『風土記の世界』

2016年7月13日 印刷向け表示
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風土記の世界 (岩波新書)

作者:三浦 佑之
出版社:岩波書店
発売日:2016-04-21
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「風土記の世界」というタイトルから、かつての「古事記の世界」(西郷信綱)という名著を連想したが、本書も期待を裏切ることなく冒頭から引き込まれてしまった。

風土記とは何か。当初、わが国の史書の構想としては、紀・志・列伝の三部をもつ中国正史(「漢書」など)をお手本とした「日本書」がもくろまれていた。紀や列伝は国家の縦軸となる時間を保証するものであり、志は横軸として広がる空間(版図)を切り取るものだった。風土記撰録の命令は「志」の準備のために出されたのだ。

ところが成立したのは「紀(帝紀)」つまり「日本書 紀」だけだった。志や列伝はついに編纂されることがなかったのである。そのために「日本書紀」という書名が定着した。思わず唸ってしまった。なるほど、そうだったのか。本書は以上の大枠を踏まえた上で、「古代を知る何でもありの宝箱」でもある現存する5か国の風土記を概観しその面白さを伝えようとした力作である。

風土記編纂命令の中で特に重視されているのは古老相伝旧聞異事である。地方の共同体の側に相伝されている「旧聞異事」を中央の律令国家が要求したのは、それらを手に入れることで、諸国を、律令国家の版図に組み込もうとしたからであり、それが国家の空間軸を完成し確認することだった。

つまり、それぞれの地方の神話を中央に提出することは、意識としては服属に等しい行為だということもできる。その文脈で考えれば、平安時代の天皇の即位儀礼である大嘗祭で語られた7か国の古詞(各国の語り部が奏上)は服属伝承であったのかもしれない。

常陸国風土記は民間伝承の宝庫だが、そこに登場する倭武天皇(ヤマトタケル)が楽しそうに巡行するばかりで死の翳がないのはなぜか。そもそも古事記と日本書紀でヤマトタケルの人物造形があれだけ違うのはなぜか。とても面白い視点だ。

著者は、悲劇化される以前の勇者が風土記に語られているのでは、と推測する。出雲国風土記は、ヤマトを中心とした文化圏とは別の「日本海文化圏」の存在を際立たせている。そこには巨木を建てるという文化的な特徴があった(出雲大社の高さや諏訪大社の御柱)。朝鮮半島をはじめ大陸とわが国とのつながりは日本海を介してしか成り立たず、その拠点は北九州だけに限定されるものではなかったのである。

笑話性の強い播磨国風土記では、神と天皇が笑われる滑稽譚が多い。女性首長(速津媛など)の記載が残る豊後国風土記、オキナガタラシヒメ(気長足姫、神功皇后のこと)の新羅遠征の伝承が多い肥前国風土記。

著者は、古代日本の60数か国のうちせめて半分でも風土記が遺っていれば、中央に包み込まれてしまいそうな地方の姿とそれに抗い続ける地方の固有の姿がもっと鮮やかに見いだせたに違いないと詠歎するが全く同感である。

出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら

*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。 

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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