「GDPは20世紀でもっとも偉大な発明のひとつ」
アメリカ商務省がここまで賛辞を贈るのは異例だ。しかしそれもその筈、GDP(国内総生産)以上に国の経済規模を測れる指標は存在せず、マクロ経済政策はGDPに依拠しながら策定せざるをえない。GDPは、アメリカ商務省だけでなく各国政府にとって経済政策を考える上で必要不可欠な経済指標である。一方で、これほど各国経済に多大な影響を与える指標にも関わらず、その真の姿はあまり認知されていない。GDP全史といえるような書籍は少ない。
本書は、この「20世紀でもっとも偉大な発明のひとつ」に焦点をあて、GDPの誕生とその後の発展の歴史を紐解いている。たった150ページ弱の分量に、GDPとは何なのか、どのように発展してきたのか、GDPに換わる新たな経済指標とは何かがコンパクトに詰め込まれており、GDP入門書としては最適の一冊だ。Wall Street Journal紙の2014年ベストブックにも選出され、Washington Post紙が必読書として推すだけあり、読みやすく、面白い。また、ところどころに散りばめられているGDPに関する逸話が本書をさらに面白くしている。
あらゆる経済政策を判断する上で使われる指標GDP。いかにも客観的な数値のように思えるが、実はあくまで人為的に計算される推定値でしかない、いわば「幻の数値」である。この「幻の数値」をめぐって政治家や経済学者は一喜一憂し、時の政権の命運までをも左右する。
歴史を振り返れば、英国サッチャー政権の誕生の裏にこの「幻の数値」が見え隠れする。1970年代の英国政府は、膨れ上がった「財政赤字の対GDP比」を切り下げるために急激な財政支出削減を実施し、英国経済を低迷させていた。この騒ぎにつけこみ政権奪取したのがサッチャーである。ところが後にGDPの数値は修正され、当時の「財政赤字の対GDP比」はそれほど深刻でなかったことが判明する。はじめからGDPの数値が正しく算出されていれば、サッチャーが歴史の日の目をみることはなかったかもしれない。この「幻の数値」が歴史を変えてしまった一つの事例である。
2009年に国家財政とGDP値の粉飾が暴露されたギリシャ。翌年、欧州経済危機を食い止めるため、IMFと欧州委員会はIMFの精鋭ゲオルギウ氏をギリシャの統計局長へ送り込むが、就任直後、彼は国内検察当局に起訴されてしまう。起訴理由は、ゲオルギウ氏曰く「帳簿のごまかしに加担しなかった」から。ギリシャに住む数百万人の命運を左右するGDP値をめぐっては、今でも映画なみのスリリングな展開が繰り広げられている。
このように政治と経済に大きな影響をもち、時代を翻弄してきたGDPであるが、経済の大きさをGDPで測るようになったのは実は比較的最近のことである。もともとは第二次世界大戦時の戦費調達用の統計値として開発されたGDPであったが、戦後、各国政府が経済をコントロールする上で使い勝手のよい経済指標として多用されるようになる。今では、専門家たちの何十年もの努力により、世界各国が使用する共通統計ツールへと発展を遂げた。
一方で、いまだ課題も多く指摘されている。特に声高に叫ばれているのは、「GDPは経済規模を測るにすぎず『人類の幸福』を測れない」という指摘だ。実は古くからある指摘で、GDP誕生時にも、軍事費など国民の経済的豊かさに直接影響しない財政支出を計算から外すべきとの意見があった。しかし、 戦争による景気浮揚を取り込みたいアメリカはこの意見を取り入れてこなかった。現代では福祉・環境を重視する新たな指標「人間開発指標(HDI)」や「持続可能経済福祉指標(ISEW)」などが普及しつつあるが、GDPを代替するまでには至っていない。
その他、「GDPは20世紀の大量生産経済を前提とした指標であり、21世紀型経済にはそぐわない」という指摘も根強い。GDPは物質的な豊かさを測るのに長けているが、無形サービス業やイノベーションなどには対応しきれていないからだ。GoogleやYouTubeの貢献はGDP計算上過小評価されているとの指摘もある。
本書のテーマは「GDPとは何か」だが、その裏には「経済とは何か」に対する著者の問いかけが込められている。著者が指摘するようにGDPは現代の社会観・経済観を反映しきれない時代遅れの数値になりつつある。今後この指標をどのように扱うのかを考える局面-更に進化させるのか、それとも新たな指標に乗り換えるのか-に立たされている。
統計が現実社会ではどのように作り出されているかを明らかにする一冊、『統計はウソをつく』。村上の書評はこちら。