人の命は何物にも代えがたい。何としても救うべきものだ。しかし、「人間はだれでもみな死ぬ」ことが厳然たる事実である以上、科学の力で命を繋ぎ止めても、それにはかならず代償がつきまとう。
本書は、蘇生術の歴史を丹念に説き明かすともに、蘇生科学の研究の最前線を追い、さらには、タブー視されがちな倫理の問題にまで踏み込んだ骨太な力作である。
「僕らは命を救っているというよりも、死に方を変えているだけ」――これは、力を尽くして患者の命をとりとめた救急救命士が、任務を全うした後にふと漏らした言葉だ。救急医療の現場で働こうと医学の道に進みながら、現在はホスピス医をしているという著者自身も同じような虚無感に苦しんだ一人なのかもしれない。著者は、蘇生が本当に喜ばしいことなのか疑問に感じ、その答えを探す旅に出た。
物語の始まりは、蘇生法の発祥の地とされる18世紀のオランダ、アムステルダム。当時の資料に基づいて、運河で溺れた若い女性の救出劇が再現されるが、そこに登場するのはゾッとするような突飛で奇抜な処置法ばかり。
そうなのだ。私たち人類が蘇生法の基本――呼吸の止まった人に息を吹き込む方法と、心臓の止まった人の胸を叩いて心拍を復活させる方法――を会得したのは、意外にもここ半世紀余りのことなのである。大勢の研究者の努力によって、蘇生法という謎解きパズルのピースが一つずつ埋まっていく過程は非常にスリリングだ。
こうして誕生した蘇生科学の歩みはますます加速されるばかりで、とどまるところを知らない。現在では、低体温状態にして脳を保護することで、難しい脳や心臓の手術も可能になっている。また、冬眠誘導物質の研究も進んでおり、SF映画でお馴染みの人工冬眠も夢ではないという。もしこれが実現すれば、重傷を負った人を安定したコールドスリープ状態にして遠方の病院まで搬送することが可能になる。
ここまで来たら、あとは人体の凍結保存である。
アメリカアカガエルは体温を氷点下にまで(-2℃まで)下げることができる。すると、呼吸が止まって、心臓の拍動も停止する。これはただの休眠状態ではなく、「死んでいる」状態だと言っていい。そのような状態で数週間を過ごしたのち、まるで何事もなかったかのように息を吹き返すのである。
私たち人間もこの芸当を真似ることができたらどうだろう? 不治の病に苦しむ人の体を凍結保存しておき、医学が進歩して治療が可能になった時点で蘇らせる――そんな夢が実現するのだろうか?
残念ながら、体を凍らせた状態で生き延びるのはとてつもなく難しいという。細胞を凍らせるとどのような恐ろしい現象が起きるか、3つの厄介な問題が徹底解説される。
ところが、そのような危険を冒してでも人体凍結保存術(クライオニクス)に希望を託そうとする人たちがいる。著者は、このサービスを提供するアルコー延命財団の40周年記念大会に出席し、スタッフの面々に次々と技術的な質問を投げかける。そして、集った人々と言葉を交わし、その切実な思いを受け止める。
重いテーマを扱った本でありながら、語り口はじつにコミカルで軽妙だ。また、実践的な知識が身につくよう、随所に工夫が凝らされている。たとえば、CPR(心肺蘇生法)の講習会。緊張のあまり、しくじってばかりの中学生たちに混じって、著者もヘトヘトになりながら講師の指導を受ける。クスっと笑いながら読んでいるうちに、いざという時に役立つCPRの基本がしっかりと頭に叩き込まれている。
また、フィラデルフィアのフランクリン科学博物館にある心臓模型の中を「歩いて」まわる場面も新鮮だ。身長67メートルの大男の心臓のサイズに作られた巨大なファイバーグラス製心臓は、壁の厚さが60センチもある。その中を、赤血球の1個になったつもりで、やんちゃな小学生たちと一緒に巡るのだ。心臓内部の構造や収縮する仕組みの絶妙さが「体感」できるのがすばらしい。
ところで本書の冒頭では、ギリシャ神話のティートーノスの物語が紹介される。曙の女神エーオースと恋仲になり、ゼウスに願い出て永遠の命を授けてもらった美貌の青年の物語だ。
ティートーノスは死ぬことができないにもかかわらず、時とともに老いていった。しだいに衰弱していき、やがて体も動かせないほどに老いさらばえる。とうとうエーオースのお荷物となった彼を、エーオースは密室に閉じ込めてしまう。
ショッキングなストーリーだが、老いと死は、遠くギリシャ時代から私たち人間を苦しめているテーマなのだ。医療技術のおかげで死を遅らせることができるようになったものの、老いと死が私たち全員に訪れるという事実に変わりはない。それどころか、蘇生科学が格段の進歩を遂げたぶん、それがもたらす負の部分――金銭的、倫理的、精神的代償も莫大なものになりつつある。
そうは言っても、医療技術のおかげでかろうじて命を繋いでいる人を前にして、それを打ち切る決断を下すなど、血の通った人間にできるものではない。ベッドサイドでは生活の質(QOL)や予後のことだけが話題にされる。倫理委員会でも政策論争の場でも生存の代価(コスト)についての議論はほとんどなされない。
しかし、と著者は警告する。「どんな場合に、どんな方法で、蘇生科学の力を利用して命を復活させるべきなのかを、私たち一人一人がしっかりと考えておく必要がある」と。そのための材料を、広範な分野にわたり、公平な立場から提供してくれるのが本書なのである。
かけがえのない命と引き替えに背負うことになるものとは何か? それとどう向き合っていかなくてはならないのか? 誰もがすぐれた医療を受けられ、世界一の長寿国にくらす私たちは、率先してこの答えを探していかなければならないのかもしれない。
今西 康子