世界が猛スピードで画一化している昨今だが、多様性を保持する源泉は自然の中に残されていた。チベット、アンデス、エチオピア。標高2000m〜4000mに住む極限高地の人々には、現代社会が忘れてしまった何かがある。地理的、気象学的にも特異な自然環境ゆえの孤立した暮らしの中には、他の地域に見られない独自の文化が粛々と受け継がれているのだ。
本書は、極限高地と呼ばれる特殊な地域に住む人々の営みを追いかけた写真集である。撮影は、ドキュメンタリー写真家の野町和嘉氏。30年にも渡って彼が何度も訪れた、3ヶ所の高地における異次元な風景。それらをさらに俯瞰で眺めると、暮らす人々の間に普遍性も見えてくる。
厳しい自然環境を生き抜いている人々は、地域によって平地では考えられないような生活を強いられている。その中で人々は慎ましく満ち足りた祈りの日々を、世代を越えて受け継いできた。歳月を経て醸成されてきた民族文化の光景は、人々の息使いまでが聞こえてくるようなリアリティに溢れている。そのいくつかを紹介したい。
チベット
西チベットの秘境にそびえ立つ神の山、カイラス。一周52キロの巡礼路は、最高地点のドルマ峠で標高5600メートルにまで達する。この地域の巡礼で特徴的なのが「五体投地」呼ばれるものだ。酸素濃度が薄く、岩と雪渓が続く道のりを、まるで尺取り虫のように体のすべてを大地に投げ出し、黙々と巡礼に向かうのだ。
さらに四川省の東チベットには、標高約4000mの高地にアチェンガル、ラルンガルと呼ばれる二つの巨大僧院がそびえ立つ。丘から見渡せる大集落に僧侶、尼僧たちが住み、約16,000人が修業に勤しんでいるという。
アンデス
地球上を見渡してもこれほどの高地で栄えた農業主体の文明は、アンデス文明をおいて他に例はない。南緯13度という低緯度であったため、高地にもかかわらず温暖で、アマゾンからの湿気がもたらす十分な雨が豊かな収穫を育んできた。
ペルーとボリビアは、アンデスの中でも先住民文化がもっとも色濃い地域とされている。スペイン人による征服以降、土着の宗教とキリスト教は習合し、アンデス特有のキリスト教へ進化を遂げた。
1783年には、伝説に由来する巡礼「コイユリーテ」が始まった。アンデスの厳冬期に催されるこの巡礼は、世界でもっとも高い場所で行われる祝祭でもある。標高4700メートルの谷間に、イエスの化身である一人の少年が顕れたとされる巨石を、内部に収めたかたちで教会が造られている。
エチオピア
エチオピア高原は、モンスーンの雨の恵みにより豊かさを約束された高原である。そして6月から約3カ月間に渡ってもたらされる豪雨は、全ナイル川水量のじつに85パーセントを占めており、古代エジプト以来の砂漠の文明を支えてきたのである。
アフリカ大陸文化の縮図と言われるほどのエチオピアで際立つのが、エチオピア正教の存在である。周囲をイスラーム文化圏に取り囲まれている中で、古代ユダヤ教直系のキリスト教文化が脈々と息づいていたのである。それはまるで、雲間に浮かぶガラパゴスであった。
1月7日、エチオピアではクリスマスを迎える。岩窟教会で知られる聖地ラリベラでは、御子イエスの生誕を祝福するために全国から巡礼が殺到するという。貧しい農民たちは野宿を続けながら、何日もかけて徒歩でラリベラを目指す。
祈りの場を訪れる人々の心を強く捉えているのは神への深い畏怖の念であり、祈ることそのものが目的とされているようだ。
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エチオピア、チベット、アンデスという、それぞれ広大な大陸の尾根に相当する極限高地には、 他の土地から伝播してきた文化を、高地特有の感性でとらえ、普遍性を加え変容していくことによって独自の文化を維持してきた。
インドで成立し廃れてしまった仏教を独特の感性で探求し、物質文明に疲れた現代人の心を捉えたチベット仏教。およそ3000年昔に伝えられた古代ユダヤ教から派生したであろうエチオピア正教の不思議世界。そしてアンデスでは、征服者によって強制されたキリスト教に伝統信仰を忍び込ませ、アンデス特有のキリスト教へと変容させてきた。
そこには自然界が織りなす、贈与と試練が循環する社会の姿があった。見返りを求めずに燦燦と降り注ぐ太陽、仕返しのつもりもなく我々の行く手を阻む断崖や強風。 自己責任という言葉は、人間の思い上がりに過ぎないことを痛感する。
現代社会ではそれなりに信仰心の篤い人であったとしても、聖と俗という隣り合う二つの世界をを行き来しながら生きている。しかし極限高地という環境は特有の生命観と宗教観を育くみ、人々は聖と俗が重なり合うような空間の中で生きているのだ。祈るように暮らす人々の神々しさの中に、あなたは何を見ることができるだろうか。
<画像提供:日経ナショナル ジオグラフィック社>
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