次のレビューどうしようか。そんなことを考えながら眠りについての翌朝、6時少し前に大きな地震で揺り起こされた。で、落ちてきたのがこの本。少し前に読もうと思って本棚の手前に出しておいたのだった。落ちてきたのはこの一冊だけ。そのまま二度寝もできず、ええいと読み始めたらあっという間に見知らぬガラスの世界へ……どの本を手に取るかは、いつもこんなところから始まる。
そもそも手に取ったきっかけはカバーのコップの写真だった。独特のぬくもりを感じるこのコップに何を注ぐかはその人次第。そんな面構えがいい。コップにも面構えがあるのだな。ただし、そこはつくるひとの面構えがあってこそだろう。「奮闘」する主人公の左藤さんは、1964年に大分で生まれ、京都で学生時代を過ごしたのち、沖縄の『奥原硝子製造所』での経験を経て、京都・丹波で『左藤吹きガラス工房』を設立。2009年に千葉、九十九里浜の白子町に移転し、現在に至る。
と、経歴を言葉にまとめるとそうなるのだが、この紆余曲折がおもしろい。おもしろいと他人の人生に対して言っていいのかは知らないが、そうは簡単には行かないだろうことはこの社訓からもわかる。
「社訓」
零細の製造業として食べていくためには皆が通る道を迂回する知恵が必要だ。ひとが宙吹きなら自分は型吹き、ひとがカラフルなら自分はモノクロ、ひとがナチュラルなら自分はインダストリアル、ひとがアーティストなら自分は職工、ひとが出会いを大切にすれば自分は嫌な相手と絶縁する、ひとが内房線に乗れば自分は外房線に乗るという具合に。
内房線なら一本でいけるところを外房線に乗ろうというのだから、大変だ。デザインの勉強を断念したこと、大学卒業後現国の高校非常勤講師となるも、納得がいかず任期を終えて沖縄へ行く事、妻子と離れて長崎へ行ってみること、そしてガラス工房の立ち上げがうまくかない中での、製材所での右手の大ケガ……。この「迷いの時代」の描写には、ぐいぐい引っ張られてしまった。
臨場感をもって読んで行けるのは、ブログから引用されたご本人の独特な文章と、それを補完し、うまく昇華させる木村さんの文章ががっちりとタッグを組んでいるからだと思う。事実関係がさらりと説明されつつ、左藤さんのひとりごとのような吐露がうまくなじんでいるのだ。関係性ができているからこそ、話すべき事を話し、聞くべき事を聞けたのだろう。
読めば木村さんは白子町に何度も出かけており、市に出展するときにも手伝っているようで、読んでいると一緒に出かけているような感覚にもなる。左藤さんとお客さん、ないしは商品を販売するギャラリーとの関係までも書いてあるのは、木村さんの実家が干瓢問屋で商売をやっていたお家のご出身だからなのか。
そのおかげで、左藤さんが、ものづくりに対する頑固さを保ちつつ、一方でお客さんのことをよく見て、時代をじっとにらんで商売をしていることがよくわかってくる。市に出展したときのお客さんひとりひとりを観察する様子は、圧巻だ。男女の相違や、どういう層がどう眺めるか、どう作品を手に取るかはもちろん、これは妻の弥子さんの言葉だが「ほんとうに買ってくれる人は黙って、少し怒ったような顔をしてガラスを見てる」という。
佐藤さんは廃瓶を再利用した材料を使っているが、その瓶を集めるところから、発送や製作スケジュールを管理するまで、この弥子さんがまた、会ってみたくなるような人。途中で出てくる彼女の手料理メニューには、とにかくお腹がぐーぐー空いてくる。
うらやましいといえば、高温の現場の作業後のビールの描写の美味しそうなこと。このコップで飲んだらさぞやまた。左藤さんの娘さん、いい子だろうなあ。工房は継がなかったようだけど、家族3人での丁寧な商売の中で育っているからさぞや。そもそもこのコップを毎日使っていたらいい子が育ちそう。根拠はないけどなんとなく。
そんな想像をさせてくれるのも、この本の醍醐味かもしれない。
「あとがき」で左藤さんはこう書かれている。
この本の案を木村衣有子さんから聞かされたとき、これから手仕事をやりたいと思っている人のガイド本みたいな役割も持たせたいという説明があり、私もそれに賛同した。
この「手仕事」がどこまでを含んでいるのかはわからないけれど、我がことのように読める人は多いように思う。ものづくりをしていなくても、日々丁寧に仕事をしようとしている人には、どこか読んだ後に満ち足りてくるものがあるはずだ。ものをつくること、ものを売ること。私はそれをかみしめることができた。
最後に左藤さんのブログから印象的なものをひとつ、ちょっと長いけれど紹介しておこう。ブログにファンが多いというのも頷けると思う。
「火を消して」
炉に火が入っているうちはトラブルが心配で気が休まらない日々が続く。停電でユニットが止まらないかとかいきなりルツボが割れないかとか制御盤がショートしないかとか。色んな不安がそこに集約されている。で、火を消してみて安心するかと思えば、そんなことはなくて、もっと根本的な不安が顔をもたげるのです。あなたが人生に感じる不安と同じです。何人たりともそれから逃れることは出来ないのです。語り口が変です。(2012.5.21)
*写真は木村さんにご縁あって提供いただきました。