高野秀行といえば、押しも押されもせぬ未確認動物探索家である。まぁ、そのような探索家をまともに名乗る人はそうそういないので、名乗ったが勝ちという気がしないでもないが、なにしろ第一人者である。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)をはじめ、それに関する書物も出版しているので、決して「自称」ではなく、れっきとした未確認動物探索家なのである。
この『未来国家ブータン』略して『みらぶ~』でも、その最大の目的は、現地のゾンカ語で「ミゲ」と呼ばれる雪男の探索だ。結果は本文にある通り、と書きたいところだが、そんなもんが見つかったら大ニュースになっているはずだから、読まずともわかりきったことではある。
スポンサー付きでブータンに乗り込んだ高野であるが、正式なミッションは雪男探索ではない。さすがに、そんな酔狂なことにお金を出す人はそうおらんだろう。ブータン政府とのプロジェクトを進める友人の依頼をうけての生物資源の探索だった。未知の生物資源となれば、人里離れた辺境に行かねばならぬ。これは辺境作家・高野にとって願ったり叶ったりであった。
高野の偉いところは、雪男にしか興味がないにもかかわらず、建前である生物資源をそれなのに一生懸命探索していたことだ。なのではあるが、正直にいうと、最初に読んだ時、『みらぶ~』は、もしかすると依頼主に対する言い訳の書ではないかと思ってしまった。スミマセン。少なくとも「文庫あとがき」によると、どうやら本気で探しておられたようだが、そのわりには、あまり真剣さがないように見えてしまうのは、はたして私だけだろうか。 数年前にブータンを訪問し、パロという町でのお祭りを見学していた。なにやらたいそうな行列がやってきたので、遠くから写真撮影をした。そしたら、警備のおじさんにえらく叱られた。「あれは国王だから写真を撮ってはいけない」というのだ。豆粒ほどにしか写っていなかったので、どれが王様かもわからなかったが、命じられるままに写真のファイルを消去した。
それから1年半。覚えておられる人も多いだろう、ちょっとアントニオ猪木に似た感じのするブータン国王が王妃と来日された。ブータンでの写真撮影がトラウマになっていたので、えらく気になった。いかにして日本国民による撮影を禁止するのだろうかと。しかし、杞憂であった。まったく禁止などされなかったのである。いったい、どういうこっちゃねん。
この、なんとなく、まぁこれはこれ、それはそれ、その場その場に応じてうまいことやれたらええんとちゃいますか感は、ブータン国王写真撮影問題とブータンでの高野ダブルスタンダード行動疑惑とに共通しているような気がしてしまう。
高野秀行という人は、どれくらい知られているのだろうか。すべてとまでは言わないが、ほとんどの著作は読んでいて、どれもむちゃくちゃに面白い。すくなくとも私の周囲の本読みたちにとって、高野秀行と言えば大人気の有名作家である。しかし、愛読者以外には、それほど知名度が高くないような気がする。
『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞を受賞され、一気に知名度があがり、以後ベストセラー作家になられた、という噂も、寡聞にして聞いていない。しかし、一冊読むと、ついずるずるとどの本も読みたくなってしまう、という不思議な魅力を持つ作家である。なのに、現状は不思議である。そして、もったいないことである。
ブータンという国も、どれくらい知られているのだろうかと思う時がある。2011年の国王来日時にはかなりの報道でブームと言えるほどであったが、それ以来、あまりニュースを聞かない。来日後5年目の2月には、お世継ぎとなられる王子様がお生まれになったというブータン国家をあげての慶事があったが、それもほとんど知られていないだろう。
入国者が制限されているせいもあって、実際にブータンを訪れた日本人というのはかなり限られるはずだ。しかし、ブータンへ行った人は口をそろえて、また行きたいという。なぜか懐かしさを感じさせる景色、ひとなつっこい子どもたち、見慣れない風習など、どれもがなんとも愛おしくなってしまう。高野さんも「あの旅を再現できると思うだけで心が躍る」としたためておられるのだから、間違いなくそのひとりだ。
そこそこ有名という程度だけれど、一旦その魅力を知ったらのめり込んでしまう人が多い。これも、高野とブータンの似たところなのである。他にも、独自路線を歩む、幸福度が高そう、など、けっこう高野・ブータン共通項は多そうだ。
同じ本を何年かたって読み返してみると、昔に読んだ時から抱いていた印象とえらく違うことがある。とりわけ名著にそのようなことが多い。名著かどうかは別として、みらぶ~もそのような一冊だ。
4年前に読んだ時には、ブータンブームの直後で興奮していたせいか、探検の物語として読んだ。ブータン本の古典といえば、誰がなんといおうと、植物学者である中尾佐助が1958年にブータンを訪れて書いた紀行文『秘境ブータン』だ。ほぼ半世紀たった後に辺境作家・高野秀行が(たぶん)それに対抗して書いたのが『未来国家ブータン』だと思ったのだ。タイトルも微妙に似ているし。
今回、読み返して、まったく違う印象を持った。この本は民俗学の本として読まれるべきだと思ったのである。言い換えてみると、この本は、探検譚としても、その対象がほぼ未確認動物限定であるとはいえ民話の蒐集録としても読める、見事に一粒で二度美味しい本なのである。
フォークロア蒐集としては柳田國男的かもしれないが、その方法論は、対象が何であれ、相手のふところにとびこんで親しくなって話を聞き出すのであるから、むしろ「旅する巨人(©佐野眞一)」民俗学者・宮本常一的である。宮本が日本国内をあまねく歩いたのに対して、高野は興味の赴くままに、ある時はミャンマー、ブータン、またあるときはソマリランドと、ほぼ脈絡なく世界を飛び回る。高野はひょっとすると宮本の未来形と言っていいのかもしれない。
さらに、高野は自らを危険にさらしてまでも取材する。その意味では、明らかに宮本をうわまわっている。ミャンマーではそのためにアヘン中毒になることすらいとわなかったし、ブータンでも高山病と闘いながら深酒をする。ソマリアでは、装甲車に乗っていたとはいえ銃撃までうけている。ここまでいくと、えらいのかえらくないのかよくわからないのであるが、できあがった本がどれも面白いのだから、読者としては万々歳なのである。
高野といえば、未確認動物を追い求めたり、アヘン中毒になったり、禁じられているイスラム教の国々でひたすらアルコールを追い求めたり、と、つい、その取材対象や取材方法の面白さに目が行ってしまいがちだ。しかし、より本質的な魅力は、自分の目で見て経験した事実に対する驚異的な咀嚼力にある。そして、対象が未確認動物であれ国家であれ、咀嚼したものからエッセンスだけを抽出して、異常なまでにわかりやすく説明してくれる能力にある。
「文庫あとがき」によると、最近は、未確認動物に対するつっこみかたが冷静になられたらしい。ようやくですか、と言いたくなる気がしないでもないが、その分、他のものへと興味の対象が広がっておられるようだ。『みらぶ~』の後に出版された『移民の宴』は、さまざまな国から日本へ移住してこられた人たちについての本であるし、『謎の独立国家ソマリランド』と『恋するソマリア』は、興味の対象が国家という大きなものである。 興味の対象がどの方向に進むのか、そして、驚異的な咀嚼力と説明能力を活かしてどのような話をファンたちに提供してくれるのか。未来作家タカノの将来が楽しみでたまらない。
(なかの・とおる 大阪大学大学院教授、書評家)