ムハンマド、あまりに人間らしさにあふれているではないか。といえば、不謹慎になるのだろうか。抜群に面白い伝記であった。イスラームの開祖、より正しくは、アラブにおける唯一神アッラーの言葉をつたえた預言者ムハンマドの伝記である。その啓示は、クルアーン(コーラン)としてムハンマドの死後20年たって公式に編纂され、聖典となった。いかにたくさんの人が、クルアーンの朗読に圧倒されてイスラームに改宗していったかに驚かされる。
クルアーンの内容の一部が紹介されているが、どこがそんなにすばらしいのかがわからない。当時のアラビア半島における社会状況もあるのだろうが、どうやら、それ以上にクルアーンの美しい響きが重要らしい。だから、クルアーンはアラビア語でないとダメなのだ。YouTubeで聞いてみると、意味がわからなくとも心地よい。砂漠のような環境で、美しい調べにのって語られる、住みよい社会を目指す教えというのは、当時のアラブの人たちにとって、よほど心にしみいるものだったのだろう。
絶対的な聖典であるクルアーンとともにイスラーム法の基礎をなすのは、ムハンマドの言葉(ハディース)と慣行(スンナ)である。その二つが編纂されたのと同時代、八世紀から九世紀にかけて、預言者ムハンマドの伝記が書かれている。それ以後、伝記や教えが種々脚色されていったことは想像に難くない。そのような後の時代の解釈ではなく、初期に書かれた伝記、それも時にはムハンマドに批判的である伝記、を元にまとめ上げられたのがこの本である。
ムハンマドは模範的な人物であり、ムスリムだけでなく、欧米人にとっても大切な教えを持っている。彼の生涯はジハードであった。
元カトリック修道女で宗教学者にしてジャーナリストである著者カレン・アームストロングのメッセージはこれに尽きる。ただし、ジハードは『聖戦』を意味するのではなく、『奮闘努力』-そう、あの寅さんが♪甲斐も~なく、と唄った奮闘努力-を指す。その奮闘努力の人生が、順をおって、マッカ(メッカはこう記述されている)、ジャーヒリーヤ、ヒジュラ、ジハード、サラームの五つの章にまとめられている。
最初の章では、ムハンマドの時代のマッカの状況や、アラブ諸族の社会制度、宗教などが解説されている。これがなければ、ムハンマドの教えがどうして大きな影響と軋轢を生んだのかは理解できない。預言者となる前の人生はよくわかっていないのだが、幼くして孤児になったムハンマドが、商売で成功したハディージャと結婚し、神の啓示をうけるまでがこの章の内容だ。
あまりアッラーが顧みられることなく、むしろ多神教的な人が多かった時代に、アッラーの遣わせた預言者として突如ムハンマドが現れた。そのような状況だけでなく、商業上の理由も大きくのしかかり、ムハンマドの教えは、貧しい人々を中心とした一部には受け入れられたものの、出身母体であるクライシュ族をはじめとするメッカの支配者層からは反発をうけ、次第に排斥されるようになっていく。
第二章のタイトルであるジャーヒリーヤというのは聞き慣れない言葉である。アラビアにおけるイスラーム以前の「無明時代」と訳されることが多いそうだが、その時代の男たちの性行である「暴力的で激しやすい短気さ、傲慢さ、部族優越主義」をさすらしい。ジャーヒリーヤになじんだ多くの人たちにとっては、平和的で神に従順になれというムハンマドの教えなどは問題外だった。なので、ムハンマドとすでにムスリムの一行は、マッカでの布教をあきらめ、あるいは追い出され、マディーナ(メジナ)へのヒジュラ「聖遷」を決行する。それが第三章である。
ジハードと題された第四章は、マディーナに移ったムハンマドとクライシュ族の戦闘の物語である。ムハンマドたちはマッカの隊商を襲い、そのあがりで生活していたのだから、マッカの人たちが怒ったのは当然だろう。戦闘が繰り返され、一度は、ムハンマドが死んだという噂が流れるほどの敗北を喫してしまう。いよいよ、マディーナに進軍するマッカ軍一万人の兵を、三千人の兵という圧倒的に不利な状況で迎え撃つムハンマド。しかし、ムハンマドの戦略が功を奏し、勝利する。この本でいちばんの戦闘シーンだ。
そして最終章のサラームは「平安」。勝利したとはいえ、マディーナにおけるムハンマドの立場はあまり良くなかったので、聖地マッカを目指すしかなかった。危険であるからやめてくれという側近の反対を押し切り、マッカ巡礼を果たし、争うことなく和平をとりつける。闘いを好まなかったにもかかわらず、闘いに明け暮れたといってもいい人生であったが、最後は、愛する妻アーイシャの腕の中で安らかに亡くなった。
この本を読む限りでは、ムハンマドは、悩み続ける指導者というイメージが強い。最初に啓示が降りた時、ムハンマドは喜ぶどころか、とんでもないことがおこってしまったと怯えおののく。以後の啓示がえらくご都合主義のように思える時もあったりするが、啓示がない時に決断するムハンマドの姿はすばらしくりりしい。そうかと思えば、妻は四人までと決めたのに、自分はその限りではなく、美人を見つけると結婚を申し込んでしまう。読み進めるにつれ、あれやこれやとえらく人間くさくて、なんだかとってもええ感じがするのである。
一夫多妻制やヒジャーブ(イスラムの女性がかぶるベール)など、イスラームの伝統的制度の由来も説明されていく。一夫多妻制は、女が男の財産としてみなされていた当時のアラブ社会において、女性の地位を高めるために制定されたものであった。そして、ヒジャーブは、単に、ムハンマドの家においてプライバシーを守るためのルールとして決められたものにすぎなかった。
しかし、どちらも、ジハードの意味と同様、後世、拡大して解釈・適用されていったのである。これらをはじめ、ユダヤ教徒に対する姿勢など、ムハンマドの時代と現在のイスラームの違いについて、目から鱗のような話がたくさん載っている。ムハンマドの人生はもちろんイスラームの原点である。しかし、原点というのは、後の広がりの基準とはなりえても、決してその広がりを規定しうるものではないのだ。
イデオロギーに突き動かされた安易な類型化を拒み、時に我々には受け入れ難い、あるいは受け入れられないことを行ったが、深遠な才能を持ち、剣に基づくことのない「イスラーム」―平和と調和-という名の宗教と文化伝統を創始したのである。
宗教や歴史の本として読むべきなのかもしれない。しかし、後にイスラームが爆発的に広がったことなど考えに入れずに、ひとりの人間の伝記として読むだけでも十二分に面白い。
イスラーム関係の本を読むと、知らない言葉や人名がたくさんでてきて、ホントにややこしい。しかし、この本には簡潔だが十分な用語と人名の解説が巻末についていて、リーダビリティーが抜群であったことを最後に付け加えておきたい。
イスラーム超入門書。でも、かなり勉強になります。
イスラームの歴史。ちょっと分厚いけど、すごく勉強になります。