北海道むかわ町穂別で日本古生物学史上最大級の発見があったのは2003年4月。それから10年以上が経過した2013年7月17日、日本初の恐竜全身骨格発見が北海道大学のプレスリリースで世間に伝えられた。誰がどのようにしてこの化石を発見したのか、公表までの10年間研究者たちは何をしていたのか、このハドロサウルス科の新種と思われる恐竜は7000万年以上前どのように日本にたどり着いたのか。本書は世紀の発掘に携わった様々な人にフォーカスを当て、それぞれの視点から発掘の過程をドラマ仕立てで伝えてくれる。
化石の謎が少しずつ解き明かされていくエキサイティングな展開に、最後には全身骨格が発見されるのだと分かっていても、ページをめくる度に鼓動が高なっていく。そもそも恐竜とは何なのかということから丁寧に解説されており、サイエンス本を敬遠している人でも楽しめる。また、科学者、博物館職員、大学院生、イラストレーター等がそれぞれの持ち場でサイエンスに向き合う姿が具体的に解説され、各人のキャリア変遷も言及されているので、サイエンスの道を志す者には大いに参考になるだろう。
発見から発掘、そして同定に至るプロセスを知れば知るほど、この物語が奇跡的なものに思えてくる。化石収集家である堀田良幸が足のリハビリのために普段と違うルートを歩いていなければ、クビナガリュウ類(恐竜ではない)の研究者である佐藤たまきがクビナガリュウ類の化石を求めて穂別博物館を訪れていなければ、日本を代表する恐竜研究者・小林快次が大学生時代に偶然にもアメリカ留学の機会を得ていなければ、この発見はありえなかった。本書には9名分の物語がつむがれており、バラバラに思えるそれぞれの人生が化石を軸に1つにまとまっていく。
いくつかの幸運があったのは確かだが、この発見は決して“たまたま”や“まぐれ”の産物ではない。堀田はアマチュアながらも1日6時間の化石探索を何十年も続けていたからこそ、この化石を見つけ、正しく保管することができた。佐藤は穂別博物館では標本が「きちんと保管されているし、記録も正確」であることを知っていたから、この博物館へ足を延ばし、その化石の特異さに気が付いた。中学時代の化石採集ツアーで大いに興奮した源体験があったから、小林は日本人で初めて恐竜研究で博士号を取得し、このプロジェクトを適切に先導できた。恐竜を、科学を愛する幾多の者の努力が連なったからこそ、この化石は世に現れたのだ。古生物学研究が少数の天才だけでなく、アマチュア収集家、全国各地にある博物館、科学的発見の価値を理解する自治体など多くのものに支えられているのだということを痛感する。
発見から発表までに10年の時を要したのは、その化石が専門家の目に触れるまでに長い時間が経過したことに加えて、恐竜発見というニュースが「取り扱い注意事項」であるためだ。1976年に三笠市でのティラノサウルス類の新属新種の化石発見は大ニュースとなり、その発見を契機として市立博物館まで建設された。ところが後にその化石は恐竜ではないモモサウルス類であることが学術的に確かめられ、大きな失望だけが残った。古生物学に携わるものは皆この事件を知っており、恐竜発見の報告には一層慎重になるという。
慎重の上にも慎重が求められる同定作業を担当した小林は、世界中の研究者ネットワークと徹底的な分析からその標本がハドロサウルス科であることを確信しても、まだその事実を世間に公表することを選ばなかった。この標本が発見された場所の周辺に更なる化石が残っているかもしれないからだ。恐竜発見のニュースに引き寄せられた人々に、貴重な資料を荒らされる訳にはいかない。水面下の発掘作業は、自治体を巻き込んで、より大きく動き出していく。
小林は本書の「おわりに」で、以下のように述べている。
私たちが発見したのは、まだ「ダイヤの原石」でしかない。
発掘作業は、珍しい化石を掘り起こすだけでは完結しない。大規模な発掘作業で得られた化石は、これから何年もかけてクリーニングされ子細に分析されなければ、何も語りかけてはくれない。原石は、多くの人によって磨かれてはじめて、輝き始める。完璧な化石をめぐる物語は、始まったばかりだ。
抱腹絶倒とは、本書のために用意された言葉かもしれない。サイエンス本を読みながらここまで笑えるのも珍しい。HONZでも多くレビューされている。著者の最新作『そもそも島に進化あり』も相変わらずの語り口で楽しませてくれる。
『ザ・パーフェクト』でも重要な役割を果たす佐藤たまきも登場する。