中学2年生の頃に本屋で偶然出会ったのが、荘子だった。「人皆知有用之用 而莫知無用之用也」(荘子 内篇)そこには、人の役に立たないがゆえに天寿を全うする、樹木のことが書かれていた。高度成長の負の遺産や受験戦争に心を痛めていた私は、「かくありたい!」と膝を打ち、その道行きをはじめた。といっても、有用になるのを避け友人宅に入り浸って麻雀を始めただけだ。翻って本書は、101種の「有用材」を写真と文章で紹介した、人と木の歴史がつまった図鑑だ。植物図鑑と材木図鑑の良さを兼ね備えた、稀有な一冊である。
見開きに一樹種で、非常に見やすい。立木、葉、樹皮、建築物、家具・・・600点にも及ぶ写真のほとんどが撮り下ろしで、しかもページレイアウトが樹種ごとに違う。表紙や紙質など工夫が凝らされていて、見るからに愛情の産物であることがわかる。有用であることも、なかなか隅におけないものだ。しかも、これだけ手が込んでいて3,200円(本体)とは破格である。そんなことを考えながら、本書の「はじめに」を読んだ。そこには「木は二度生きる」という言葉があった。
二度というのはつまり、樹木として生きる時間と、材や道具として生きる時間だ。これだけ愛情を注がれ、しかも二度生きられるのであれば、有用であることも悪くないなと思いつつ、我に返った。二度目の「生きる」は、人間様から見た「生きる」でしかないではないか。中2病の私が、最も忌み嫌ったものである。でももはや、私は中2ではない。有用材の第2の人生というやつについて、考えてみようではないか。早速、本書で紹介される最初の樹種である「アオダモ」のページを開いた。
まず、左ページのバットの写真が目に飛び込んでくる。そういえば、イチロー選手はずっとアオダモのバットを使っている、と聞いたことがある。右に目を移せば、その立木や葉っぱ、樹皮の写真。おぉ、この木からつくったバットで彼はヒットを量産してきたのか・・・と思うと胸が熱くなってくる。「硬さと粘りがあり、衝撃にも強い優良バット素材」見出しには、こう書かれている。なかでも、北海道日高地方のアオダモが、バットには適しているそうだ。その理由も、メーカーのコメントも載っている。この解説文が読み応え充分なのである。
続いて「ケヤキ」が目に留まる。左ページには、立派な立木の写真。見事な立ち姿に、胸がスーッとする。「存在感のある立ち姿、良材の誉れ高い材。日本の広葉樹の代表格」我が家の前の道路にはケヤキが植樹されており、ベランダから見下ろすことができる。身近な木なので、関心がそそられる。重さと硬さをあらわす「比重」が、本書では0.47~0.84となっており、先ほどのアオダモ0.62~0.84に比べレンジが長い。つまり、固体によって、硬さに差があるようだ。建築材としては特に社寺建築に使われており、清水寺など京都の寺にはケヤキ造りの建物が多いそうだ。
次に私の目にとまったのは「ツゲ」である。左ページには、櫛と将棋の駒の写真。子供の頃、母が大事にしていたツゲの櫛を、台無しにしてしまった苦い記憶が蘇る。父は、よく将棋の駒をパチパチやっていた。比重は0.75。これは硬い。「材の産地で有名なのが、鹿児島県指宿市周辺と伊豆諸島の御蔵島。前者のツゲは薩摩ツゲ、後者は御蔵ツゲと呼ばれる。薩摩ツゲは櫛に使われることが多い。御蔵ツゲの用途は主に将棋駒である」と書かれている。需要が先か、植生が先か。人と樹木の長い付き合いに想像がめぐって、楽しい。その機微を伝える記述を本書「監修を終えて」から引用したい。
この本の特色は、数多くの樹木の用途に重点を置いてヴィジュアルに楽しめるところにある。木製品の写真1枚に一頁を割いた樹種も多い。さまざまな地域の木材の利用法が収集され、説明されている。水中メガネの枠に使うというモンパノキのように、地域限定の用途もあって興味深い。アオダモのバットやカヤの碁盤のように、定番の用途を持つ樹種もある。では、なぜ特定の用途にその樹種が使われるようになったのか、どういう点が他の樹種より優れていたのか。明快な理由がある場合もあるが、よくわからないものも多い。単に手近にあった木を使ったのが、いつしか伝統となったものがあるかもしれない。
ただ、本書によると、その用途は世につれて変わるらしい。従来の木材関連の事典には「アサダ」の用途として必ず「靴の木型」と記載されていたそうだが、現在、木型製作に携わっている方々へ取材したところ、アサダの木型をご存じなかったという。以前は「アオダモ」が使われることが多かったバットも、バリーボンズの登場以降「メープル」が使われるケースが増えたそうだ。こういう話も、実に面白い。
時の流れは悠久で、いまの状況が永遠ではない。いま有用なものが、永遠に有用であるとは限らないのである。諸行無常。中2病の私に、あえてアドバイスするとしたら「お前の言うとおり、人の望むこと(いま有用とされること)はしなくて良い。ただ、有用か無用かではなく、自分が望むことをやって欲しい」と伝えたい。目先のことだけ優先すると、事をし損じる。迷ったときは目を閉じて自分の内面と対話しながら、長期的なスパンで道を選んでいけばよいのだ。
林業は、樹種にもよるが収穫までに約50年がかかるという。今日植樹する木を収穫するときには、自分はいないかもしれない。しかし、目先の金儲けのために植樹もしないで伐採を続けていたら、ハゲ山ができるだけなのだ。50年後、100年後を想像し、自らそれを育てていく思考が必要な産業である。それに加えて、需要を創るための広い視野も必要だ。長期的で広い視野。目先の損得を最優先する経済活動において、置き去りにされがちな視点である。人と樹木の悠久の歴史が詰まった、教養の巣窟のようなこの美しい図鑑から、学ぶべきものは多い。
※画像提供:創元社