今回紹介するのはNHKが制作した「山中伸弥教授が語るiPS細胞研究の今」だ。この番組はサイエンスに興味がある人だけを対象にしているのではない。パーキンソン病、心筋梗塞などによる心不全、軟骨無形成症などの難病、そして肝臓疾患などを抱える患者やその家族などにとっては希望の光になるであろう。それ以上に人類の未来に明るい展望を感じることができる素晴らしい番組だった。中東だけでなく世界中で政治や宗教の対立が起こっている最中、科学者だけが人類を前進させているエンジンなのだろうか。その科学の今を知るためにもおすすめできる番組だ。もちろん、生命科学を学びたいと思っている高校生などにとっては必見である。
ご存知のとおりiPS細胞は2007年に開発されたいわば万能細胞だ。最初に人体に応用されたのは網膜の病気である加齢黄斑変性だった。2014年に理化学研究所がiPS細胞から作り上げた網膜色素上皮シートの移植手術に成功した。番組では加齢黄斑変性症に続く応用として、いくつかの事例を紹介する。
最初に紹介されるのは、京都大学iPS細胞研究所による細胞移植による治療だ。iPS細胞から作った神経細胞を脳に移植することで、パーキンソン病を治療する研究を行っているのだ。パーキンソン病は脳の神経細胞が徐々に壊れて病気。その結果として神経伝達物質のドーパミンが減少する。6000万個の神経細胞を注射器で移植することで治療することを目指している。
番組では完全に分化した神経細胞以外を除去するためのセルソーターという機械なども紹介されていて、すでに研究が現実の治療レベルにまで到達しているという明るい希望を持ってみることができる。ちなみに加齢黄斑変性の高橋政代プロジェクトリーダーとパーキンソン病の高橋淳教授はご夫婦だという。
次に紹介されるのは心不全の治療に使われる心筋シートだ。iPS細胞から心筋細胞に分化させ、それを培養してから10日間で拍動を始めるという。動画じゃなければ、その神秘的な様子は判らないであろう。そのシートを心筋梗塞などで壊死した部分に貼り付ける。ここでは化学的に未分化細胞を特定し除去方法を開発している。大阪大学の澤教授は2年後をめどに実現すると胸を張っていた。
再生医療以上にiPS細胞の大切な使い方は、細胞移植や組織移植と比べて、より多くの患者に同時に対応できる治療薬開発だ。とりわけ難病の治療薬開発が期待されている。治験の前の動物実験などを減らし、細胞レベルでの薬効や毒性を知ることができるのだ。
番組では軟骨無整形症の治療薬開発について紹介されていた。軟骨無形成症とは1-2万人に1人発症する病気で、身長が130センチ程度までしか成長できない難病だ。再発見された治療薬はコレステロールを下げるために一般的に使われているスタチン。マウスで効果があっても、ヒトでは効果がないことがあるのだが、iPS細胞を使って実験室内で確認しているという。
番組の最後に紹介されるのはミニ肝臓だ。なんと、肝臓のもとになる細胞、血管のもとになる細胞、細胞同士を接着する細胞を混合して、立体的に培養するという。最初は5ミリメートルだったミニ肝臓を25分の1の200マイクロメートルにした。その結果、ミニ肝臓をカテーテルで移植することができる。アンモニアを分解できない病気などへの応用できるという。
臨床用の大量培養装置の開発も行われており、iPhonePlusの大きさで2万個のミニ肝臓の製造が可能だという。3年後の応用が期待されている。肝臓を大きく培養するのではなく、むしろ小さくして移植するという、20代の研究者による逆転の発想だ。
再放送は1月11日と1月15日。放送時間は50分間。録画して1.3倍速でみたら38分。テレビの威力を感じるひとときになるであろう。
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HONZがテレビ番組の紹介を始めるにはわけがある。本にはなくてテレビにあるもの、それは即時性と動画による情報量だ。とりわけ科学の本は専門の研究者が取り組んで最低でも1年はかかる。なにしろ研究者の本業は研究なのだ。しかし、たとえばiPS細胞を使った医療技術開発はまさに日進月歩。即時性のあるテレビの力を借りなくては、研究の中間点を垣間見るができないのだ。
さらに、動画が持つ視覚的な情報量は本の数百倍にあたるであろう。たとえば、細胞を選び出すセルソーターという機械を本で説明すると、数ページを費やしてもその形や大きさなどのイメージは伝わりにくい。しかし、テレビだと数秒で把握することができるのだ。
HONZは本を捨ててテレビを見よ、と言うつもりはない。両方を併せて現代に生きていることを大いに楽しもうと思うのだ。