尼崎事件は兵庫県尼崎市を中心に複数の家族が監禁・虐待され、死へ追いやられた連続殺人事件である。首謀者の角田美代子は、長年に渡り、様々な家族を乗っ取り、金を脅し取ったうえで、崩壊させていった。その過程では、少なくとも9人が死へ追いやられており、しかも角田美代子が直接手を下すのではなく、取り込んだ家族を意のままに操り、家族同士で暴力を振るわせ壊滅させたことが特徴とされている。
逮捕から約1年後の2012年12月12日、角田美代子は留置場で自殺した。そのため本事件の真相が永遠に解明されない可能性は高い。だがそれを、巻き込まれた一人の人物の視点へ着目することによって、この事件がどのように起こりえたのか解明しようと試みたのが、本書『尼崎事件 支配・服従の心理分析』だ。
著者は、被告人Aの弁護団から依頼され情状鑑定を引き受けた、心理学者および情報科学研究者のグループ。実際に、裁判で提出した情状鑑定の報告書を加筆・修正したうえで、刊行された。被告人Aとは、2006年から尼崎事件の主犯であった角田美代子と同居し、尼崎事件として総称される事件の一部へ関与した岡島泰夫(仮名)。岡島は2件の殺人のほか、監禁、死体遺棄など4件の事件で起訴され、懲役15年の判決が下されている。
それにしても、暴力団等の組織に属していたわけでもない一人の中年女性に、これほど多くの家族が巻き込まれ、壊滅させられてしまったというのは、一体どういうことなのか。これまでほとんど類例がなかったと思われる事件の謎を、心理学的なバックボーンから紐解いていく。
ちなみに、ここで使用される心理学とは主に「ミルグラムの実験」と「スタンフォード監獄実験」の2つを指す。「ミルグラムの実験」は、ごく普通の一般人たちが、科学の発展に資する実験の実行者という役割を与えられ、研究者の指示にきちんと従うよう要請されただけで、通常自分からは決して行わないような残虐な行為をいとも簡単に実行してしまった実験のことである。
一方、ジルバルドーの「スタンフォード監獄実験」は、スタンフォード大学に模擬刑務所を造り、心身ともに健康な男子学生の被験者24名を無作為に囚人役と看守役に分けて、看守に囚人の監視をさせたものである。開始後数日のうちに、看守役が行動をエスカレートさせ、囚人役に病的兆候を示すものが出てきたため、わずか6日で実験中止になったことでも知られている。
これら2つの実験から導かれるのは、「個人の人格」よりも「状況の力」が優位に立つことにより、権力構造の中では、いとも簡単に特殊な心理状態へ移行するという事実である。しばしば人の行動を決めるのは、その人がどういう人物かではなく、どういう状況に置かれるかという点に依存するのだ。事実、岡島のパーソナリティ分析の結果からも、大きな偏りはなかったことが明らかになったという。
本書の恐ろしさは、3度に分かれてやってくる。まず最初に訪れるのは、本書に描かれた凄惨な記述による畏怖だ。尼崎事件に関しては、あまりにも事件の全貌が複雑すぎて、理解するだけでも難しい。しかし巻き込まれた加害者・岡島康夫の視点にフォーカスを絞ることで、様々なターニングポイントがクリアになってくる。
夜を徹して家族会議を行い、なぜか角田美代子への忠誠を誓い合う。命じられるままに、他人の見ている前で夫婦がセックスをする。逃げても逃げても、毎回必ず連れ戻される。家族同士で殴り合いをさせられ、やがて殺し合いへと発展する。その後は死体の解体作業までもを、表情一つ変えずに行う。思わず目を背けたくなるような情景が、学術的なトーンで淡々と綴られていく。
次に訪れるのは、このような服従のテクニックに対して、世の中があまりにも無知で無防備であるということへの恐怖感である。いわば「サイコパス」と称されたり、「社会の闇」と形容されることで片付けられがちであるが、この凄惨きわまりない行為が「状況の力」や「服従の心理」に精通すれば、スキルとして身につけられる類のものであることが見えてくる。
最後は、これだけ状況の力が支配的であるならば、もし自分が同じ立場になった時にも同様の行為を実行するかもしれないという恐怖である。パーツ、パーツだけを眺めていけば、荒唐無稽な行為をしているようにしか思えないが、それは日常という高みから眺めているからにすぎない。この悪魔の階段は、途中まで階段とは気づかぬほど緩やかで、気づいたときには既に逃れることが難しい。
本書の後半では、岡島の置かれた状況を時系列に並べながら、その時々における岡島の心理状況が分析されていく。キーワードは、「無力化」と「断絶化」である。始まりは、たった20万円の借金からであった。角田美代子がまず恩を着せ、貸しを作る。タイミングを見て難癖をつけ、恫喝する。さらに親分的な役割に徹し、社会生活の場から切り離していく。その後は異常な執拗さで、何度も迫る。誰も気づかないところで無力化と断絶化のプロセスが開始し、徐々に相手に対する優越性が確立されていく。
これを著者は、以下のような図式にまとめている。
優しさ・しつこさ・難癖 → 恫喝 → (虐待 → 無力化)n ✕ 断絶化
→ 心理的支配・ロボット化
驚くのは、岡島が何度となく訪れるターニングポイントにおいて、いずれも自分にとって最も事態が丸く収まり、最も速やかに「平和的解決」につながると思った行為を選び続けたに過ぎないということだ。その積み重ねから、やがてロボットのような存在に成り下がり、美代子の犯罪行為を幇助する羽目へと陥っていく。
家庭内暴力、カルト宗教、強制収容所、刑務所、軍隊等で用いられる、人間を奴隷化するための方策は、古今東西を問わず非常に似通っているのだという。昨今メディアを賑わす、野球賭博、ブラック企業、覚せい剤やテロといった大きな事件であっても、最初は実に小さな一歩から始まったことだろう。
本書に書かれている内容は、同じような状態に置かれた際、誰にでも起こりうることとして理解すべきであり、しかも出来るだけ早い段階で気付くことにしか防ぐ手段はない。人間を人間たらしめているのは、社会の中で生きてこそだ。他者との関係において存在する「自己」の感覚が粉砕されてからでは、もう遅い。