に行われているので、是非こまめに調べてみることをお勧めしたい。
本書の内容を簡単に整理すると、文化には「インテグリティー」(ビジネスシーンには頻繁に登場する割には日本語に訳すのは困難な言葉で、強いて言えば「人としての一貫性」のような概念)が前景に立つ(傾向として強く出る)ものと、「インティマシー」(人間の関係性や親密性)が前景に立つものとがあり、この二つは完全に白黒付けられる訳ではないものの、世界中の社会を個々に見ると、必ずどちらかにウェートが置かれているというものである。
大雑把に言えば、キリスト教やユダヤ教を源流とするいわゆる西欧文化は、事の是非を合理的・論理的に判断するインテグリティーの文化であり、東洋文化、中でも日本は特に関係性を重視するインティマシーの文化である。
勿論、両者の違いは程度問題で、例えば典型的なアメリカ人であっても、家庭の中では必ずしもインテグリティーだけで暮らしている訳ではなく、インティマシーが優位に立つことが多いという。
カスリス教授が講演の中で紹介したアメリカ人の詩に、「夫が亡くなって、私は三日月になった」というものがある。つまり、満月(夫)と満月(妻)が結婚して二つの真円が交わった後に、もうひとつの満月(夫)が失われると、そこに残るのは元の満月ではなく、重なり合いの部分を失った三日月だったという詩である。相手との関係性の中で、この重なり合いの部分の自我自体が変容するというのが、インティマシーの最大の特徴である。
カスリス教授自身はリトアニアの家系出身で、文化的にはインティマシーを前景とする家庭で育ったのだが、移住したアメリカ社会においては、インテグリティーを前景にして生きてきたという両面性やそこで感じた違和感が、この二つの違いを気づかせるきっかけになったのだと言う。
契約を重視する超インテグリティーの社会がアメリカで、その対極にある村的な超インティマシーの社会が日本だとすれば、本来、両者は最も理解しにくい相手同士であり、こうしたベースの違いを意識して、あたかもバイリンガルが英語と日本語とをきれいに使い分けるように、それぞれを自覚的に使い分ける必要があるのではないかというのが、カスリス教授の主張である。
そして、それをやらない限り、今のIS(イスラム国)などによるテロの頻繁、Brexit(EUからのイギリス脱退)の問題、アメリカでのトランプ候補問題に見られるように、文化的な衝突が生まれ、世界が不安定化してしまうというのが、カスリス教授のポイントなのだと思う。
実際のビジネスシーンを見てみると、世界にあまねく進出して成功しているインド出身のビジネスマンは、常に英語で会話している訳ではなく、仲間内ではローカル言語で話していることが多く、グローバルビジネス社会で生き抜いている人々は、皆、こうした使い分けをうまく実践しているように思う。
また、自分の過去の経験に照らし合わせても、人が自覚しているかどうかは別として、外資系企業で働く日本人の中にもこうした使い分けをうまくできていて、日本語を話している時と英語を話している時で、全く別人格になる人は結構いるように思う。
そこで思い出すのは、以前ベストセラーになった INSEADのエンリ・メイヤー教授の『異文化理解力 ― 相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養』である。原題は”THE CULTURE MAP breaking through invisible boundaries of global business”で、こちらの方が内容をよく表しているが、ここではグローバルビジネスが二国間から多国間へと拡大する中で、例えば同じ英語を話すイギリス人とアメリカ人でも文化は大きく異なっており、それを理解すればビジネスシーンでのコミュニケーションの質が劇的に改善するということが書かれている。
この本もビジネス書らしく非常に分かりやすく、グローバルなビジネスシーンにおいては実践的で極めて有用なのだが、どちらかと言えばノウハウ本であって、カスリス教授のように文化のレベルにまで深掘りはしていない。従って、この二冊を合わせ読むことによって、プラクティカルにもまたアカデミックにも、更に深い洞察が得られると思う。
哲学書というのは通常、余り部数が出ないのだろうと思うが、少し切り口を変えて、この『インティマシーあるいはインテグリティー』を哲学の本としてではなく、コンサルタントとコラボレーションして、グローバルなビジネスシーンにおける異文化理解のための経営書として売り出したら、かなりの部数が出るのではないかと思った。(余計なお世話かも知れないが。)
今、日本の大学では、理系が実学志向を強め、実業界とのパイプを太くすることで生き残ろうと努力している中で、文系(特に人文科学系)は「文系不要論」のような方向に追いやられつつあるが、ここで取り上げたカスリス教授の実践的な文化論などは、多くのビジネスマンが最も聞きたい話のひとつなのではないか。そして、日本の大学の文系が生き残るひとつの道筋がここにあるのではないかと思った次第である。