北朝鮮は、統計上はアフリカの小国ガーナに似ている。2010年の人口は北朝鮮が2,440万人に対してガーナが2,470万人。一人当たりGDPはそれぞれ1,800ドルと1,700ドル。しかし、国際社会から受ける注目度や、先進国から引き出してきた援助の額、政治的譲歩において、北朝鮮はガーナなど比べ物にならない大成功を収めてきた。この差はどこから来るのだろう。
本書の序章には「驚異的な理性の国」というタイトルが付いている。もちろんそれは北朝鮮のことだ。活用できる資源もなく、経済は死に体、時代遅れのスターリン主義と君主制を貫き、核兵器を積極的に威嚇手段として用いるその様は、周辺国の人々から「理解不能な狂人国家」と思われている。ところがこの国の指導層は、自分たちが何をしているのか、実は完璧に分かっているのだ。
著者アンドレイ・ランコフは、ソ連に生まれ、留学生として平壌に住んだ経験もあり、現在は韓国の国民大学で教鞭をとる朝鮮半島史の専門家である。北朝鮮という国の成り立ちから金正恩政権の最新動向まで、また庶民の生活スタイルから政権の外交力学まで、余すところなく北朝鮮を体系的に伝え、いずれ避けられない金政権崩壊に際し、(韓国を主とする)周辺国がいかに対応すべきかの提言までが述べられている。
金日成の時代から、実は北朝鮮は一貫してリアリズムに基づいた外交を実践している。中国とソ連という二大共産党国家の不和をうまく利用し、貿易の名を借りた援助を引き出してきた。ソ連も中国も、北朝鮮を相手側に取り込まれたくないという思惑から渋々この小国を支援し続け、また韓国や日本といった自由主義国家に対する防波堤としても利用してきた。
ソ連が崩壊するとこれら二大国からの援助は大きく減少するが、時を同じくして北朝鮮は核兵器のカードを手に入れる。最初は90年代初頭にウラン濃縮疑惑を匂わせ、核開発の凍結を条件に日米韓から合計で25億ドル近い支援をとりつけた。2006年には核実験を強行し、今度は中国から大きな援助を勝ち取る。続いて2009年には長距離ミサイルを発射、翌10年には韓国の延坪島に向けての砲撃。
過去20年の間、北朝鮮の外交は常に同じパターンをとっている。危機を演出し、緊張を十分に高めてから諸外国に交渉を提案、そして政治的譲歩と援助を勝ち取る。著者はこれを「援助最大化外交」と呼ぶ。そしてこの目論みは、これまでのところ非常にうまく機能している。
北朝鮮が欲しいのは人道的支援などではない。指導層が自分たちの裁量で自由に使える金だ。そして核兵器を手放してしまえば、援助を引き出す最高の外交カードを失うわけだから、絶対に手放すつもりもない。かといって、韓国や日本と全面戦争をしたい訳でもない。戦争すれば国力の差で自分たちが負けることくらいは十分知っている。
北朝鮮外交の目的はただ一つ、金政権の生存である。そして核兵器は生存を保証する最後の武器だ。この国の指導層は知っている。サダム・フセインがアメリカに倒されたのは、「大量破壊兵器を持っていたからではなく、持っていなかったから」だということを。
北朝鮮も、いずれは中国のように共産党体制を保持したまま市場経済に移行するのだろうか。残念ながら、著者によればそれは期待できないようだ。東西ドイツの経済格差は1:3で、北朝鮮と韓国の格差である1:15(最悪の統計によっては1:40)より遥かに緩やかだったが、それでも東ドイツの住民は、ソ連の情報統制が及ばなくなり、西側の豊かさを知ってしまったとき、迷わず自分たちの政権を転覆させた。
「堕落した米帝資本の手先」と教えられてきた韓国が実はアジア有数の豊かな国だと知ったら、北朝鮮の国民はどう反応するだろうか。怒りに震える民衆が政権を転覆させれば、今の指導層やエリートたちは裁判にかけられ、身分を失い、最悪の場合は家族もろとも処刑されるだろう。自由化はあまりにもリスクが高すぎるから、指導層はそれを許容しない。これも合理的な判断に基づくものである。
核兵器も手放すことはなく、自由化も起きない。この国の未来は永遠に暗いままなのだろうかというと、実は新たな希望もあるという。
1990年代にソ連や中国からの援助が滞ると、それまで当たり前であった民衆への食料配給もストップした。そのままでは食べて行けない民衆は、家財を売り払って食料に変えはじめる。監視の目をかいくぐって闇市が開かれるようになり、やがて人々は小売りや卸売りも営むようになる。彼らは資本主義を再発見したのだ。
腐敗した警察は、賄賂と引き換えにこういった「違法行為」を黙認する。昔は禁止されていた海外の番組を受信できるラジオも、今では100万台が普及しているという。起業家精神に溢れる民間人が、中国から物資を輸入して国内で売りさばき、非合法に一定規模の事業を所有する例もでてきた。国営企業しか存在しないはずの北朝鮮で、今やレストランの6割近くが民間資本で運営されている。
DVDプレイヤーやパソコンも、もはや珍しいアイテムではなくなった。平壌では、USBスティックを首からアクセサリとしてぶら下げるのが流行っているそうだ。パソコンを所有していることを暗示するステータスシンボルなのである。
興味深いのは、このような資本主義をリードしているのが女性であるという点だ。北朝鮮では便宜上、すべての男性は国営企業での勤務が義務づけられている。しかし燃料不足で工場の設備は稼働できないため、彼らは錆び付いた機械の掃除くらいしかやることはない。
その一方で家父長主義的な文化は、女性を専業主婦として家に閉じ込めて来た。極度の貧困と、時間にゆとりのある主婦。この組み合わせが、女性たちを商売へと駆り出した。北朝鮮の闇市を取り仕切っているのは、家族を飢えさせてはならないという一心で、物を作っては売る妻や母親たちなのだ。職場でやることがない男性を、経済が停滞しているどこかの国の大企業サラリーマンに重ね合わせ、それが女性の社会進出を同じように促してくれないかと期待するのは、皮肉が過ぎているだろうか。
著者は、草の根資本主義を実践する民間人を支援することこそが長期的には周辺国にとっても一番よい結果をもたらすと述べる。豊かになった人々はDVDやパソコンを通じて海外の情報に触れることができ、それが経済が自由化を果たしたときのための準備にもなる。金政権に経済制裁を課したり、あるいはその逆の寛大な支援を与えたりしても効果がないことは、すでに十分実証されている。
旧ソ連に生まれ、共産主義政権の崩壊を体験してきた著者だからこそ、北朝鮮に住むごく普通の人々の気持ちもよく理解できるのだろう。共産主義が打倒されるとき、民衆は投票する権利が欲しくてそうするのではない。スーパーマーケットにたくさんの商品が並ぶような、豊かな生活を夢見るからこそ共産党を倒し、資本主義へ移行するのだ。
現政権が崩壊する日は、いつか必ずやってくる。今の状況があと数十年続くかも知れないし、来週突然崩壊するかも知れない。そして、周辺国には多大な影響が及ぶことは避けられない。そのとき私たちはどう対応すべきなのか。その提言も著者は余すところなく述べている。気になる人は是非本書を手に取って欲しい。
一切の理想論やイデオロギーを排除し、「パワー」のみを構成要素として、国家間の競争を説明する、地政学の理論書。歴史上の大国間の戦争は、すべてこの論理だけで説明できる。相手の国が何をしでかすか分からないという恐怖が、オフェンシブ・リアリズムという攻撃性を必然的に導く。平和(非戦争状態)を夢ではなく具体的な目標として考えたい人にも一読を勧めたい。
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