『怒りについて』や『生の短さについて』などを著した古代ローマの哲学者セネカは二つの顔を持っていたという。ストア派に属し簡素な生き方と節度、理性を求める哲学者の顔。もうひとつは皇帝ネロに仕えた政治家としての顔。著作の中で簡素な生き方を推奨しながら、一方で現実のセネカはローマでも一、二を争う資産家であり、植民地に高利で金を貸し、暴利を貪る金貸しでもあったという。
ネロ治世下のブリテン島で起きたボウディッカの反乱の間接的な原因は、セネカだという人々もいる。反乱が起きる前にセネカが突然厳しい条件でブリテン島の債務者からの取り立てを行ったとカッシウス・ディオが伝えている。また彼の資産の一部はネロがセネカの承認を得て殺した政敵の資産で築かれていた。暗殺者が犠牲者の資産を懐に収めていたのだ。彼の言葉と行動は信じられないほど矛盾に満ちている。いったいセネカとは何者なのだろうか。
セネカの評判は当時から両極端に分かれていたという。彼の人生はこう取ることが出来る。理性と節度を信奉した男が運命のいたずらにより、ローマ政界の中心にたどり着き、迷える暴君の気まぐれを抑え、良き治世を実現するために奔走したが、それが叶わぬと見るや政界から去り、哲学者としての道、真理を追究する求道者となり様々な著作を手掛ける。しかし、かつての側近が去ることをゆるさなかった暴君は口実を見つけ、彼を自殺へと追いやる。
あるいはこうとも取れる。平凡な家庭出身の小賢しい野心家が、策を弄してローマ権力の中心に潜り込む。言葉巧みに自らを賢人に見せかけ、手に入れた影響力で巨万の富を築き、高利貸しとして暴利を貪った挙句、ブリテン島の反乱を誘発させる。さらに宮廷内の権力闘争で様々な人間を暗殺するという、おぞましい犯罪の共犯者となる。一方で入念に書き上げた文学作品で自らを飾り立て、名誉挽回をもくろむ。政界で次第に影響力を失い、皇帝からの脅威が身近に迫ると哲学の道に逃げ込む。しかし、哲学者としての生活を隠れ蓑に皇帝暗殺計画を主導し、それが露見するや最後に芝居じみた自殺を謀る。
1世紀末のローマ人はセネカという比類なく雄弁で謎に満ち、政治に深く関わった人物をこのような二つの視点で眺めていた。前者は作者不詳の『オクタウィア』という悲劇作品に描かれたセネカの見方であり、後者はローマの年代記を書いたカッシウス・ディオによるものだという。
セネカは財産の多くをクラウディウス帝に奪われ、アグリッピナの庇護の下でネロの家庭教師となる。セネカが取ることが出来る選択筋は決して多くはなかったであろう。現代の多くの意見でもセネカはまず哲学者であり、運命の巡り合わせで政治の混沌に飲み込まれていったのだと考えている。そして彼の本来の生き方とかけ離れた人生を送る事になったと。
彼の作品は意に反した行動を強いられていたセネカが本当の自分自身を発露した物なのだという人もいる。しかし、著者はその意見に疑問を呈する。
書簡を読む私たちの前に現れるこの人物は、本当のセネカの姿なのだろうか。あるいは、言葉の達人が作り出した、理想化された自己の姿(イゴマ)なのだろうか。この十五年のあいだ、すべての言葉を政治的行為として書いてきたセネカに、二つの姿の違いがわかっていたのだろうか。
セネカの文章は常に決定的な瞬間に自らの姿を覆い隠し、真実の欠落を意図的に生んでいる。常に核心にふれる事がない。『書簡集』を読み解きながら著者はそう指摘する。
クラウディウス帝の遺児、ブリタンニクス暗殺に消極的ながらも関与し、その財産を手にしたセネカ。その財産を高利貸し業に投資し、巨万の富を築いたセネカ。その一方で、ネロ政権を善政に導こうと盟友ブッルスと奮闘し後世「ネロの5年」と呼ばれることになる善政を作り出したセネカ。アグリッピナ暗殺後の混乱の対処を放棄してしまうセネカ。理性と道徳性を二言目には口にしながら、言論を駆使してネロの犯罪行為を元老院でもみ消したセネカ。これら全てがセネカという一人の男の行動である。
相反するセネカが彼の内の中で渾然一体となり存在している。政治家セネカと哲学世界のセネカの混沌が分かちがたく結びついているように、文学作品のセネカの世界も混沌を極めている。
ストア学派として理性と道徳、そして質素で簡素の生き方を説いた哲学作品と対極にある『メディア』『フェニキアの女たち』『テュエステス』など悲劇作品を彼は多く著しているのだ。どれも、愛や怒り、憎しみといった激しい感情に支配された人々の物語だ。セネカという人間は感情に身を任せる人間を活き活きと描き出す。そこに展開されるのは、ストア派のセネカが描く人間の理想とは対極の世界だ。
セネカは皇帝暗殺事件には関与していなかったようだ。しかし、不思議な事に、事件後に暗殺の首謀者を排除して自らが皇帝になるという計画には関与していた可能性があるという。彼は常にストア学の思想を現実の政治に取り入れ、賢人による治世を望んでいた。ネロを導く事が出来なかった彼は、自ら皇帝になろうとしたという。彼は簡素な生き方を望みながらも政治的野心を内に灯し、ストア学による理性の信奉者でありながら、一方で愛憎の念に身を焦がす人々の物語を著し続けた。
著者はセネカを「人間すぎるほどの人間」「最善の人間と同等ではないが、悪人よりは優れていた」と結論する。確かにそうだろう。本当の悪人ならば全てを、その優れた文学的才能で糊塗し、真実を全て覆い隠すこともできたであろうし、揺れ動く自身の真情や想念を文学作品として残すことはなかったであろう。彼は人間臭すぎるほどの人間なのかもしれない。
しかし、セネカが何者なのかという論争に結論を出すのは、読者がすべきことなのかもしれない。なにしろ彼が存命していた時から現代にいたるまで続く長い論争である。この二面性を持つ男の人生や著作にふれ、自分自身の思考で彼の本質というものに思いをはせる事で、つまるところ人間とは何か、という永遠の難問に何らかのヒントを得る事が出来るかもしれないのだ。