『チャップリンとヒトラー』イメージ大戦
本書は史実を丹念に追いながら、チャップリンとヒトラーのメディア戦争の実相を暴く一冊だ。
同時に、それはネット社会の現代を生きる私たちにとって非常に切実な課題を突き付ける。
はたして、迫り来る全体主義の恐怖の中で「笑い」という武器しか持たないチャップリンはいかにして悪夢の独裁者と闘ったのか。
「喜劇王」と呼ばれるチャールズ・チャップリンは1889年4月16日に誕生した。
世界中を震撼させたアドルフ・ヒトラーも同年4月20日、同じ週わずか4日違いで誕生している。
運命のいたずらか20世紀に最も愛された男と、最も憎まれた男は、偶然にも同じちょび髭をシンボルとしていた。うねる戦乱の渦のなか、それぞれ異質の才能を発揮し20世紀のモンスターへと変化していったが、両者はやがてイメージという武器でメディアの戦場に登壇する。ヒトラーにとってイメージとは、戦車や爆撃機と同じまたはそれ以上に重要な武器なのだ。
チャップリンは街中が戦争を礼讃するロンドンで生まれ育ち、1歳の時すでに両親が離婚。舞台女優である母親と一緒に暮らしていた。生活は極貧だったが、彼の言葉によると「偏執的愛国心」の虚しい観念に染まることはなく、母から授かったユーモアに満ちた人間味溢れる愛に支えられ成長した。あるとき、熱を出して寝ていたチャップリンに母がキリストの生涯を迫真の演技で演じたことがあり、幼いチャップリンは感動のあまり声をあげて泣いたそうだが、この体験がチャップリンの人生を貫く戦争観となったのかもしれない。晩年チャップリンは「暗い部屋で、生まれてはじめて暖かい灯を私の胸にともしてくれた。その灯とは、演劇や文学の主題となるもの、すなわち愛、憐れみ、そして人間の心だった」と記している。
今でこそ歴史的な名作と賞賛されているチャップリンの『独裁者』だが、当時は発表不可能と呼ばれた問題作でもある。制作当時のアメリカでは、ヒトラーを「ドイツを苦境から救った力強い指導者」と英雄視する傾向もあり、かつ反ユダヤ主義が根強い状況下、さまざまな批判と対立の圧力の中で撮影が進んだ。『独裁者』はユダヤ人の床屋がヒンケルという独裁者として演説を行うラストシーンがあるが、ヒンケルの衣装を着るとチャップリンは撮影時以外でも罵倒する口調になっていたという。
本書はNGフィルムやチャップリン家の所蔵品、膨大な情報と資料を網羅している。日本人だが海外でも名高いチャップリン研究者であり、チャップリンの遺族ともコンタクトし許可を得ている。文体はニュートラルな視点から、ダイナミックにチャップリンの人生の核心に迫るまでの幅の広さがある。
興味深いことに、ヒトラーとチャップリンはともに芸術家を目指していた。ヒトラーは青年期に画家を志しており、自らを「ずばぬけて絵がうまかった」と自画自賛している。しかし18歳の時から二年連続でウィーン造形美術アカデミー受験に落ちている。残された絵を見る限りでは、線の細いデッサンでおとなしい色使いであり、独創性や力強さに欠けたのだろうか。
だが芸術家とは強烈な自己顕示欲も同時に持つ。この後、ヒトラーはエゴン・シーレらが自分と違いアカデミーに迎えられた事について憤りを抱き、怨恨をエネルギーを変え、独裁者となると徹底的に彼らとアカデミーを弾圧下に置いている。そのままヒトラーはでっち上げの罪状、世論の統制、メディアキャンペーンによりチャップリンの映画を完全に排除しようとする。
また本書装丁はモノトーンを基調に使用する色は赤のみだ。赤はもちろんハーケンクロイツのシンボルを彷彿とさせる。『ライムライト』などチャップリンの映画はモノクロだが、それらシーンはモノトーンから想像できる装丁だ。
本書を読みすすめていくと、困難な状況に抗ってチャップリンが作り上げた事実は、やがてグローバリズムが世界を席巻し、テロや紛争が映像からインターネットによって戦場が頻繁に映る現代に一致していく。二十一世紀に生きる私たちにとって、多くのヒントを与えてくれるはずだ。
======================
内藤 順のレビューはこちら
鰐部 祥平のレビューはこちら
村上 浩のレビューはこちら