『数学する身体』客員レビューとして登場した第一の刺客は、速やかにミッションをコンプリートし、公開翌日に重版が決定した。つづく第二の刺客は、デザインを始め様々な分野で活躍する小石 祐介氏。森田氏とは大学時代の同窓という間柄でもある小石氏は、森田真生の人となりから本書を読み解く。好評につき、第三弾も計画中!(HONZ編集部)
老人はあらゆる事を信じる。中年はあらゆる事を疑う。青年はあらゆる事を知っている。 オスカー・ワイルド
人生には奇妙な出来事がよく起こる。味わい豊かな偶然が生む機微を、優れた小説家はまるでそれが連続的な必然に導かれたかのように描く。ポール・オースターならばそれを『偶然の音楽』と言うだろうか。数学の世界も非自明な偶然に支えられているらしい。一見脈絡のない世界や概念が、「何か」をきっかけとして結びつき、想像をしていなかった新しい描像が立ち上がる。本書の言葉を借りれば、偶然とも必然とも言えないその「何か」は我々の中に立ち上がる「情緒」の現れなのかもしれない。
著者の森田真生を知ってからおよそ10年が経過していることに気がついた。この『数学する身体』を読みながら、数学や認知科学の本をよく読んでいた当時の自分のことを思い出す。
本書に登場する主要人物、岡潔。彼の言葉が書かれた直筆の色紙を、私は上京する直前、丁度自分の卒業と同時に退官するドイツ語の教師から受け取った。
人間は本当は不死である、それを知らないで説明できるものは一つもないのである。
この言葉の意味を、その当時はまったく解する事はなかったが、書の雰囲気が気に入り東京の一室で飾り続けていた。
森田真生と出会ったのはちょうどそのすぐ後だったろうか。当初はお互い工学を専攻していたが、本書で度々語られる「身体性」について随分と話しこんだものだ。身体性という言葉は当時、アカデミックなバズワードになりつつあったが、我々の対話はその言葉の領域を少しずつはみ出し、次第に「生きて、考えるとは何か」という素朴な、しかし誰もが抱えた経験のある形而上学的な問いの周りをぐるぐると衛星の様に回り続けた。
その後、大学を卒業した我々は本書にも登場する荒川修作の建築作品、『三鷹天命反転住宅』に同居する事になる。その頃、岡潔を読み始めた森田真生は数学を学び始め、私は「不死」について語る岡潔の書を「人は死なない」と公言した荒川修作が建てた部屋の一室に持ち込む事になる。そこに偶然とも必然とも言えぬ「何か」を感じた事を今でもよく覚えている。
身体的経験から全てを理解することの限界。その限界を超えて自然を理解するために古代人が発明し、自らの身体の延長として同化させる事を試みてきた数学。その原始的数学は次第に成長し「自然」となり、そこに風が吹き始め、生物が誕生し新たな「都市」が立ち上がっていく。
本書の中では、数学とはほぼ無縁だった著者が「私とは何か」そして「考えるとは何か」という誰もが抱える二つの問いに絶え間なく衝突し、次第に「数学という都市」の中に足を踏み入れる過程で生じた運動音が通奏低音として響き続ける。その中で読者の我々は著者によって先導され、数々の数学者の物語を歩みながら、最終的に二人の人物に邂逅する。
「私にとって数学とは何か」という自問自答の中、数学する自らに宿る「情緒」を通し、「心を写生」し続けた“岡潔”。そして数学的な思考の万能性と強力さを信じ、また同時にその限界を感じながらも、それを超えて「心の普遍的描像」を求めた”アラン・チューリング”だ。不死である事を知っていたかの如く設計図の無い人生に身を委ね数学に取り組む岡と、荒れ狂う世相と暗闇の中で真理への歩みを止めないチューリングという人間の姿を想像してみよう。すると我々も自然と「心」という言葉を折り返し地点にして、「生きて、考えるとは何か」という誰しもが抱える素朴な問いへ遡っていく。
『数学する身体』を通して我々が眺める風景は巨大な建築物を道路沿いから眺めたものというよりはむしろ、数学という都市にある「路地裏」の情景だ。数学とは無縁だと思っていればいる程、その路地裏で、まるでかつて自分がその場に「いた」かのような不思議な既視感を感じる事に驚くかもしれない。そこには我々が忘れかけている、何となく知っていたはずの情(こころ)の気配があるからだろうか。
古代の人々の知の体系とその系譜を我々が哲学と呼んでから久しい。西周(1829 – 1897)によって訳されたこの言葉、”Philosophy”はギリシア語の「知恵(sophia)を愛する(philein)」に由来する。本書に拠れば同様に“mathematics”もギリシア語の「mathemata(学ばれるべきもの)」に起源を持つようだ。
著者に導かれる道を辿り、そこで感じる既視感を顧みる。すると数学とは彼が語る様に「はじめから自分の手許にあったもの」を真摯に思い出す営みの一つなのだと気づく。そして我々も「自分の身体が遠い昔の頃から数学的運動を無自覚のうちに続けていた」事を自覚するのだ。
全ての頁を読み終わって、オノ・ヨーコのこの言葉がふと思い浮かんだ。
You may think I’m small, but I have a universe in my mind.
本書を通して「知を愛する」人が、少しでも世界に増えることを一読者として祈念したいと思う。我々はこの身体で今この瞬間から野生の哲学ができるのだ。
小石 祐介 KLEINSTEIN代表。1984年、米軍基地のある青森県三沢市に生まれる。東京大学工学部卒業後にブランクの期間を経てファッションの世界へ。COMME des GARÇONSにて国内を始め、パリ、ロンドン、ニューヨークなどの数々のプロジェクトに携わる。2014年に独立後はデザインを始め様々な企画を立ち上げ活動中。
人間の価値観、常識や慣習を変えるための試みとしてファッションに強い可能性を感じている。趣味は数学書や小説の読書、イラストや文章を書くこと。kleinstein.com noavenue.com
※客員レビュー第一弾、下西風澄氏のレビューはこちら