僕たち人類は、約20万年前に東アフリカのサバンナで生まれた単一種(ホモ・サピエンス)が、世界中に拡がっていったものである。それと同様に、よく知られている4大文明も別々に生まれたのではなく、世界最古のメソポタミア文明が四方に拡がっていったものであるという説が唱えられている。
「ものごとの本質は祖型にこそよくあらわれる」、そうであれば、僕たちの文明がどこへ行くのかを考える際のヒントとして5000年前にメソポタミアで生まれた文明の起源を探ってみるべきではないか。それが本書の立場である。
文明はシュメルの都市で生まれた。都市は城壁で囲まれていた。従って君主は城壁冠を被るのである。職業と身分が分化し「契約」という概念が生まれた。為政者は暦をつくり時間を支配した。「文明社会は為政者が、近代以降ならば資本家も加わって、時間によって民衆を管理する社会である」。
1週間や時計の12分割の文字板もメソポタミア起源である。点の都市国家が水路、陸路を線として結んで初めて面(帝国)を支配できる。「山は隔て、海は結ぶ」ので水路がより重要であったが、シュルギ王などの帝王は街道を整備した。この道路整備の集大成がペルシアの「王の道」であった。
シュメルの国際通貨は銀(インゴット)であった。硬貨(コイン)は、紀元前7世紀頃、リュディアで生まれた。交易の必要性から文字が生まれ、保存性に優れた粘土板の図書館が整備された(アッシュル・バニパル王の図書館は有名である)。もめ事などはウルナンム法典に始まる法や条約などで裁いた。
しかし、シュメル人は男女の機敏に通じていた人たちで、男女のもめごとに他人は口をはさまないに限ると考えていた。どうしようもない場合は、神慮に委ねたのである(河の神判)。神判は賭博と類似のものとして把握されていた(わが国でも、神判を意味する鉄火が賭博の意味に転化した)。
建物の定礎式もメソポタミアに遡る。多神教であったが個人神を持っていた。「テルマエ・ロマエ」ではないが、僕たちが古代メソポタミアの都市国家にタイムスリップしたとしても、それほど違和感を抱かずにすむのではないか。「すべては変わったがなにも変わっていない」のだから。
最後に威信財としてのウマが登場するが(著者は競馬好きだったのだ)、シュメル時代の馬はパンダなみであった。フリ系のミタンニ王国の人、キックリは世界最古の馬調教文書を残している。前16世紀頃から馬で牽く戦車が使われ始め、戦争の様相が一変したのであった。
読み終えて古代のメソポタミアの社会がとても身近なものに感じられた。偶然にも同時期に『起源 』(ウィリアム・W・ハロー、青灯社)が発売された。同じことをより専門的に書いている。合わせ読むのも一興というものだろう。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。
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