ニューオーリンズの日刊紙『ザ・タイムズ・ピカユーン』に勤務していた1997年に地球規模の魚類供給危機に関する記事を書いてピューリッツァー賞を受賞した著者は、2006年に独立し、夕食の支度を担当するようになった。そのとき苦労したのが、家族全員を満足させる献立。息子は辛い物が好きでファストフードは食べない。娘は平板な味の白っぽい食べ物一辺倒。同じ親から生まれたのに、なぜ子どもたちの嗜好は、これほどにまで異なるのだろうか。そう思いを巡らせた作者は、ジャーナリストの好奇心をもって味の探求に乗り出した。
しかし、味の探求は、思っていたより簡単ではなかった。というのは、味覚は古代ギリシアの時代から、五感のなかでもっとも卑しい感覚として軽視されてきたうえ、視覚や聴覚や触覚とは違って主観的であり、個人差が大きいため捉えがたいのだ。とはいえ、近年の科学の発達にともない、こうした状況も変わりつつある。1998年に米国国立衛生研究所が甘さの受容体を発見して以来、現在では五つの基本味(甘味、塩味、苦味、酸味、旨味)の受容体がすべて判明し、第六番目の味覚として脂肪が認定されそうになっている。味覚は歴史においても、ひとりの人生においても、変化し進化する。そのため本書は、地球における生命誕生の瞬間から、現在、そして将来に通じる味覚の変遷を、興味深いエピソードや驚くべき科学的研究結果をちりばめながら綴っていく。その結果は、味にまつわる「よろず事典」だ。
もちろん本書には、原題『TASTY – The Art and Science of What We Eat』の通り、確固とした科学的知識がふんだんに盛り込まれているが(原著の原典リストは27ページにおよぶ)、科学的情報ばかりで読者が食傷しないように、著者は、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』、チャールズ・ダーウィンの『人間の由来』や『人及び動物の表情について』、セルバンテスの『ドン・キホーテ』などといった文献からも文章を引用して楽しませてくれる。また、砂糖の歴史では釈迦が、トウガラシの歴史ではコロンブスが、といったように歴史上の人物も多々登場する。
マッケイドは行動の人でもあり、家族を引き連れては、味覚探求の旅に出かけている。カリスマシェフでさえ口に入れた後に吐き出してしまうという、サメを発酵させた超臭い郷土料理『ハウカットル』を試すときにはアイスランドにまで足を運び、超激辛トウガラシ『カロライナの死神』を味わうときには、息子マシューがおともして、喜んで実験台になっている。娘のハナも、バーモント州のグルメ・チーズ工房の「ジャスパー・ヒル・ファーム」でチーズ作りに手を染めた。
しかし何といっても、日本の読者の関心を惹くのは、「旨味」や、麹を使った発酵食品に関する記述ではなかろうか。ご存じのとおり、旨味は1907年に、東京帝国大学理学部化学科の教授だった池田菊苗が発見している。残念なことに、当時その研究が発表されたのは国際誌ではなかったため、長く世界に知られないままになった。しかし今、アメリカでは「ウマミバーガー」や「ウマミカフェ」という名が商標登録されているという。「ウマミ」という言葉は、アメリカ人の耳に「何かミステリアスでリッチで魅力的なもの」に聞こえるそうだ。鰹節ならぬブタブシ(そしてトリブシ、ウシブシ)作製の試みも、とても斬新に思える。
本書には、最近の食のトレンドである「分子ガストロノミー」についても生き生きとした記述がある。しかしそれにとどまらず、さらに先端的な食の技術にもページを割いている。たとえば、人工の培養肉で作るハンバーガー、昆虫食、人体が必要とする栄養素を計算して作った「ソイレント」という飲み物。究極のバーチャル味は「デジタル・ロリポップ」だろう。これは、電極を口の中に差し込んで味を再現するもので、装置があれば、インターネットでプログラムをダウンロードすることによって、さまざまな味が楽しめるという。
ともかく、非常に多岐にわたる味覚のトピックを網羅している本書、どんな人にも面白く思える情報が必ず見つかることだろう。最後に、「苦味の遺伝子」と名付けられた第三章について一言触れたい。ジョージ・W・H・ブッシュ大統領(父のほう)が、こんなことを言ったという。「わたしはブロッコリーが嫌いです。小さいときからずっと嫌いでした。母に無理やり食べさせられていたんです。でも、わたしは今やアメリカ合衆国の大統領だ。だから、もうブロッコリーを食べるつもりはありません!」(インターネットで、George Bush and Broccoliと入力して検索すると、実際の動画が見られる)。ブッシュ家では、このジョージ・H・W・ブッシュ(第四一代アメリカ合衆国大統領)がブロッコリー嫌い、妻のバーバラ・ブッシュはブロッコリー大好き人間、そして息子のジョージ・W・ブッシュ(第43代アメリカ合衆国大統領)が、これまたブロッコリー嫌いだという。そして、その事実は5億年前のイソギンチャクに関係があるというのだ。
詳しくは本文に譲るとして、この苦味を感じるスーパーテイスターであるかどうかは、実は、案外簡単に調べられる。家でできる方法は、まず舌の先端に近い部分に青色の食用着色料を塗り、名刺のような厚紙に直径7ミリの穴を開けて舌の上に置き、その穴から、青色に染まっていないピンク色の茸状乳頭の数を数えるというもの。およそ35個以上あればスーパーテイスター、15個から35個ぐらいまでは普通のテイスター、15個未満の場合はノンテイスターだそうだ。もっと正確に調べたければ、日本でも、PROPを使う検査キットを入手することができる(2本で税抜850円ほど)。インターネットで「超味覚テストキット」と検索されたい。これでお子さんがスーパーテイスターであることがわかれば好き嫌いを責めずにすむようになるかもしれない。
なお、本書に関する著者へのインタビューや講演も、インターネットで視聴することができる。興味のある方は、ぜひアクセスしてみていただきたい。
・YouTube ideaCity 講演
・NPR ナショナル・パブリック・ラジオ インタビュー
・wbur: On Point with Tom Ashbrook インタビュー
・YouTube Author Story インタビュー
平成28年早春 中里 京子