第二次世界大戦中に米国戦略諜報局(OSS)が作成したサボタージュマニュアルの翻訳本である。このマニュアルは枢軸国の占領下にある市民にできるかぎり仕事を怠けさせ組織の非効率化を図ることにより、枢軸国側の占領政策を混乱に陥れ、士気の低下や軍需物資の生産力を滞らせることを目的としている。
内容としては産業機械をそれとなく故障させるという技術的面が強いものから、「常に決められた手順を守れ」「文章による指示を要求し、誤った解釈をせよ」といったマネージメントに関係する物や「トイレを詰まらせる」「鍵穴に木片を詰め込め」といった悪戯レベルのもの、さらに遅滞性の発火装置を使って火災を誘発する方法と多岐にわたる。このような行為をひとつひとつを眺める事により、組織がなぜうまく回らなくなるかを逆照射しようというのが、本書の狙いであるようだ。
本書の「解説」では、第五章の11「組織や生産に対する一般的な妨害」というホワイトカラー向けのサボタージュに重点をおいて解説がなされている。ホワイトカラー向けサボタージュ戦略は以下の7点に大別されるという。
1) 形式的な手順を過度に重視せよ
2) ともかく文章で伝達して、そして文章を間違えよ
3) 会議を開け
4) 行動するな、徹底的に議論せよ
5) コミュニケーションを阻害せよ
6) 組織内にコンフリクトをつくり出せ
7) 士気をくじけ
この7点を見ただけで、多くのビジネスマンは「あー、あるある」と頷いたのではないであろうか。本書の「解説」ではなぜこのような非効率化が、何者かに意図されたわけでもないのに組織で発生するのかを説明している。
例えば1番目の「形式的な手順を過度に重視せよ」ではマッスウェーバーが提唱した「官僚制」の概念の有効性を説明しつつも、ロバート・キング・マートンが「官僚制の逆機能」と呼んだ「目的の転移」について言及する。巨大な組を効率的に運用するためには手順を的確に守る事は重要なのだが、いつしか組織内部では効率的な運用の手段であるはずの「手順の重視」そのものが、自己目的化されてしまう現象が発生するという。R・K・マートンはこのような状況を「訓練された無能」と呼んでいる。
「会議を開け」などは一見、正しい行動のように思えるが、集団で仕事をすると個々の働きが見えづらくなるために、社会的手抜きの発生を招くという。さらには集団の中で、おかしな意見を言い恥いてしまうのではないかという懸念から、発言の抑制がおきてしまう。このような心理状態を「評価懸念」というようだ。評価懸念により、多くの人が沈黙する中で一部の声の大きな人の意見が、多数意見のように錯覚され「公的同調」が場を支配してしまうという。アメリカでおきたスペースシャトルの2度の墜落事故も、会議にその原因があることがわかっているという。集団は正しい意見を持つ個人の力を時として封じ込めてしまう。
また会社以外にもこのような行動は、様々な点で見うけられるであろう。例えば話題の「安保法案」に対する報道でも、反対の立場をとる野党や報道番組でしきりと「もっと議論が必要だ」といった言葉で政権を批判する。これなどは上記4番の「行動するな、徹底的に議論せよ」ではないだろうか。今回の法案の賛否はともかく、組織の行動を停滞させるためには、とにかく行動を避け、徹底して議論をさせ続けるという事がいかに有効なのかがよくわかる。
またホワイトカラーの点のみに限らず、ブルーカラー向けのサボタージュである「トイレを詰まらせる」や「部品を補充しない」といった点も現場の監督者であるならば留意するべき点ではないか。例えば私の勤めている工場でも、ゴム手袋やタバコの箱をトイレに流して詰まらせる行為や、必要な状況がわかっているのに部品を補充しない、といった問題がしばしばおきている。本書を読むまで、私はこれらの行為がただの悪ふざけに過ぎないと思っていた。しかしどうやら違うようだ。
当然、私の職場に海外の工作員がいるわけではない。ただ今の工場の主力は非正規労働者だという点に注目する必要があるのだろう。派遣労働者や外国人の出稼ぎ労働者が、現場の半数以上を占める現代の工場では、20世紀初頭に科学的管理法を提唱したフレデリック・テイラーが指摘した組織的怠業などと関連させながら、本書を読んでみるのもよいのではないか。
当時のアメリカでは出来高給制度が主にとられていたのだが、人件費を抑えるために出来高の単価が極端に抑えられる傾向があったという。そのため労働者は効率よく労働するほど損をするという状態にあり、多くの労働者が経営者に対し不信感を募らせていた。このため、個人の労働倫理などとは関係なく、労働者の間で暗黙の了解として、わざと職務を怠け労働者の間で生産調整が行われるようなことがしばしばあったという。
近年の製造業ではグローバル経済のあおりを受け、極端な生産効率のアップを現場に課している状況だ。しかし時給で働く非正規労働者からすれば、無理をして生産を高めたところで特に大きなメリットはない。彼らがそのような苦労しても、時給のアップも正社員への登用の道も閉ざされたままである。現場で主力を務めている非正規労働者の間では、経営者や正社員の監督者に対する不信が積もっている状況は確かだろう。このような状況が、単発的なサボタージュを生み出している背景にあるのではないか。
このように自身が属している組織に蔓延するサボタージュの背景に、どのような問題が含まれているかとう仮説を立てながら読んでいけば、組織の硬直化を防ぎ、効率の良い組織運営を営むヒントが見いだせるのではか。本書はわずか120ページほどの小冊子である。薄い本とはいえ、会社の「あるある」本として読むだけではもったいない。組織の本質と、そこで働く人間の心理を見つめながら読めば、多くの気づきを与えてくれる優れた組織論となるであろう。