地球以外のどこかに、生命の星は存在するのか? 本書はその謎に、地球惑星システム科学という観点からアプローチした一冊である。著者の阿部豊さんは、数えきれないほどの思考実験と分野横断的な分析を繰り返し、ある確信へと到達する。だがそんな彼を、突然病魔が襲う。
解説の阿部彩子さんは、共同研究者として、そして妻として阿部豊さんを支えてきた人物。彼女の目を見た本書の読みどころを、特別掲載いたします。(HONZ編集部)
「信念」を「科学」に変える
もしも、地球にある水の量をいまの10分の1に減らしたら何が起こるだろうか?
私たちが2011年に『アストロバイオロジー』という科学ジャーナルに発表した研究論文、「陸惑星の生存限界」のなかで答えようとした問題のひとつです。
私の夫、阿部豊の専門は「地球惑星システム科学」というべきもので、いわば地球物理学、地質学、鉱物学、地理学などの垣根を統合し、包括的にこの惑星のことを考えていこうという新しい学問です。
私の専門はその一部「気候システム科学」で、気候モデルを使ってコンピュータ上でシミュレーション(数値実験)をし、過去のたとえば氷河期の気候について調査をしたり、将来の気候予測の基礎研究をしたりしています。
私が所属する大気海洋研究所の前身のひとつである気候システム研究センターでは、「地球の将来の気候はどうなりそうか?」を研究するための気候モデルを90年代より開発してきました。その原型である大気大循環モデル(AGCM)を開発していた沼口敦博士(故人)が、地球上の水の量を減らした実験を夫に見せたのが研究の始まりです。その実験結果が火星のかつての姿に似ているのではないか、火星に水が大量に流れた痕跡があることの説明ができるのではないか、と夫はさらにたくさんの「もしも」を考えて大量の数値実験をしました。
2011年の私たちの論文のアイデアは、この大気大循環モデルを使って、生命の生まれる星の条件を探っていくというものでした。
冒頭の問いの答えはこの本の中でも紹介されています。読者のなかには、現在の水の量の10分の1、海がつながっておらず、大きな湖が点在しているような「陸惑星」のほうが、実は現在の地球のような「海惑星」よりも生命が見つかる可能性が高く、生命が生き延びる期間も長い、という結論に衝撃をうけた方もいるでしょう。
実際、2011年に私たちが『アストロバイオロジー』にこの調査の結果について論文を発表する前までは、生存可能な惑星といえば、地球タイプの海惑星、つまり惑星上の水がつながっているものについての研究が主でした。
それが、水の量の少ない「陸惑星」のほうが、全球凍結や暴走温室効果が起こりにくく、環境がはるかに安定している、という結果は、実は自分たちにとってすら予想を超えたものでした。当初私は海惑星を計算していて、夫が陸惑星を計算していたので、途中で何かの間違いが生じたのかも、と計算手続きを疑っていろいろなやり方で見直しました。そして、米国人の友人ケビン=ザーンレ博士(NASA)とノルマン=スリープ博士(スタンフォード大学)とも議論を深めて、出版にこぎつけたのです。
本書の白眉でもある「海惑星と陸惑星」(第5章)の考察につながることになるこの研究は、科学者阿部豊の資質をよく表していると思います。
それは、「もしも」「もしも」とたくさんの可能性を想像し想定しながら、大胆な問題を設定し、理論や数値実験の緻密な分析など科学的なエビデンスを積み上げていきながら問題を丁寧に解いてゆくというアプローチです。
本書は、まず最初に、地球のように生命が存在する惑星は、地球の他にもある、という言葉から始まります。これは「そうであるに違いない」という彼の「信念」からきているものです。言い換えれば思い込みにすぎません。まだ地球に近い条件の星が見つかったわけでもありません。しかし、それが必ず近い将来見つかるに違いない、だからこそ、今から科学の準備をしておかなくてはいけない。では生命が存在する惑星の条件とはどのようなものだろう、ということをひとつひとつ検討していくのです。それは惑星の気候分布であり、水分布や状態であり、あるいは、安定した二酸化炭素の供給を可能にする、地殻がマントルによって動いていくプレートテクトニクスであり、そして生物の材料物質となる「リン」の供給元としての陸地の存在であったりします。
こうした条件の検討の中で、太陽系で、地殻が動くプレートテクトニクスが存在する惑星は地球だけであるということや、火星もかつては生命の存在に必要な液体の水が存在したことがあった、といったことが明らかにされていきます。
こうした科学的考察の積み上げによって、実は生存可能な惑星というのは、現在の地球のような星である必要は必ずしもない、ということが読者にわかっていきます。
しかし、この本のタイトルが『生命の星の条件』とならずに、『生命の星の条件を探る』となっているように、「生命の星の条件」全てがわかったわけではありません。まだまだ、たくさんの「もしも」を考えて「どんな星なら生命が住めそうか」を考えなければいけません。さらには、それが広い宇宙の中で、遠くからはどう見えそうか、つまり観測でどう捉えるかの提案もしなければいけません。まだまだ研究しないといけないことが山ほどあるのです。
ですから、「地球以外に生命の星がある」という夫の確信を科学的に裏付けるための作業はまだまだ続きます。
それでもなお、夫は終章で、再び「地球以外にも生命の星はある」とその確信を披露するのです。それは、彼には自然に出てきた確信です。さらに、その「信念」に向かって科学を少しでも前に進めることが自分たちの使命だと考えています。このため、欧米に比べてまだまだ劣る研究環境にある若い研究者や教え子たちが、学問の壁も国境も越えて元気に先へとどんどん進めてくれるのを願って、日々一緒に研究を続けているのです。
夫は、自分の研究を一般の人々にむけてわかりやすく書くという本書の執筆に、この3年情熱を傾けてきました。
ALSという病気を2003年に発症したために、執筆にはたいへんな労力と時間がかかりました。大学の毎週の講義もそうなのですが、夫はまず、口述で自分の考えの速記をつくらせ、それをパソコンの画面上で修正していきます。身体の残された機能でカーソルを動かし修正点を吟味していくというやりかたです。
学校の授業がある間は、まず音声マシンで読みあげる授業用のテキストを毎週つくらなければならないため、作業は、主に長い休みを使ったものになってしまいました。
遅々として進まない作業に、苛立ったこともあったかもしれません。しかし、基本的には、本書の執筆を夫は心から楽しんでいたようでした。
それは、結局のところ本書のテーマが、「私たちはどこから来たのか?」という誰もが抱く普遍的な問いにつながるからであり、それは夫にとってずっと考えてきた切実なテーマであるからだと思います。
次は専門的な地球惑星システム科学の教科書を書きたいというのが彼の夢です。ばらばらに複雑化している地球惑星科学の基礎を「生命のいる星の条件」を考えるために自分の手でしっかりまとめたいと願っているのです。それは、「もしも」をいろいろ想定する上で欠かせない足腰を鍛える基礎です。
夫が現在の生命の星の条件を探る研究を仕事にするようになったきっかけは、幼稚園の時に出会った一冊の本に遡ります。それは、『せいめいのれきし』(バージニア・リー・バートン/文と絵、石井桃子/訳)という本でした。
日本では1964年に最初に翻訳出版され、現在も版を重ねているその本は、地球が始まってから今日までの歴史を、全部で5幕、34場の舞台で見せていくという趣向のものです。それは「私たちはどこから来たのか?」を子どもたちに考えさせる本でもありました。
「わたしたちの銀河系」から始まり、「わたしたちの太陽とその惑星」「わたしたちの地球と月」「カンブリア紀の海にうまれたいきもの」と続き、幕はついに現在まで到達したあと、さらにこう開くのです。
さあ、このあとは、あなたがたのおはなしです。その主人公は、あなたがたです
この本を読んでくれた方々が、科学者 阿部豊と一緒に、「地球以外にも生命の星はある」という「信念」を「科学」に変える探究を応援して参加してくださるなら、こんなに嬉しいことはありません。
阿部 彩子(東京大学大気海洋研究所 准教授)