HONZの実話系担当を自認しているからか(誰も認めてないが)、私生活があまりにも平凡だからか、暴力や性の臭いのするノンフィクションに手が伸びることは少なくない。大抵は失敗に終わるのだが、本書も思わず買ってしまった。タイトルが『セクハラの誕生』で帯に「渾身のノンフィクション巨編!」と書かれたら、買わないわけにはいかない。失礼ながら、後悔する覚悟はできていたが、見事に期待を裏切られた。
本書は関係者の証言を軸に多くの文献を参照して、セクハラという概念がいかに日本に上陸したかを詳細に描いている。そして、ゆっくりだが着実にセクハラが日本に浸透していた結果、当初想定していなかった事態に陥っている企業社会の現状も浮き彫りにしている。著者は新潮社の『FOCUS』編集部、読売新聞、幻冬舎を経てフリー。文章も読ませるため、ぐいぐいと引き込まれる
セクハラの誕生は意外な形で始まる。舞台は1986年1月の千葉県船橋市の西船橋駅だ。
中年の泥酔男に執拗につきまとわれた女性が身を守ろうと男性をホームで押した結果、泥酔しきっていた中年はホームの真ん中当たりからふらふらと線路に落下し、電車が構内に入ってきても逃げられず、電車に轢かれた。女性は傷害致死罪で現行犯逮捕されたが無罪となった。当時、この事件は酔っ払いに寛容過ぎる日本社会という視点で捉えられたが、女性の識者や一部メディアは「性的ないやがらせ」が内包されていると指摘し、セクハラ議論の活性化につながっていった。1989年に「セクハラ」は流行語大賞に選ばれるが、西船橋事件の女性の弁護団が「セクハラを広めた」という事で受賞している。ただ、この時点ではセクハラという言葉は知っているが、よくわからないというのが大半の人の本音だっただろう。それは日米の企業制度とも大きく関わる問題だからだ。
セクハラという言葉のルーツには諸説あり、はっきりしないという。確かなのはアメリカで70年代前半から黒人差別より女性差別を問う訴訟が増加していったという事実だ。ただ、当初は、上司との性的関係を拒否してポストを廃止されたり、辞職に追い込まれたり、解雇されたりした女性が訴訟を起こしたが、「男女の個人間のトラブル」という理由でことごとく敗訴になっている。76年の企業側の責任を認めた裁判で風向きが変わり、前述の裁判も控訴審で逆転勝訴となり、米国では80年にセクハラのガイドラインが策定された。
そこでは大きく2つの判断基準が示された。ここでは至極単純化するが、ひとつは、性的行為を要求し、従わなければ雇わない、クビだと脅した場合(対価型セクハラ)。これは上司が人事権を握っている事が前提になる。もうひとつの指針は、職務遂行を阻害して、不快な労働環境を創出する効果を持つ場合だ(環境型セクハラ。これはわかりづらいが、卑猥な言葉を投げかけられたケースなどを指す。本書では上司や上司と寝て出世した同僚を訴えているケースが紹介されている。そういう人々が職場にいることは不快だという訴えであり、勝訴している。)そして、この二つの考え方はほぼそのまま日本に輸入されたため、混乱が起きた。
アメリカは部署レベルの上司が人事権を持つケースも多く、部下の仕事内容も契約書などで定められていることが少なくない。そのため、上司の性的行為の要求を拒否した事による、被害も証明しやすい。一方、日本は直属の上司が生殺与奪件を握っていない。せいぜいワンマンの中小企業の社長くらいだ。仕事もよく言えば柔軟性に富む。つまり、加害と被害の関係性を証明することが難しい企業制度と言える。アメリカでは対価型セクハラの事例から環境型に訴訟が移行したため議論の土壌があったが、日本では対価型が事実上成立しにくいため、世論を含め、「何がセクハラかわからない」という混乱が当初起きたのだろう。
こうしたセクハラ概念の難しさが浮き彫りになるのが、事実上、最初のセクハラ裁判となった89年の福岡県の女性の裁判だ。本書では、女性と会社の戦いだけでなく、女性と弁護団の軋轢も含め、当時の人々が働く女性をどう見ていたか、そして女性たちが何を求めていたかを当事者に取材し、克明に記している。
私自身、この裁判はリアルタイムでは知らないが、わずか20年前に過ぎない。冒頭で書いたように、89年の流行語大賞がセクハラなのだ。ただ、その後の20年の変化はあまりにも急速だ。01年には性差別性と上司から部下という一元的な権力性を超越したパワーハラスメントも提唱され、一気に広まった。著者はこうした動きに悲観的な見方もにじます。セクハラやパワハラという新しい言葉が定着した事で今まで見えなかった「被害」を可視化できるようになった意味は大きい。ただ、一方で会社員の意識が大きく変化せざるをえない現代を憂う姿勢も見せる。未来が信じられれば、どんなに滅茶苦茶に怒られても、耐えられるかもしれないが、今の会社の存続など一寸先は闇の状態では難しいだろうという。実際、男性の男性に対するセクハラや女性の男性に対するセクハラも激増しており、残る事例は「女性の部下から男性の上司に対するセクハラ」らしいが、本書に登場する弁護士は遠くない日に現実になる可能性があると述べている。本書の最後の方に登場する、労働環境の改善に動く女性弁護士の思いが印象的だ。「いつのまにこれほど職場の人間環境は厳しく、誰もがいらいらした時代になってしまったのだろうと驚くことがある。-中略―あの頃の労働環境の方がまともだった部分もたくさんあるのではないかという気がする」。