交易から文明が生まれる。動物は棲息する生態環境の拘束から逃れることはできないが、ヒトだけが異なる生態環境からモノを移転して生態環境を自らの好むように改変したのである。交易を管理するために統一的な暦が編まれ、文字が発達し、交易の場所から都市が生まれた。異なる文化に交易ルールを強制し、違反者を取り締まるために権力が生まれ、その権力を正当化するために特定の宗教やイデオロギーが発達した。
そして交易の方法は、略奪・互酬・貢納・徴収・市場と進化した。本書は、この壮大な上田史観をタカラガイを切り口にして、BC5千年を超えるアッシリアから現代までの悠久の時間と、大興安嶺のふもとから西アフリカに至る広大な空間を舞台に縦横に論じたものである。
第一部は史料の渉猟による「時をたどる旅」。中国では夏(二里頭文化)や商(殷)の時代に威信財としてのタカラガイ好みの文化圏が成立し、雲南では17世紀までタカラガイが貝貨として流通していた。ちょうどいい大きさのキイロダカラとハナビラダカラが珍重されたのである。タカラガイは均一性、希少性、持続性という現代のビットコインと共通する性格を有し、金銀とは異なり低額の価格を表すことができた。庶民にはとても便利な通貨であったのだ。
しかし、17世紀に入ると供給地であったモルディブのタカラガイは東インド会社(蘭)によって奴隷貿易に資するため大西洋に運ばれ、もう1つの産地・琉球からのルートも島津入りによって途絶えて(持続性の喪失)、この2つが貝貨崩壊の原因となった。タカラガイは銅銭に貨幣としての地位を明け渡したのである。では、雲南に大量に滞留していたタカラガイはどこへ行ったのか。それが第二部「場をめぐる旅」で語られる。
モノは生息域から離れ交易が困難になるほど希少性を増す。タカラガイは遊具(近隣のタイやインドネシア)、通貨(雲南)、盛装の飾り(雲南山地の少数民族、チベット)、威信財(チベット)、呪物(モンゴル高原など。女性性器を連想させるからであろう)と、距離に比例して価値の階梯を上げてきた。歩く歴史学者である著者は、タイから雲南、チベットから大興安嶺へとタカラガイの辿った道(カウリーロード)を踏査して実証を重ねていく。フィールドワークならではの「脱線」(歌謡や寸劇など現地の芸能の紹介)も、本格的な論考で、とても興味深い。
僕自身、小学校の臨海学校でタカラガイの収集に夢中になった時期があった。著者は「均一なものが目の前に置かれたとき、ヒトは自発的に数えようとする」「数えるとき、ヒトは喜びを覚える」「この特質が、交換手段としての通貨を生み出し、経済活動を可能とした」と指摘し、ホモ=ヌメランス(数えるヒト)という言葉で本書を締めくくる。ヒトとタカラガイの深くて古い関係を探る中から、こうして渾身の力作が生まれたのである。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。
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