「癒しを求めて」
「極上のセカンドライフを楽しむ」
「ゆったりと海外生活」
パンフレットには謳い文句が踊る。東京ビッグサイトの会場で行われた「ロングステイフェア2012」には、海外移住を考える大勢の高齢者が詰めかけていた。著者が到着した午前10時の時点で、入口にはすでに行列ができあがっていたという。
東南アジアの人気は根強い。年金の範囲である程度充実した生活ができ、気候も温暖、地理的にも近いとなれば、現実的な候補になるのも頷ける。中でも本書の舞台であるフィリピンは、永住に必要なビザの取得が比較的容易なこと、物価が日本の3分の1から5分の1程度と安いことなどを理由に高い支持を集めている。
外務省の海外在留邦人数調査統計によると、東南アジア諸国の在留邦人数は、多い順にタイ、シンガポール、マレーシアときて、フィリピンは4番目である。だが永住者数においては、フィリピンが2位以下に比較的差をつけてトップなのだ(平成26年10月1日時点)。これらは高齢者以外も含めた数字だが、東南アジアの中でも老後の生活拠点としてフィリピンが高い人気を誇っているのは間違いなさそうだ。
著者はフィリピンを拠点に活動するノンフィクションライターである。元々は「日刊マニラ新聞」の記者としてフィリピンに住み始め、今年で在住11年になるという。「困窮邦人」と呼ばれる、フィリピンでホームレス生活を送る日本人男性たちを取材した前著『日本を捨てた男たち』は、2011年の開高健ノンフィクション賞受賞作でもある。
移住フェアで喧伝されていた楽園のようなイメージに対して、現実はいかなるものか。著者はフィリピン社会を肌で感じてきた経験を活かしつつ、日本でも丁寧に取材を積み重ね、「脱出老人」たちの本音を明らかにしていく。
寂しさからの脱出、借金からの脱出、閉塞感からの脱出など、本書では多種多様な「脱出」の物語が描かれる。決断に至るまでの切迫度や心境は人それぞれだ。
2011年に地元の高知県から移住した中澤久樹さん(65歳)は、25歳のフィリピン人妻と一緒にセブ島の民家で暮らしている。さらに2人の間には、1歳4ヶ月になる息子もいるという。日本の感覚からすると「40歳差夫婦」はなかなかのインパクトだが、こうしたケースはフィリピンでは普通とは言わないまでも、それほど珍しいことではないという。
「フィリピンに来なかったら、今頃日本で1人寂しく暮らしていたと思います」と語る中澤さん。とはいえ現実的には自身に対する愛情より、お金に対してのそれの方が大きいことも頭では理解している。
「若いフィリピン人女性が日本人のおっさんなんかに愛情がないのは承知の上です。『俺は女房に愛されている』って言うおっさんたちは錯覚しているだけや。けちだったら女性が寄り付かないし、気前がよかったら有り金全部使われる。うまくいく分岐点は、その中間かな」
どこか達観している中澤さんだが、彼は「幸せ」であることが傍目にもわかりやすい例だといえる。というのも、本書で描かれる「脱出」には「果たしてそれは幸せなのか」と判断に迷うものが少なくないのだ。
森脇優子さん(仮名、58歳)は、84歳の母親をセブ島の高級コンドミニアムに住まわせている。自身は日本で暮らし、1ヶ月に1度のペースで様子を見に来ているが、母親は英語も喋れないそうだ。「トイレ掃除はしない、お風呂掃除もしない、朝食も作らなければ何もしない、わがままな人」だった母親と生活を共にすることに、森脇さんとその弟、妹の3人の家庭が総じて根を上げていた。1人暮らしもさせてみたものの、そこもゴミ屋敷状態になってしまい、痺れを切らした末に移住を説得したという。
事情はあるにせよ、著者は「まるで姥捨山じゃないか?」と疑問を拭いきれない。しかし森脇さんは否定する。
「私は親を置いてくるという認識は全然ありません。母は日本にいるよりセブ島にいる方が幸せになれると思っています。日本にいて、汚く不衛生なところで誰も声もかけてくれなくて。そういうところにいる方が危険じゃない? でもセブ島だったら、気候も暖かいし、ヘルパーさんも安く雇うことができるし、みんな親切で挨拶もしてくれる」
母親本人に話を聞くと「ちょっとは追い出されたって気持ちはありますね」とこぼしながらも、「でも日本に帰る気はないです」、「こっちにずっと住んで、フィリピンの墓地に入ります」と言い切っていた。フィリピン人高齢者たちと早朝から太極拳の練習をし、フィリピン人のヘルパーとも、意思疎通に困ることはあるがそれなりにうまく関われている。森脇さんの母親にとってそんな環境は、近所付き合いがなかった日本での暮らしと比べると、決して悪いものではないのかもしれない。
このあたりまで読み進めてくると、本書に出てくる個々の移住の是非について考えること自体には、それほど意味を感じられなくなっていく。移住に至るまでの事情から透けて見える、日本の高齢化社会の現実の方に視点が移っていくからだ。彼らが何を求め、どんな思いから「脱出」に踏み切ったのかを知ることは、日本から何が、どれほど失われつつあるのかを知ることでもある。
そう考えると、頻繁に日本を訪れて取材を重ね、その現状について、フィリピンの話と遜色ない密度で記述していくという著者の姿勢も腑に落ちる。もちろん、独居老人、孤独死、老老介護、介護疲れといった社会問題とは別の、まったく個人的な事情からくる「脱出」がたくさん存在することも事実ではあるのだが。
最後に、本書は日本の高齢化社会をただ憂うだけではないことを付け加えておきたい。ここに「脱出」という視点ならではの産物を見て取れる。「幸せになる人もいるし、そうではない人もいる」と述べた上で、著者はこのように語るのだ。
ただし、フィリピンでの取材を通じてこうは言える。
日本でそのまま暮らしたら寂しい老後を送っていた可能性の高い高齢者たちが、フィリピンに来た“から”幸せになった、という事実だ。
移住することで得るもの、捨てるものとを天秤にかけ、様々な感情に折り合いをつけていく。その末に、日本では手に入らなかったような形の幸せを掴み取った「脱出老人」たち。彼らは日本社会の現状を映し出すと同時に、それを受け入れた上で幸せに生きていくための糸口も示しているのだ。
閉塞感から脱する上で最も重要なのは「潔さ」である。そんな言葉が聞こえてきそうな、爽やかな読後感の一冊だ。
(年齢はすべて取材時点のもの)