いまやゾンビは世界的なブームになっていて、映画やゲーム、小説、コミックはもとより、経済学、政治学などの本としても徘徊している。ネット上には「Zombie Research Society」なるサイトまであり、数十万人の会員が集う人気だ。もちろん、ここには「ゾンビ・サイエンス」のコーナーもある。
そう、「ゾンビの科学」は、最も旬な研究テーマのひとつであり、さまざまなトピックが科学誌を賑わせている。なかでも、本書の第5章・第6章で紹介されている宿主の脳を操る寄生生物は、きわめてHOTな研究分野だ。
たとえば、ネコなどからヒトの脳へと感染し、宿主の性格・行動まで変えてしまう寄生生物、トキソプラズマ。なんと感染者は、世界で30億人!と言われる。また、体外に寄生しているのに宿主の脳を遠隔操作できる魔術師のような寄生生物、さらに宿主を去勢したり、自殺すら導ける寄生生物もいる。いまだ謎も多いその秘術に先端科学が迫っていくくだりも本書の読みどころのひとつだろう(なお、こうした研究を方向づけたのは、リチャード・ドーキンスによる「延長された表現型」だが、近年、そのドーキンス序文による『Host Manipulation by Parasites』という面白いアンソロジーも刊行された)。
私たちは自分の体や脳を、当然のようにワタシのものだと思っている。しかし遺伝子から見れば、このワタシも寄生生物も、一緒の乗り物(ヴィークル=この体という環境)に同乗しているに過ぎない。実際、私たちは自身の細胞よりはるかに数多くの微生物とこの体を共有しながら日々暮らしている。こうして見ると、個としての〝ワタシ〟など、きわめて曖昧模糊としており、自分の意思や感情ですら寄生生物によって左右されているのかも知れない。
一方で、脳に装置を埋め込むなどして、感情や行動をコントロールする技術も開発されている。驚くべきことに、こうした装置によって、サルの集団の社会秩序を個体の操作によって再編成できたという。このことは社会集団ですらコントロールできる可能性を示唆している。
本書は“死”からの「よみがえり」についても探っていく。一線を越えてしまった科学者や医師たちのただならぬ熱情には圧倒されるだろう(そして一見マッドなサイエンスが人工心肺装置や神経科学などの発達を促したことも忘れてはいけない)。こうした科学によって、「死は超えるべき一本の境界線ではなく、限界の問題になる」。だからこそ、人間が極限状態にさらされる軍事・防衛にかかわる国家機関も無関心ではいられないのだ。米ソの蘇生医療の競争、アメリカ国防高等研究計画局(DARPA)による「人工冬眠」や「昆虫偵察機」の研究開発など、興味深いエピソードが満載である。
医療の進展は、「死者から授かった子ども」や臓器の密売ネットワークなど、私たちの倫理・良識を揺るがす事態を引き寄せてもいる。あるいは、遺体を環境にやさしい方法でリサイクルさせるというベンチャー事業ーーすばらしい技術だが、多くの人はなんだかイヤな感じを拭えないのでは?
その嫌悪感、おぞましさ、薄気味の悪さーーここに、科学では計り知れない私たち人間の心の闇が広がっている。ゾンビをテーマとして、自己と他者、生と死というボーダーを問いかける本書は、じつは裏側から「人間とはなにか」を炙り出す書でもあるのだ。
本書出版プロデューサー 真柴隆弘
インターシフト はや創業30年になりますが、出版社としてはまだヒヨッコです。自分たちが面白いと思う本だけをコツコツと作り続けて、なんとかどうにかやってます。今後の刊行予定などをちらっと・・・『人類を変えた素晴らしき10の材料』『眠りと夢と脳の秘密』『知能はどこまで伸ばせる? なにが効く?』『脳を操る寄生生物』(タイトルは変わる場合あり)etc