本書は2014年10月に出版された「Exponential Organizations」の邦訳である。「Exponential」とは「指数関数的な」という意味の単語で、ちょうど指数関数のグラフが急上昇するカーブを描くように、飛躍的な発展を遂げる企業のメカニズムについて解説した一冊である。「Exponential Organizations」を直訳すると「指数関数的な企業」になるが、本書ではイメージしやすくするために「飛躍型企業」という訳語で表した。
本書を執筆したのは、サリム・イスマイル、マイケル・S・マローン、ユーリ・ファン・ギーストの3人。さらに「まえがき」と「あとがき」に登場するピーター・ディアマンディスをはじめとして、多くのシンギュラリティ大学(SU)関係者が協力している。著者のひとりであるサリム・イスマイルは、そのシンギュラリティ大学の共同創設者だ。またユーリ・ファン・ギーストも、シンギュラリティ大学の卒業生であり、現在はシンギュラリティ大学サミット・ヨーロッパのマネージングディレクターなどの立場で運営に関わっている。
本文中でも「シンギュラリティ大学講師陣の研究成果を参考にした」と言及されている通り、本書はシンギュラリティ大学で教えられている知識や、行われている研究の成果を「飛躍型企業」というキーワードの下に整理している。いまシリコンバレーで注目されている、シンギュラリティ大学が教える世界最先端の経営理論というわけだ。
ではシンギュラリティ大学とは、いったいどのような教育機関なのだろうか。それを説明するために、まず「シンギュラリティ」という言葉を整理しておこう。
人工知能の発展でシンギュラリティがやってくる
シンギュラリティとは、「並外れたこと」という意味の英単語だが、科学の世界では「特異点」と訳される。一定の法則から逸脱するような現象が生じる点のことで、これまでとは異なる状況が生まれる瞬間、といった意味でイメージできるだろう。
特にシンギュラリティ大学が念頭に置いているのは、正確には「技術的特異点」と呼ばれるものだ。数学者ヴァーナー・ヴィンジと、人工知能研究者でシンギュラリティ大学の創設にも関わったレイ・カーツワイルが提唱した概念で、ある時点(特異点)を境に、科学技術がこれまでとは全く異なる速さで進化していくだろうという予測である。なぜそのような変化が生じるのか、カギを握るのは人工知能の発展だ。
人間の能力を上回るような人工知能が登場し、人工知能が人間に代わって技術を進化させるようになるため、人間による従来の技術進化の法則が当てはまらなくなるのである。カーツワイルはこの特異点が到来する瞬間を、2005年発表の著書『ポスト・ヒューマン誕生』の中で2045年と予測している。
もっとも、研究者によって予測時期には差があるし(カーツワイル自身、最近の著作では2029年に人間と同等の人工知能が誕生すると予測している)、シンギュラリティの理論自体を否定する研究者も存在する。
果たしてシンギュラリティは実現するのだろうか。私たちは研究者の声に耳を傾けるしかないが、確かに最近は「ディープラーニング」などの優れた技術が生み出され、人工知能の能力が急速に高まりつつある。また「ムーアの法則」で示されているように、技術の発展するスピードが加速を続けている。すでに従来の技術進化のスピードを前提に計画を練っていては、本書で取り上げられたイリジウムのように、大失敗を犯しかねない時代が到来していると言えるだろう。
技術が飛躍的に発展する時代において、ビジネスはどう変わるのか。人はどう働き、企業はどう運営されるべきなのか。またそうした飛躍型技術を駆使し、人類が直面する様々な課題を解決するにはどうすれば良いのか。それを考えるために登場したのが、2008年に創設されたシンギュラリティ大学である。
世界中から学生が集まり、次世代の技術と経営を学ぶ場所
シンギュラリティ大学はシリコンバレーにあるNASAリサーチパークの敷地内に置かれ、大学院生向けプログラムやエグゼクティブ向けプログラムなど、様々なカリキュラムを提供している。また本文中でも紹介されているように、スタートアップや企業を支援するプログラムもある。ただ柔軟なカリキュラム設定を行っている関係で、従来の大学としての認定は受けておらず、受講者に学位などが与えられることはない。しかし最先端の技術動向を学べる上に、世界トップクラスの研究者や経営者とのネットワークが構築できるとあって、大きな人気を集めている。NASAやグーグル、シスコなどが運営に協力しているという点も、世界から注目される理由のひとつだろう。
その注目度がどれほどのものか、提供されているカリキュラムのひとつ「大学院プログラム」で見てみよう。大学院レベルの知識を持つ人々に向けた、10週間にわたるプログラムで、定員は80名となっている。それに対して寄せられる応募は5000名以上。実に60倍以上の競争率だ。応募は世界中から寄せられ、たとえば2013年度の入学者は36カ国から集まった。学費はかつて3万ドル(約370万円)かかっていたが、グーグルなどのスポンサーシップにより、2015年度から無料となっている。
講義で触れられる技術分野は、人工知能とロボット、バイオロジー、エネルギー、医学、神経科学、ナノテクノロジー、デジタルファブリケーション、コンピューター工学、そして宇宙工学に至るまで多岐にわたる。参加者はこうした分野の最先端に触れた上で、これらを活用して「10億人に良い影響を与える」にはどうすればよいのかを考え、チームを組んで具体的なプランを作成する。10週間の短期間コースということもあり、参加者にはハードワークが要求され、シンギュラリティ大学を示す「SU」とは、実は「不眠大学(Sleepless University)」の略だなどと揶揄されることもあるほどだ。それでも競争率60倍という狭き門になっているのは、それだけシンギュラリティ大学のカリキュラムが評価されている証だろう。
本書はシンギュラリティ大学の研究成果をもとに、最先端のテクノロジーを駆使したビジネスの現状や未来をまとめたものだ。ウーバー、エアビーアンドビー、テスラモーターズなど、シリコンバレーの急成長企業がなぜ急成長できるのか、日本でビジネスをする人たちにもわかりやすく解説している。本書で紹介するように、こうした急成長をするには、これまでのやり方をまじめに進めるだけでは無理だ。何が必要になっているかを一言でまとめるなら「イノベーションを常態として考える姿勢」と言えるだろう。
これまでイノベーションは、あくまでも一時的で例外的な現象だった。新聞業界とインターネット、自動車業界と電気自動車、音楽業界とコンテンツ配信など、大企業は10年に一度、あるいは100年に一度の大変革に目を光らせ、その波を乗り切れば再び安定期に入ることができる──そんな具合だ。しかしいまや、イノベーションは常態となった。いま数百万円しているような機器が、1年後には数万円になり、誰もが手にするコモディティになっている。そんな急変が「起きるかもしれない」ではなく、「必ず起きる」という前提で行動しなければならなくなったのである。そうした根本的な発想転換をした上で、繰り返される変化とどう向き合い、組織を運営していくのか。その解を与えてくれるのが、「飛躍型企業」理論である。
必死になって製品やサービスの改善に努めているというのに、その10倍のパフォーマンスを発揮する競合品が、まるでコロンブスの卵のようにあっさりと現れる。そんな事態を予想するのは、感情的にも難しいかもしれない。だが技術の進化は止まるところを知らず、変化のスピードはますます加速している。変化を前提としなければ、先に変化したライバル──それはまさしく飛躍型企業となるだろう──に置き去りにされるだけだ。従来の法則から逸脱する成長が、当たり前のように生まれる「飛躍型企業の時代」に備えるために、本書を役立ててもらえたら幸いだ。
小林 啓倫
経営コンサルタント。国内SI企業、外資系コンサルティング企業等を経て現職。ライター/翻訳者としても活動する。著者に『ドローンビジネスの衝撃』(朝日新聞出版)『今こそ読みたいマクルーハン』(マイナビ)、訳書に『データ・サイエンティストに学ぶ「分析力」』(日経BP)など。