心に湧いてくる感情にぴったり合う言葉が見つけられない…。
言葉で表現しようとすると、ひどくまどろっこしくなってしまう…。
誰しもそんな経験を一度はしたことがあるのではないだろうか。
私たちは言葉があることで、思考することができ、他者と”目に見えないもの”を共有することができる。一方で、言葉によって私たちの思考は規定され、その範疇をはみだす部分については、表現することをあきらめざるをえない場合もある。
だが、そんな「日本語では表現できなかったもの」を的確に表す言葉や、意識すらしたことがなかった世界を示す言葉に、外国語を学ぶなかで出会うことも少なくない。
本書は、世界の様々な国に暮らした経験をもつ筆者が、「他の国のことばではそのニュアンスをうまく表現できない『翻訳できないことば』たち」を世界中から集めてまとめた一冊だ。
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その「単位」ありなんだ・・・
長さの単位にはメートルの他にマイルやフィートが、重さにはグラム以外にポンドやオンスなど、様々な計量の単位が存在することは誰しもよく知っているだろう。だが、本書に出てくる「単位」はきっと初見にちがいない。
フィンランド語の「poronkusema(ポロンクセマ)」は「トナカイが休憩なしで、疲れず移動できる距離」を意味する。大半の日本人にとってはまったく見当がつかないだろうが、約7.5kmを指すらしい。トナカイが生息する地方では、とても便利な言い回しだとか…。
一方、マレー語の「pspang zapra(ピサンザプラ)」の意味は、なんと「バナナを食べる所要時間」だ。「人によっても、バナナの大きさによっても、違うでしょ!」とつっこみたくなるが、マレー人の間では、「このくらいの時間…」と共通の時間感覚がきっと存在するのだろう。
これら2つの単語のどちらも、それぞれの国で人々の身近にあるものが測量の基準になっているが、同じく身近にあるものから生まれている言葉に「palegg(ポーレッグ)」がある。
これはノルウェー語で「パンにのせて食べるもの、何でも全部」を指す。チーズやお肉、レタスなどの食事系の食材も、ピーナツ・バターやジャムなどの甘いペーストも、普通であればバラバラのジャンルに分けられるはずのものたちがすべて、この「ポーレッグ」一言に内包される。言葉の寛容性に驚くとともに、ノルウェー人のパンへの愛情がじわじわと伝わってくる。
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そういう例え方があったとは!
ドイツ語の「Drachenfutter(ドラッヘンフッター)は直訳すると「龍のえさ」だが、転じて「夫が、悪いふるまいを妻に許してもらうために贈るプレゼント」を意味する。この「ドラッヘンフッター」とぴったり置き換えられる日本語の単語は思い浮かばないが、妻を怖がる夫たちも、妻のご機嫌をとるために贈り物をする習慣も、国を越えて共通しているのではないだろうか。それにしても妻を「龍」に例えてしまうとは…逆に怒りを買わないのかと思わず心配にもなってくる。
同じくドイツ語「Kummerspeck(クンマーシュペック)」は、私が「この言葉、使える!」と思った言葉のひとつだ。直訳すると「悲しいベーコン」。その真意は「食べすぎがつづいて太ること」だ。「よくある!」と思わず私も意気込んでしまったが、まさかたった一言でそれを言い合わしてくれるとは、なんて便利なのだろう。個人的には、ベーコンはあまり食べないため、「悲しいケーキ」かもしれないが…。
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ここで紹介をしすぎてしまうと、本書での言葉との出会いの感動が減ってしまうため、このあたりで控えておきたいと思うが、他に紹介されている言葉のなかには「愛」に関する言葉が少なくない。やはり「愛」の表現は万国共通で必要とされるもののようだ。
また、本書では日本語の単語もいくつか紹介されている。私たちが当たり前のように使っている言葉が、日本独自の表現なのだという気づきも新鮮だ。なお、そのなかのひとつは、HONZ愛読者であれば、絶対に使ったことがあるはずの言葉だ。ぜひ、本書で見つけて、この言葉がない世界を想像してみてほしい。きっともどかしい気持ちに駆り立てられるはずだ。
ちなみに私が本書で出会い、「この概念、素敵!」と世界観が広がったのが、ヘゼリヘ、キリグ、ウブントゥ、ティヤム、ナーズ。「この感覚を表現する言葉がほしかった!」と“痒い所に手が届いた”言葉が、カーベルザラート、シンパティクシュ、レースフェーベル、ヴェシランド、ヴェルトアインザームカイトだ。
ぜひ本書で、言葉との出会いを楽しんでみてはどうだろうか。
(※画像は筆者のエラ・フランシス・サンダースから、特別に提供いただきました。エラのホームページ ellafrancessanders.com で一部の画像は購入も可能です。)