平成19年の都知事選に、黒川紀章はなぜ立候補したのだろう。メディアはシボレーのキャンピングカーを改造した選挙カーやクルーザーを駆使した派手なパフォーマンスを話題にしたが、黒川氏が何を訴えようとしたのかは一向に伝えなかった。
功なり名を遂げた有名な建築家の戯れのようにさえ見えた。もちろん結果は惨敗だった。直後の参院選にも立候補、妻で女優の若尾文子さんも街頭に立ち「このままでは主人は蟷螂の斧になってしまいます。どうか当選させてください」と訴えた。が、これもまたあえなく落選、その3カ月後、この世を去った。
実は選挙戦の最終日、黒川氏は倒れて救急搬送されていた。末期がんだった。救急車の中で「みんなにもっと伝えなくちゃいけないことがあるのに」と何度も呟いていたという。
才気にあふれ、スタイリッシュで、政財界に華麗な人脈を持つ人物が、突然勝ち目のない戦いに突っ込んでいき、敗れ、死んだ。晩節を汚したという人もいる。そうなのだろうか。
建築という分野に疎くても、黒川紀章ならば知っているという方は多いだろう。コンクリートの巣箱を積み重ねたような「中銀カプセルタワービル」や大阪万博の「東芝IHIパビリオン」をはじめ数多くの作品を残した。がそれ以上に耳目をひいたのは、派手なライフスタイルとメディア戦略だった。
「建築」が限られたエスタブリッシュメントのものから大衆のものへと変わりゆく時代に、作品でも、自らの肉体や言葉でも饒舌に語り、つねに大衆にアピールした。メディアが産んでメディアが育てた時代の寵児のあとをたどると、そのまま戦後のメディア史になる。黒川氏の語る建築論とメディア論がシンクロするのだ。
読み進めるうちに「タレント建築家」と揶揄されようとも最後まで伝えようとしたことがなんだったかを考えずにはいられなくなる、読み応えのある一冊だ。
※産経新聞書評倶楽部から転載