書店で見かけた本書の帯にはこう書かれている「イスラエル政府公認の初の資料!」と。
建国以来、常に近隣の国々と緊張関係にあり続けたイスラエルは、特異な歴史性から、その国家規模に比して驚異的な能力を持つ諜報機関を持つにいたった。IDI(イスラエル国防軍諜報機関アマン)、IDA(イスラエル治安機関シャバック)、そして対外諜報担うモサド。これらの組織は映画やドラマ、小説などの娯楽作品にいくども登場し、私たちに非日常の世界を疑似体験させてくれる。
しかし、娯楽作品やゴシップネタとして、その名前を頻繁に目にするこれらの組織の実態や歴史を知る機会は意外に少ない。そもそも諜報機関はその存在と活動が衆目に晒されることを嫌う。しかし、インターネットの発展とともに知る権利という概念が急速に発展する現代において、そのすべて覆い隠そうとすれば、かえって人々から奇異の目で見られ、根も葉もない憶測や疑惑を広める事になってしまう。
そんな時代背景もあっての事だろうか、イスラエル政府は退職した諜報機関のオフィサーたちに自らの体験を公にする許可を与えたのだ。無論、本書で語られていることは現段階で公にできる範囲の事に限られている。だが、諜報機関の重職を担ってきた者たちの手によるイスラエルの諜報戦の失敗、成功、そしてその歴史を綴った小論文集はこの上なく知的好奇心を掻き立てる。
イスラエルには上にも記したように3つの情報機関が存在する。IDIはイスラエルのインテリジェンス・コミュニティーの中で最大の組織で、国家情報分析に責任を持つ。通常の国ではこの分野は文民組織が行うという。IDI長官は首相と内閣のインテリジェンス・オフィサーだが、首相直属のモサドやISAとは違い、参謀総長と国防相に隷属しているという。
イスラエルで最も有名な諜報機関モサドは主に、海外で情報収集、敵の非通常兵器の獲得の阻止、テロリストによるイスラエルまたは海外のユダヤの標的に対する攻撃の阻止、海外での特殊工作などに従事している。またISAはテロ攻撃および防諜を主任務にいる。この二つの組織の長官は首相に直属している。
ちなみにスパイには関係否認の原則があるという。諜報部員には何らかの法的あるいは公式な立場が与えられていないという。よって現行犯で逮捕されたスパイには国際法や習慣に基づく特権を享受することが出来ないという。彼らは戦時捕虜ではないので、いかなる斟酌も保護も主張できないのだ。外国に自国のインテリジェンス・オフィサーが逮捕されている事実を政府が否定し続けると、逆に早期釈放される可能性が高まるという。これは世界中の諜報機関が採用する原則なのだそうだ。
またモサドにいたっては組織そのものを規定する法律が存在しないという。国内の治安を担当するISAには組織の地位を規定する法律が存在するが、国外で秘密工作などを行う、モサドにはそのような法的な規定はない方がよいという事らしい。
ちなみにインテリジェンスと法律の問題ではある種のジレンマが存在する。犯罪組織やテロ組織にエージェントを潜入させれば、潜入したエージェントは組織から違法行為への参加を迫られる。違法行為に手を染めなければ、エージェントは組織内のヒエラルキーを登ることが出来ず、貴重な情報へのアクセス権を得られなくなってしまう。法治国家であり民主国家であるイスラエルでは、そのようなケースがどこまで許されるのだろうか。エージェントを指揮するハンドラーは常にジレンマに悩まされる。
実際にラビン首相暗殺事件を調査していたシャムガール委員会がISAのエージェントの問題点を指摘している。彼らは自分たちには法律は適用されないと考え、重罪を犯していたケースが見られたと報告しているのだ。
ところでユダヤ人の諜報の歴史は聖書まで遡る事ができるという。聖書の中ですでにスパイに関する話が書かれているのだそうだ。諜報と敵対する相手の神話と文化を読み解く行為でもあるのだ。「有能な諜報員は詩を読まなければならない」とIDI上級将校シャイ・シャブタイ大佐は述べている。
エジプトの高名な画家エル・フセイン・ファウズィとイスラエルの詩人が語り合ったとき交わされた会話だ。「六日戦争であなた方はわれわれに屈辱を与えました。(中略)もしイスラエルの諜報機関が1967年以降に書かれた詩を読んでいたならば、1973年10月の戦争は避けられないこととわかったであろう」と。そしてイスラエルの諜報機関はエジプト人の詩を読んでいなかった。そして、それは今の日本にも当てはまる事なのかもしれない。
1973年10月の戦争とはヨムキプール戦争の事である。この戦争はイスラエルのインテリジェンス・コミュニティー最大の失策として真珠湾攻撃やバルバロッサ作戦などとも比較させられる事件だ。戦争が始まるいくつもの兆候がありながらイスラエル最大の情報組織IDIがエジプトの真の意図を理解することに失敗し危機的な状況に見舞われたのだ。
戦争前には、ラマダンの期間中の兵士たちにエジプト陸軍が食事をとるよう命令を出していたという。だがイスラエルの分析官はこの命令が何を意味するか汲み取ることが出来なかった。文化に対する理解不足が原因で貴重な情報を見逃してしまったのだ。
その他にも本書では様々な歴史的事件の際にイスラエルの諜報機関がどのように動き、なにが成否を分けたのかという分析が様々な方面から分析されている。失敗という厳しい現実からも目を背けずに、常に教訓を道行き出そうという姿勢こそが、この国の諜報機関の強みのひとつであろう。
イスラエルでは、ほんの些細なミスが国家存亡に直結する。現実から目をそらしている余裕はないのだ。甘えることは許されない。その証拠にIDI内部には、あえて多数派の意見に、強固な理論武装を行ったうえで反対意見を提示し続けるデビルズ・アボドケイト(悪魔の弁護人)と呼ばれる、他国では、ちょっと信じられないような組織まで存在するのだ。イスラエルという国家がとる行動と運命から、まだまだ目が離せない。