本書を一読して、「何と波瀾万丈な!」という印象を受けた。
著者のストームは、デンマークの下位中産階級に生まれ、横暴な継父のもとで手のつけられない不良に成長し、学校をドロップアウトする。その傍らボクシングに打ち込み、才能を認められるも、腕っぷしの強さをもっぱらケンカに用いて、ギャングの世界に入る。ケンカや酒に明け暮れ、密輸を手伝い、ドラッグに手を出し、前科者になる。その矢先、イスラムの教えに救いと平安を見出しのめり込み、イエメンへの留学を機に、いわゆるサラフィー・ジハード主義に傾倒し、イギリス、イエメン、ソマリアなどの過激派にネットワークを広げていく。
だが、やがて「イスラムの矛盾」に気づき棄教。そんな折、ストームの人脈に目をつけたイギリスとデンマークの情報機関からエージェントの仕事を打診される。デンマークとイギリスでイスラム過激派の取り締まりに協力するうち、アメリカのCIAの任務も受けるようになる。ストームの協力で、アメリカは高名なイスラム主義者アウラキを無人機攻撃で暗殺するにいたった。だが成功報酬が支払われず、裏切られたと感じたストームは、マスコミに自らの諜報活動を暴露し、今度はかつての過激派仲間から命を狙われる身になる……。
まるでハリウッド映画のようだ。
本書の主な舞台は、イエメン、デンマーク、イギリスだ。欧米の若者や移民の二世三世が過激思想に染まる背景や過程が、本書からよくわかる。デンマークは次第に厳しい移民政策を掲げるようになったが、以前は積極的に移民を受け入れていた。少年時代からムスリムの友人が多かったストームの交友関係がそれを裏づけている。また本書には、欧州やアラブ圏のイスラム過激派、テロ組織、CIAやMI5などの情報機関との生々しいやりとりがちりばめられている。彼らの思想や行動のみならず、各々の人間性が垣間見えるところも、本書の魅力の一つだろう。
ストームと交流があり、2011年に殺害されたアウラキは、イエメンとアメリカの国籍を持つイスラム聖職者で、アラビア半島のアルカイダ(AQAP)とも深い関係があった人物だ。流暢な英語を話し、ネットを通じてアメリカやイスラムの敵への攻撃を呼びかけ、生前、そして死してなお、世界中のイスラム過激派や過激派予備軍に多大な影響を与え続けている。2013年のボストンマラソン爆弾テロ事件や、2015年のシャルリ・エブド襲撃事件などの実行犯は、アウラキやAQAPの機関誌に影響を受けたとされている。交流のあったストームだからこそ知りえる、アウラキの人となりも本書には描かれている。
最近、テロに関連した諜報活動の書籍をよく見かけるようになった。そうした書籍を読むと、よく言われるように、そして著者のストームも言っているように、「ヒューミント」、つまり人間を介した情報活動が大きな影響力を持つことがわかる。技術がいくら発達しても、現場の情報入手に人間の役割は不可欠であり、その活動にも、関わる人たちのさまざまな思惑が絡み合っている。
つまるところ、人間の行動が、思想が、感情が、生き方が、この世界を築いているのだ。
ブッシュ政権末期からオバマ政権初期にかけてアメリカに滞在していたとき、難民としてアメリカに移住したイラク人青年と知り合った。バグダッドの通りを歩いていると、すぐ近くに爆弾が落下し、命の危険を感じて国を離れることにしたのだという。そのときの爆発で、片耳に後遺症が残った。本人の難民申請は認められたが、両親は認められず、単身移住した。母国に侵攻した国に移り住む気持ちはいかばかりかと聞いていた途中で、同席していた女性が話をさえぎった。「でもイラク侵攻はもう終わった話でしょう。今問題になっているのは○○でしょう」イラクのニュースはもうマスコミで取り上げられていないから、というのだった。
関係ある人の面前でそんな発言が出ることが、その場にいた者たちには信じられなかった。マスコミで取り上げられないからというのも短絡的だと思うが、無知や、共感や想像力の欠如が他人を深く傷つけることがあると、肌で感じた瞬間でもあった。情報が氾濫し時間が加速しているかに思われるこの時代、世界情勢にともなう数々の出来事は、過去を通り越して歴史になっているような感すらある。だが、テロや紛争の犠牲者や家族にとっては、決して歴史の一ページなどにはならない。人生が打ち砕かれ、大切な者を失った人たちは、その傷を抱えて生きていかなくてはならない。
ストームの行動や考え方に必ずしも全面的に賛成はできないが、本書が世界で起きていることの裏側に読者が思いを馳せるきっかけになってくれればと思う。混迷する世界情勢や紛争のニュースを見るにつけ、人間はもう何千年も同じようなことを繰り返しているのではないかと思わされる。人間はもっと精神的に成長すべき時節なのではないかと感じているのは、わたしだけではないはずだ。テロや紛争で苦しむ人のいない世界が実現してほしいと心から願わずにいられない。イスラム過激派にのめりこんでいった若者たち、さらに過激派と戦う西側情報機関の内実を赤裸々に描いた本書が、テロや紛争の原因、背景や現状を理解する一助となれば幸いである。
2016年5月 庭田よう子