本書は Cornel West, Black Prophetic Fire: In Dialogue with and Edited by Christa Buschendorf, Beacon Press, 2014 の全訳である。
著者コーネル・ウェストは、肩書きや職業だけではとてもとらえきれない人物である。強烈なひとつの魂、ひとつのパワーがとりあえず哲学者の姿をとっているとでもいおうか。実際のウェストはどんな日も黒のスリーピーススーツに黒のネクタイ、白のシャツにゴールドのカフリンクスという印象に残る装いである。本書に、マーティン・キングが自分は毎朝、墓場に行く服を身に着けるのだと話していた、つまり常に死ぬ覚悟をして戦っていた、というくだりがある。実は、ウェストが着けているのも本気で戦いに臨む装備なのだ。「死んだらこのまま棺桶に入れられるから」と本人は言う。「あとはアフロだけきれいに整えてくれ」。
いつも真剣勝負のウェストは、講演などでよく聴衆に次のように問いかける。人は誰もがいつか死ぬ運命にある。だからこそ考えるべきは、死ぬまでに何をして生きるのか、どのように生きるのかである、と。これに対するウェスト自身の答えは、「知的生活の中で貪欲に読み、書き、話すこと。そうして人の心を揺さぶり、魂を動かし、人が自分自身や社会や世界を見つめ直すきっかけを作ること」。
ウェストは小学校低学年のころ、家が貧しいので毎日昼食を抜く同級生がいる一方でいつも大きなお弁当を持ってくる同級生がいるのが我慢ならず、持っているほうの生徒に食べ物を分けさせようと殴りかかって教師や両親を困らせていたそうだ。体の大きな生徒が小柄な生徒をいじめるのにも耐えられず、自分も大柄ではないのにいじめる生徒に襲いかかって止めさせていたという。腕力に訴えることはなくなっても、不公平に対する憤りに突き動かされているのはそのころから変わらない。自分の天職は知性のブルーズマンであることだと語るウェストは、「もっとも小さい者」の苦しみに光を当てるため、著書や講演、ヒップホップやテレビ番組を通じて自分だけのブルーズを歌い上げる。
本書が取り上げるダグラス、デュボイス、キング、ベイカー、マルコムX、ウェルズの6人はみな、ブラックの人びとを苦しめる悪ーー奴隷制やリンチやジムクロウーーにひとたび気づくと、金や地位や人気などに構わず、場合によっては命の危険も顧みずに、信念を持ってその悪に立ち向かった。そんな行為にはたいへんな困難はもちろん、途方もない悲しさ、悔しさ、寂しさも伴った。しかし6人それぞれの中にはウェストの言葉を借りれば「預言者的な炎」が燃えていて、かれらはその炎を原動力としてありのままを語り、行くべきだと考えた道を進んだのである。
とはいえ、本書でウェストが伝えたいのは6人の奮闘が「人種問題」の解決にどれほど貢献したかにとどまらない。ダグラスたちがブラックの人びとを助けようと全力を尽くしたのはいうまでもないが、かれらが共通して示すのは、「人種問題」「アメリカ社会の問題」といった枠を超えて、苦しんでいる他者を前にしたときの人間としてのあり方なのである。6人はそれぞれが生きていた時代にあった悪と戦った。しかし本書で繰り返し述べられているとおり、この世の悪はいったん消えたように見えても形を変えて必ずまた現れる。現代にも存在しているのである。その悪に苦しめられている人に気づいたとき、わたしたちはどうするか? 人間としてそこからどう進むのか? ウェストは本書を通じてそんな普遍的な問いを突きつけ、読む者の心に揺さぶりをかける。
講演でも対談でも、ウェストの語りにはリズムがあり、ときに聴衆とのコール・アンド・レスポンスもあって、まさにブルーズ歌手が魂を込めて歌っているのと変わらず、つい聴き入ってしまう。本書にはそんなウェストの語りがたっぷりと収録されている。そこにあるリズムや調子を日本語というすっかり異なる言語で完全に再現するのは不可能だとしても、訳出する際には発言の勢いや鋭さを鈍らせないように注意した。ウェストのブルーズマン魂を少しでも伝えることができていればと思う。
翻訳にあたっては、原注や訳注に記載のある文献に加えて次の日本語文献を参考にした。
上杉忍『アメリカ黒人の歴史 奴隷貿易からオバマ大統領まで』中公新書、2013年
本田創造『新版 アメリカ黒人の歴史』岩波新書、2008年
梶原寿『マーティン=L=キング』清水書院、2016年
ポーラ・ギディングズ『アメリカ黒人女性解放史』河地和子訳、時事通信社、1989年
荒このみ『マルコムX』岩波新書、2009年
岩本裕子「反リンチ運動家アイダ・B・ウェルズ」『史苑』第51巻第1号、1991年1月
2016年6月 秋元 由紀