宇宙はどのようにしてできたのか、その起源への探求は人類をひきつけてやまない。そのため「宇宙のはじまり」を扱った書籍は少なくなく、2011年新書大賞を受賞した『宇宙は何でできているのか』のヒット以降、関連テーマの出版点数は増しているように思える。インフレーション、重力、ダークマター、宇宙のはじまりに迫る様々な理論が、理論物理学者の手で語られてきたが、その理論家たちが巧みに描き出す宇宙の姿の土台となるデータは、誰がどのように生み出しているのか。
実験物理学者である著者は、宇宙誕生の謎を解き明かすための研究現場が実際にはどのようなものか、理論家がよりどころとするデータはどのように生成されているのか、実験家と理論家がどのような緊張関係のなかで互いを高めあっているのか、そして実験物理学者たちはどんなデータを求めて世界中で熾烈な競争を行っているかを、著者の一人称で語りかける平易な文章で教えてくれる。複雑な数式も登場せず、巧みな比喩が多く用いられているので、過去に宇宙モノの新書でつまずいた人にも是非読んで欲しい。研究者の生態を楽しく知りながら、インフレーション理論やビッグバンの概要を知ることができるはずだ。
ビッグバン以前の痕跡は空調の効いた研究室にこもっていては手に入らない。実験物理学者たる著者の職場は、標高5,000メートルを超えるアンデス山脈の砂漠の片隅。「ポーラーベア」と名付けられたその施設の周辺には商業施設などもちろんなく、そもそも人が住んでいない。ポーラーベアでは酸素ボンベが欠かせないというのだから、物理学者と一口に言っても、その研究者生活は白衣姿でフラスコに向かいあうというステレオタイプとは大きく異なる。本書に散りばめられた「ポーラーベアにいるとポテトチップスがやたら旨く感じられる」、「ごまドレッシングが外国人研究者にやたら喜ばれる」という日常生活のささいな描写が、現場の空気を感じさせてくれる。
地球の果てに出向いてまで著者たちが手に入れようとしているのは、宇宙最古の光、「宇宙マイクロ背景放射(CMB)」である。このCMBこそがビッグバンの始まる以前の宇宙の状態を教えてくれる鍵となるのだが、著者がこのCMBに狙いを定めるまでの研究人生は紆余曲折であった。
宇宙という極大を相手にする前、著者は素粒子という極小を見つめていた。加速器を扱う素粒子物理学の実験を専門としていた著者は、2001年に小林・益川理論の正しさを裏付けることとなるCP対称性の破れを発見する。後にノーベル賞を受賞することとなる、この世の根源である素粒子の深淵なる姿を予測した理論が確かなデータで間違いないものになったときのことを、著者は以下のように振り返っている。
理論と見事に一致する答えを最初に見たときは、自然界の奥底に素手で触れたような感覚があった。感動した。
素粒子物理学で確かな成果を出していた著者が宇宙へ目を向けるきっかけとなったのは、エコノミークラス症候群での、3週間にもおよぶ入院だ。普段とは違うことを考えようと思い立った著者は、宇宙観測の可能性について思いを巡らせた。そして、思考を深めていくうちに「素粒子物理学と宇宙論的な観測が深いところでつながっている」ことを確信する。しかし、広大な宇宙の何をテーマにすべきか、宇宙観測者としてはゼロからのスタートとなるのだから、闇雲に始めるわけにはいかない。そこで著者は、自らの最大の武器である加速器実験の技術と経験が活かせるかという視点でターゲットを絞り込み、最終的にたどり着いたのがCMBなのである。研究者としていかにインパクトを残すかという戦略的視点も実に興味深い。
素粒子という極小と宇宙という極大がつながっているのは、昔の宇宙が小さかったからだ。そして、宇宙がとてもとても小さかったときに起った現象こそがビッグバンであり、CMBはビッグバンによって生まれたのである。CMBとビッグバンがどのように関わり合っているか、著者はビッグバン仮説が提唱された時代にまでさかのぼり丁寧に説明を進めてくれる。また著者は、素粒子の研究も宇宙の研究も、どちらもこの世の全てをシンプルに描き出す「宇宙のルールブック」を追い求めていることに変わりはないという。
究極の目標は同じでも、素粒子物理学と天文学では、データの扱い方から大きく異なる。著者のもともとのフィールドである素粒子物理学では、解析者の主観を排除するために、測定する物理量を隠して解析作業を行う「ブラインド解析」が行われている(ヒッグス粒子の解析にも、ブラインド解析が使われたそうだ)。ところが天文学ではそのようなルールはなく、物理屋からみると系統誤差の扱いなどに違和感を覚える論文も多かったという。著者は物理屋の視点から、実験のやり方を1つ1つ改善していったという。アウトサイダーこそが真の飛躍をもたらすことが痛感される。
著者らと同じような視点からCMBを追いかけているグループは世界で30前後あるという。加速器実験に比べて格安で実施でき、期待される成果のインパクトはヒッグス粒子の発見にもひけをとらないというのだから、野心的な研究者が殺到するのも無理はない。現在のCMB観測業界を著者は、「一攫千金を狙う山師の集まり」の戦国時代だという。世界中の研究者たちが知恵の限りを尽くして我先にと宇宙誕生の真実へと駆けている姿には、ワクワクせずにいられない。宇宙の始まりという研究内容だけでなく、そこに携わる研究者たちの魅力までをも教えてくれる一冊だ。
6,000円超え、700頁に迫ろうかという大部だが、自信を持ってオススメできる一冊。専門的な内容を手を緩めることなく、それでいて素人にも分からしめる説得力を持って生命の惑星である地球の姿を教えてくれる。レビューはこちら。