本書は、Agnes GIARD, Le Sexe bizarre: Prat iques érot iques d ’aujourd’ hui , Le Cherche midi, 2004 の翻訳である。原書はフランスでたいへん好評を博し、改訂版が出版されている。本訳書はその改訂に基づいている。
著者アニエス・ジアール紹介
アニエス・ジアールは、1969年、フランスのブルターニュ生まれ。実は日本文化・社会にかんする著作を多数刊行しているジャーナリストで、とくに日本の現代アート、アニメ、サブカルチャー、性文化の紹介者として、フランスでは非常に有名な女性である。2006年に刊行されたL’Imaginaire érotique au Japon(Albin Michel 発行)は、『エロティック・ジャポン』のタイトルで邦訳も刊行されている(にむらじゅんこ訳、河出書房新社、2010)。
その後も2008年には、日本文化を読み解くキーワード400を集めたLe Dictionnaire de l’amour et du plaisir au Japon(日本の愛と快楽事典、Drugstore 発行)、2009年には、信仰対象から大人のおもちゃ、オタク向け商品までを対象にした日本のデザインにかんするLes Objets du désir au Japon(日本における欲望のオブジェ、Drugstore 発行)を刊行。2010年にはフランス政府公認の日仏文化交流施設ヴィラ九条山(京都)に、フランス外務省後援レジデントとして半年滞在し、その成果を2012年、Les Histoires d’amour au Japon. Des mythes fondateurs aux fables contemporaines(日本の愛の物語――建国神話から現代の寓話まで、Drugstore 発行)として発表した。この本も、邦訳が刊行される予定とのこと。また2015年には、日本の擬人化オブジェをテーマとした博士論文をパリ大学ナンテールに提出、これを皮切りに、日本の人形、愛、記憶の関わりについて、研究を進めていくつもりだという。
このように、日本における愛と性のあり方についての研究に情熱を燃やす彼女だが、一方で世界中の性文化に対する目配りも怠りない。日刊紙『リベラシオン』のウェブサイトで2007年から連載しているブログでは、フランス国内を中心に欧米のセクシュアリティにかんする話題が主だし、日本のSM雑誌『S&Mスナイパー』の海外特派員として、同誌のウェブ版への移行後も含め、2000年から10年近くにわたって寄稿していた記事のテーマは、欧米のフェティッシュ文化事情だ。本書は、そうした取材で集めた情報が結実したものと思われる。
「ビザール(bizarre)」の意味
本書は、「ビザール(bizarre)」という言葉をキーワードとして、性文化の新しい動きを紹介・解説する作品である。しかしこの「ビザール」という言葉、日本でも知ってる人はすでにふつうに使っているのだが、広く一般に流通しているというほどではない。
巻頭に掲げたように、この言葉はフランス語でも英語でも同じ綴りで、辞書を引くと第一義は両方とも「奇妙な」となっている。だがもう少し詳しく見ると、両言語のあいだでニュアンスが少し違うように思われる。フランス語ではこの語は日常的に頻繁に口にされ、「ヘンな」という意味では最も広く用いられる言葉だ。英語でこれに当たる単語はむしろ「strange」とか「odd」だろう。『ロングマン現代英英辞典』などを見ると、英語の「bizarre」は、良い悪いの評価は中立的だが、「可笑しさ」「面白さ」のニュアンスが含まれると書いてある。
両言語間のこの違いを考えると、本書はフランス語で書かれた本だけれど、「ビザール」という言葉の使われ方については、むしろ英語のニュアンスを強く感じる。すでに目を通された読者の方も、「可笑しさ」「面白さ」を大いに味わっていただけたのではないだろうか。要するに、「他人(ひと)のセックスは笑える」のだ。どこか奇妙で、ヘンであるだけでなく、当事者が真剣であれば真剣であるだけに、いっそう可笑しく、面白い。これが本書を貫いている「ビザール」の意味だと言っても言い過ぎではないだろう。
このことは、「bizarre」という言葉の語源から見ても、的外れではないように思われる。この単語はフランス語から英語に入った。ではフランス語の語源は何かというと、スペイン語で「気高い」「雄々しい」という意味の「bizarro」だという。このスペイン語はさらに、「顎髭」という意味のバスク語「bizarra」と、「美しさ」「優雅さ」という意味のアラビア語「basharet」に遡るのだそうだ(19世紀のエミール・リトレのフランス語辞典の説。異説あり)。つまりもともとは「顎髭を生やし、優雅で、雄々しい」という立派な意味だったのだ。それがどうして「奇妙な」という意味に転じたのか、その説明は見つけることはできなかった。でもたぶん、スペイン人の立派な顎髭が、フランス人から見ると、とてもヘンで、笑ってしまったんじゃないだろうか。
明るい「ビザール」
しかしこの笑いはタダでは済まない。他人のセックスを笑う以上、自分のセックスが笑われることを、受け容れなければならないからだ。とくに昨今のようにセクシュアリティの細分化、多様化の時代にあってはなおさらだ。自分のセックスが標準(スタンダード)だと、言い切れる者は誰もいない。このことは肝に銘じておく必要がある。
本書に紹介されている当事者たちは、もちろんそんなことは百も承知だろう。笑われて結構、いやむしろ積極的に笑われたいと思っている節がある。「CHAP5」に出てくる人たちのように、笑うことがセクシーだからという意味(だけ)ではなくて、どのチャプターの登場人物も、みな真剣だが深刻ではない。明るいのだ。
実は訳者は本書を訳しているあいだ、コメディアンのラビット関根さんの、往年の芸のフレーズが、ずっと頭のなかでリフレインして困っていた。「バカバカしいと思うなよ、やってる本人大まじめ」というあの掛け声だ。彼はこの掛け声とともに、蟹とか鶏の着ぐるみ姿で舞台に登場する。最後は「見ているアンタはドッチラケ」と落とすのだが、もちろん本当は客席の笑いを求めている。本書に登場する人たちに、どこか似ていると思いませんか?
奇妙であること、ヘンであることは、笑って済まないこともある。性的指向を理由に死刑にされるという恐るべき現実を持ち出すまでもなく、スタンダードからの逸脱は時に悲劇であるはずだ。しかし本書には一貫して笑いが響いている。自分の「奇妙さ」を苦にして死のうとした人は一人も出てこない。それこそが、「ビザール」と、従来の「ヘンタイ」やら「倒錯」やらとの違いだ。本書が紹介している奇妙な逸脱は、かつてならそういった言葉で言い表わされたことだろう。しかし「ヘンタイ」とか「倒錯」の言葉には、アングラで湿った感じが付きまとう。あるいはそれを逆手に取ったような、高踏的な臭いがすることもあった。本書の「ビザール」にはそれがない。明るく、乾いていて、ポップと言っても良い。
この明るさはどうしたことだろう。これには技術の発達が大いに関係していると思われる。まず専門家でなくても加工しやすい、さまざまな素材がどんどん開発されてきていること。たとえば「ゼンタイ」という日本語で世界中に知られていて、てっきり日本の完全オリジナル・ビザールだと思っていた全身タイツも、実は同じことをタイでも独自にやっていたと本書に出てくる。つまりスパンデックスなどの弾性繊維が開発されたことによって、自ずと促された流れだったんだろう。洗練の度合いはもちろん人それぞれだが、誰もが手軽に変なことを試せるようになったことは確かだ。
技術革新のなかでも、パソコンの発達は非常に大きな役割を演じた。それによって逸脱のバーチャル体験が可能になったのだ。しかもその体験は、繰り返すことも、他人と共有することもできる。パソコンのおかげで逸脱の幅は大いに広がった。実際に手を下すと法に触れるようなことも含めて、何だってやれる。バーチャルとは言え、そのリアルっぽさは増す一方だ。それからもちろん、インターネットの発達がある。そのおかげで、同好の士が繋がることが、ものすごく簡単になった。自分は独りじゃないと思えるってことは、少数者(マイノリティ)にとってきわめて重要なことだ。たとえば都会の中心の怪しげなビルの一室で不定期に催される緊縛研究会、そこにたどり着かない限り本当の自分を解放できないという、せいぜい50年ほど前の光景がはるか昔のことのようだ。自分の指向を自分で肯定することが、今では格段に容易になってきているのは間違いない。
技術の発達は、今後も止むことはないだろう。それにともなってセックスは、ますますビザール化していくのだろうか。それが本当なら、性文化は必然的に小さな差異を追究する方向に進み、極限まで多様化・細分化されるに違いない。そうしていつか、人が自分の孤独にハタと気付く日が来るのだろうか。じめじめと暗く、危険で秘密めいた、かつてのマイノリティ・コミュニティへの郷愁に、浸る日が来るのだろうか……。
作品社 ヘーゲルやハイデガー等の古典新訳、ネグリやアタリ等の最新思想書、モディアノ等の世界文学、ハーヴェイ等の現代資本主義論、そして性の文化史……。上部構造から下部構造まで、上半身から下半身までをカバーする“総合”出版社。