本の帯に尊敬する半藤一利さんが次のように書かれていた。「東西の戦史の全容を網羅した決定版であり、正しい『歴史認識』のための必読書である」と。敗戦後70年の節目の年、これはもう読むしかないではないか。
物語は、1939年6月1日、ジューコフがモスクワに呼び出されるところから始まる。至急、モンゴルに飛んでほしい、と。ノモンハン事件(ハルハ河の戦い)に対処するためである。ソ連の機械化部隊の前に日本の「骨董品のような戦術・装備の」関東軍は屈辱的敗北を喫して「骨の髄まで震えあがり」対ソ 主戦論は姿を消した。8月に独ソ不可侵条約を結んだヒトラーは、9月1日ポーランドに侵攻して、ヨーロッパで大戦が始まる。英仏がドイツに宣戦を布告したからだ。
「まやかし戦争」と揶揄された西部戦線は、1940年5月、ドイツの電撃戦によって一挙に片がつく。マンシュタイン計画に従い、韋駄天グデーリアンが装甲部隊を駆って英仏軍を切り裂く。万策尽きたフランスは6月に降伏した。ムッソリーニのイタリアも遅れじとばかりに、6月、英仏に宣戦する。8月、ドイツ空軍による「英国の戦い」が始まる。しかし、チャーチルはめげない。9月、ドイツはイタリア、日本と三国同盟を結んだ(渡辺延志『虚妄の三国同盟』 岩波書店、を読むと、当時の日本外交のあまりのお粗末さに背筋が寒くなる)。
チャーチルにとってローズヴェルトとの関係は「抜きん出て重要な要素だった」。アメリカを巻き込むことなくしてこの戦争に勝つことは出来ない、と チャーチルは確信していた。チャーチルの思惑通り、ローズヴェルトは「デモクラシーの大兵器廠」になると宣言して、1941年3月「武器貸与法」を制定し た。「互いを舵蝎のごとく嫌っていた」日ソは、とりあえず裏口を固めておきたいと、4月に日ソ中立条約を結ぶ。ロシア侵攻こそチャーチルに降伏を呑ませる 最も確実な手段であるという至高の確信に包まれていたヒトラーは、6月にバルバロッサ作戦を発動する。
ゲッベルスは、「憎悪に恐怖を掛け合わせ」兵たちを 思うまま刺戦した。こうして独ソ戦は人種戦争の様相を帯びる。チャーチルは、「ヒトラーが地獄に侵攻したなら(地獄の)悪魔に声援を送らねばならない」と ソ連支持を鮮明にした。ローズヴェルトは武器貸与法をソ連にも適用する。「戦争の後半、赤軍があれだけの進軍を実現できたのは、アメリカ製のジープとト ラックのおかげである」。
怒涛の進撃を果たしたドイツ軍がモスクワを目前にして冬将軍に撃退された12月、日本は真珠湾を攻撃してアメリカと戦端を開いた。ヒトラーも対米戦争に踏み切る。「この瞬間、ドイツがこの世界大戦で勝利する目は完全に消えたのである。だがしかし、ドイツにはかなりの余力がいまだ残っており、途方も ない損害と死をもたらすことは、まだまだ可能なのであった」。
本書には興味深いエピソードが随所に挟まれている。再軍備間もないドイツ軍にとって、フランス軍から得た大量の車両がソ連侵攻に役立ったこと、蒋 介石の「以水代兵」策の酷薄さ(黄河の堤防を決壊させ、日本軍を5か月足止めしたものの80万人の死者、600万人の流民を生み出した)、君主制復活を望 むヴィルヘルム2世の電報を読んだヒトラーの言葉「なんという愚かものであろうか!」、ド・ゴールの自由フランスのBBC演説は、ワーテルローでナポレオ ンが敗れた125年目の記念日であったこと(ド・ゴールは気づいていない様子だった)等々、枚挙に暇がない。それにしても、第一次世界大戦の戦後処理があ まりにも拙劣であったとは言え、ドイツはどうして「史上最も性急かつ考えの足りない犯罪者(ヒトラー)」に国政を委ねたのだろうか(H・A・ターナー・ ジュニア『独裁者は30日で生まれた』、白水社、がその間の事情を物語っていて興味深い)。
500ページを超える大作だが、文章も読みやすく、かつ、世界全体の流れがよく整理されているので、一気に面白く読めた。中巻、下巻が待たれてならない。全巻を読み終えたら、中学生の時に愛読したウィリアム・L・シャイラーを再読してみたい。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。