質問. ステーキを高いところから落として、地上に到達したときにちょうど食べごろに焼けているようにするには、どれぐらいの高さから落としたらいいですか?
──アレックス・レイヒ
答. 君がステーキはいつもピッツバーグ・ レアで、つまり、外は焦げているが中は生焼けで食べるのが好きだといいんだが。あと、落ちたステーキを拾ったら、解凍しないといけないけどね。
宇宙から戻ってくる物体は猛烈に熱くなる。物体が大気圏に突入するとき、あまりに高速になっているので、空気はその物体をよけるだけの時間がない。このため、落ちてくる物体の前でどんどん空気が圧縮されていく。 そして、圧縮された空気は熱くなる。大雑把に言うと、だいたいマッハ2を超える速度になると、空気の圧縮による加熱を感じるようになる(コンコルドの翼の前縁に断熱材が使われているのもこのためだ)。
スカイダイバーのフェリックス・バウムガルトナーは、39キロメートル の高さからダイビングしたとき、高度30キロ付近でマッハ1に達した。これだけの速度があれば、空気の温度を2、3度上げるに十分だが、高度30 キロぐらいまではずっと、気温は氷点よりはるかに低いので、温度が2、 3度上がっても大した違いはない(彼が飛び降りてまもなく、気温が約マイナス40度になったときがあったはずだ。このマイナス40度は、華氏なのか摂氏なのかを別に言わなくてもいい、不思議な温度。どちらの目盛でもマイナス40度なのだ)。
私が知る限りでは、このステーキを落として焼くことにまつわる質問が最初に登場したのは、英語圏を対象とした画像掲示板、4chanに立てられた、ある長大なスレッドのなかだった。残念ながら、そこでの議論は十分な知識に基づかない長々とした物理論争に陥ったうえに、同性愛者への差別的コメントも混じりはじめ、瞬く間に崩壊してしまった。明確な結論は一切出なかった。
それよりは少しましな答を提供するため私は、いろいろな高さからステーキを落とすとどうなるか、一連のシミュレーションをやってみることにした。
8オンス(約227グラム) のステーキは、 大きさも形もちょうどホッケーで打ちあうパックと同じぐらいだ。そこで、ステーキの抵抗係数の値は、『ホッケーの物理』 (未訳) という本の74ページにある数字を使うことに した(この本の著者、アラン・アッシェは実際に測定機器を使い、自らこ れらの係数を算出した)。ステーキはホッケーのパックとは違うが、正確な抵抗係数を使っても結果は大して変わらないことがわかった。
この手の質問に答える際、極端な物理的状況にある妙な物体についての解析が必要になることが多い。こういう解析に近い研究を探すとなると往々にして、冷戦時代の米軍の研究を参照するほかなくなる(当時米国政府は、大金をかき集めては、ほんの少しでも武器研究に関係がありそうな ことなら何にでも投じていたようだ)。落下するステーキが空気によってどのように熱せられるかを知るため私は、ICBM(大陸間弾道ミサイル)が大気圏に再突入する際のノーズコーン(ミサイルなどの先端に取り付けて空気抵抗 を減らす構造部)の温度上昇に関する論文を調べた。『戦術的ミサイル先端 部の空力加熱の予測』と『再突入する機体の温度変化についての計算』という2つの論文がとりわけ役に立った。
最後にもうひとつ必要だったのが、熱はどれぐらいの速さでステーキ全体に伝わるかを正確に知ることだった。まずは食品加工業界で、肉のなかを熱がどのように伝わるかを肉の種類ごとにシミュレートした論文がないか探す。そのうちに気づいた。さまざまな肉質のステーキを効率よく加熱するに必要な時間と温度の組み合わせを知るもっと簡単な方法があるじゃないか。料理本を見ればいい。
ジェフ・ポッターの『Cooking for Geeks─ 料理の科学と実践レシピ』は、肉料理の科学を楽しく手ほどきしてくれる素晴らしい本で、どの範囲の温度がどんな影響をステーキに及ぼすか、そしてそれはなぜかを説明している。クックス・イラストレーテッド・マガジン社の『おいしい料理の科学』 (未訳)もとても役に立った。
これらの情報をすべてあわせると、急速に加速しながら落ちるステーキ が高度30から50キロメートルに達すると、空気の密度が高くなって落ちるステーキを押し返し、加速を抑え減速させはじめることがわかった。
空気の密度があがるにつれ、ステーキの落下速度はどんどん遅くなる。 大気の下層部に達したときにどれだけの速さだったかにかかわらず、ステ ーキは急激に減速して終端速度になる。どの高さから落下しはじめたかに は関係なく、高度25キロメートルの高さから地面に落ちるまで6、7分かかる。
この25キロの大部分で、気温は氷点下だ。したがってステーキには6、7分にわたり、氷点下の冷たさのハリケーンなみの強風が容赦なく吹きつける。たとえそれまでの落下で加熱されていたとしても、地面に落下したときには、ステーキは解凍してやらなければならないだろう。
ついに地面に落下するとき、ステーキは秒速約30メートルの終端速度で 運動しているだろう。これが何を意味するか理解するために、メジャーリーグのピッチャーがステーキを地面に投げつけるところを想像しよう。少しでも凍っていたら、ステーキはあっけなく割れて粉々になってしまうだろう。しかし、水、ぬかるみ、草むらなどに落ちれば、おそらく割れはしない。
39キロメートルの高度から落とされたステーキは、フェリックスの場合 とは違って、音速の壁を破りはしないだろう。それに、それとわかるほど には加熱されないだろう。これは筋が通っている。なにしろ、フェリック スが飛び降りたときに着ていたスカイダイビング用スーツも、着地したときまったく焦げていなかったのだから。
ステーキも、もしも音速の壁を破ったとしても、おそらく持ちこたえるだろう。フェリックスと同行したパイロットたちも超音速に達する高度で 飛行機を脱出し、ちゃんと生還して状況報告したのだから。
音速の壁を破るためには、約50キロメートルの高度からステーキを落と さなければならない。しかし、これでもステーキを焼くところまでは行かない。
もっと高くのぼらないといけない。
高度70キロメートルから落とした場合、ステーキは十分なスピードに達し、短時間のあいだ180°C弱の空気を吹き付けられる。残念ながら、それ はせいぜい1分ほどしか続かない。少しでも台所に立ったことのある人なら誰でもわかるように、180°Cのオーブンに60秒間入れても、ステーキを焼くことはできない。
正式に宇宙空間との境目とされている高度100キロメートルから落としても、事態はさほど好転しない。ステーキはマッハ2を超える速度を1分半維持し、表面には焦げ目がつくかもしれないが、生じた熱は成層圏の冷たい打つような風で瞬時に吹き飛ばされてしまい、ステーキは焼けるに至らない。
超音速と極超音速のスピードでは、ステーキの周囲に衝撃波が生じ、これによってステーキはどんどん速まる風から保護される。この衝撃波面が 具体的にどのような性質を持っているのか、そして、それを元にステーキにはどれぐらいの機械的応力がかかると推論できるのか、具体的なところは、未調理の8オンスのヒレ肉が極超音速のスピードでどのような回転をするかに左右される。文献を探してみたが、この点に関する研究は見つからなかった。
このシミュレーションのため、速度が低い場合は何らかの渦が生じてステーキが回転するが、極超音速ではステーキはつぶされて、準安定な回転楕円体になると仮定した。しかし、これは当てずっぽうみたいなものだ。 この点について、もっといいデータを取ろうとして極超音速風洞にステーキを入れた人がいたら、ぜひとも私にその動画を送っていただきたい。 高度250キロメートルからステーキを落とすとすると、話は面白くなってくる。ステーキが温まりはじめるのだ。
高度250キロとなると、人工衛星などが周回する最も低い軌道、低地球軌道の高さに近づく。しかし、静止状態から落とされたステーキは、低地球軌道から大気圏に再突入してくる物体ほどのスピードには至らない。
このシナリオでステーキが到達する最高速度はマッハ6で、外側にはおいしそうな焦げ目が付くかもしれない。残念ながら内部はまだ全然火は通っていない。極超音速でぐるぐる回転させられて爆発し、木っ端微塵になっていなければ、の話だが。
これより高いところから落とす場合、ほんとうにかなりの熱が生じるようになる。ステーキ前方の衝撃波は数千度(華氏でも摂氏でも。どちらの単位でも同じこと)に達する。熱がこのレベルになったらなったで、また問題が生じる。表面は完全に焼き尽くされ、炭素の塊同然になってしまうのだ。つまり、真っ黒焦げになってしまうわけだ。
肉を火のなかに落とせば、真っ黒焦げになるのは当然の結末だ。極超音速で肉が焦げることの問題は、焦げた層は構造的に脆いので、風に吹き飛ばされてしまい、続いて、下から現れた新しい層がまた真っ黒焦げになってしまうという点にある(熱が十分高ければ、高熱により表面層が瞬間調理され、剥離して吹き飛ぶ。ICBM関連論文では一般に「融除層」と呼ばれるものに当たる層だ)。
これほどの高さから落としても、ステーキが高温にさらされる時間はまだ不十分で、とても中まで火はとおらない。スピードをどんどんあげたり、地球周回軌道から斜めに落としたりして、高温を通過する時間をかせぐこともできるが。
ところが、温度が十分高くなったり、加熱時間が十分長くなったりすると、今度はステーキが徐々にばらばらになっていく。というのも、外側の層が焼け焦げになって強風で吹き飛ばされるというプロセスが繰り返されるからだ。仮にステーキの大部分が地面にたどり着いたとしても、内側はまだ生だろう。
このため、ステーキはピッツバーグの上空で落とさなければならない。出所不明で、どうも眉唾らしい話なのだが、ピッツバーグの製鉄工たちは、炉から出てくる赤々とした鉄の塊の表面にステーキをたたきつけて焼き、外側を焦がし、内側を生焼けのまま食べるという。これが「ピッツバーグ・レア」の由来のようだ。
というわけで、 ステーキを準軌道(周回軌道に達しない、弧を描く軌道) 上のロケットから落とし、回収チームに追いかけさせ、回収後ブラシで表面 層を落とし、温めなおし、ひどく焦げた部分を切り落としてください。さあ召し上がれ。 ただし、サルモネラ菌にはご注意。「アンドロメダ病原体」にもね。