『絶対音感』、『セラピスト』、『星新一』など多彩なテーマの著作で知られる最相葉月さんが、東工大にて非常勤講師として前期の4ヶ月間行った講義の記録である。この講義は池上彰さんの誘いによって実現したそうだ。東工大生、色々とうらやましすぎる。
「生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか」というタイトルから、最相さんが毎回どのように著作のテーマを選ぶかを話すのかと予想する人もいるかもしれないが、自身については自己紹介でさらっと触れる程度だ。取り上げられるのは様々な分野の研究者たちである。先人たちが取り組む研究の内容と、そのテーマに至るまでの人生、という2つの柱をもとに講義は進んでいく。
最相さんがいかに適役かということは、著作や記事を読んだことのある人なら容易に想像できるだろう。『セラピスト』で書かれた精神医学の中井久夫先生、『ビヨンド・エジソン』で書かれた博士12人の内の1人である地震学者の石田瑞穂先生など、講義に出てくる人々の多くは最相さんの取材活動と結びつきがある。
12回におよぶ本講義は、2回に1回の頻度で研究者本人がゲストとして登場する豪華な構成だ。前述した石田先生に加え、2大感染症(天然痘と牛疫)の根絶に貢献したウイルス学者の山内一也先生、ダーウィン進化論のもつ疑問を解決する唯一の学説として注目されている「不均衡進化説」の提唱者の古澤満先生など、幅広い分野の専門家が招かれるのは最相さんならではだろう。
読んでみてまず感じるのは、内容そのものの面白さだ。興味深い研究や研究者たちの生き様、知られざる逸話など、「生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか」というコンセプトを忘れてしまうくらい知的刺激に満ちた話題が繰り出される。
ゲストとして登場した聴覚研究者の柏野牧夫先生は、音の強さや時間差、高さなどの感覚処理機能という観点から、自閉症スペクトラム(ASD)の人とそれ以外の人の違いを探ろうとしている。これは、コミュニケーションができるか、相手の気持ちがわかるかといった話以前に、そもそもちゃんと聞こえているのかという視点からASDを見つめ直すというものだ。こうしたことは社会的に理解が進んでいないだけでなく、耳鼻科であっても「難聴ではないから」と見過ごされてしまうので、「自分の感覚にちゃんと問題あることが分かってうれしい」と被験者に感謝されることがあると柏野先生は語っていた。
マリー・キュリーに師事して放射線の研究に従事した山田延男という研究者がいたことはまったく知らなかった。彼は放射線化学研究で犠牲となった、最初の日本人である。マリー・キュリーの娘イレーヌが夫と2人でノーベル化学賞を受賞した「人工放射性元素の研究」の過程に、31歳でこの世を去った山田の研究があったことは間違いないという。
他にも、南極越冬隊員の心理研究や、遺伝子診断における「知らないでいる権利」を世界で初めて問題提起したウェクスラー家の物語など、一般にはあまり知られていない研究、人物にスポットが当てられる。すでに伝記や評伝が出ている歴史上の偉人については、そこに書かれていない秘話を紹介するようにしたそうだ。やはり著作と一緒で、最相さんは持ってくる話題の角度が違う。そしてそれらがことごとく面白い。
講義のもう1つの柱は、生涯を捧ぐテーマに行き着くまでの人生であった。最相さんはこれまでの取材経験から、テーマが決まるには大きく分けて以下の4つのパターンがあると考えている。
①小さい頃からビジョンがあった
②やりたいことが分からないままとりあえず入ってみて、じわじわテーマに近づいていく
③セレンディピティ
④人とは違う考え方をする
講義に登場する先生たちも、子どもの頃にトンボを見た時に湧いた進化への問いが今の研究までつながっている先生や、学んでいた原子核物理の道を諦めて心理学へ方向転換した先生など、それぞれ違ったタイプの道のりを歩んできている。
生涯を賭けるテーマとは、筋道立てて考えた末にたどり着くというより、時とタイミングによって「出会う」ものなのではないか。様々な研究者の人生を聞いてみて、そんな印象を受けた。決まったやり方がないからこそ、この講義のように様々な人や物事に触れて目先になかったものを知ることで、「きっかけ」に遭遇しやすくすることが結果として近道になるのだろう。
脈絡があるような、ないような、幅広いテーマで繰り出される講義の数々。それらは最相さんの作風をそのまま体現したようでもあり、未知の物事や人物との接点にあふれている。未来の研究者たちにとってはさぞ刺激的な時間だっただろう。だが生涯を賭けるテーマとの出会いはどの分野にもつながる話だし、そもそも本書は知的興奮に満ちた科学読み物なのだから、やっぱり東工大生に独り占めさせるのはもったいない。
読む人によって刺さるポイントはバラバラだろう。広がりがある分読んでいればところどころで気になる話題に行き当たるはずだ。「生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか」という講義名だけ見るとなんだか肩に力が入るが、これは学生を呼ぶための工夫だと思われる。単純に新たな興味に出会う楽しさに満ちた一冊なので、目次を見て面白そうなところからつまんでいくぐらいの軽い気持ちでちょうどいいだろう。生涯を賭けるテーマとの出会いは、案外そうやって気楽に構えた時に訪れるものなのかもしれない。
最相さん自身の「テーマとの出会い」については、仲野徹が『セラピスト』のレビューで触れている鷲田清一先生と最相さんの対談が興味深い。
レビューには書いていないが、実は研究者以外にも、ショートショートのSF作家・江坂遊さんが講義のゲストとして登場している。生前、星新一が弟子と認めた唯一の人物である江坂さんが語る「ショートショートの発想法」も本当に面白い。
はやく読みたいです。