『ネアンデルタール人は私たちと交配した』は、人類のルーツをめぐる最大のミステリーを古代ゲノム解読で突き止めた、スヴァンテ・ペーボ博士による回想記である。
本書の読みどころは、科学的な実験によって明かされる様々な事実の面白さのみならず、それを導き出すまでの長きに渡るプロセスも、余すところなく描いている点だ。「科学の営み」における光と影、その両面を知り尽くした分子古生物学者・更科 功博士の巻末解説を特別に掲載いたします。(HONZ編集部)
私たち現生人類、すなわちホモ・サピエンスは、二番目に脳が大きいヒト族である。そのホモ・サピエンスのひとりが、地球の歴史上、一番脳が大きいヒト族であったネアンデルタール人に興味を持った。彼はまったく新しい方法を使って、これまでまったくわからなかったネアンデルタール人の行動を明らかにした。それは、私たちホモ・サピエンスとネアンデルタール人の性交渉である。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、セックスをしていたのだ。
数万年前に、私たちホモ・サピエンスとネアンデルタール人が出会った時に、何が起きたのか。石器の技術が伝わるといった文化的交流はあったらしい。おそらく物々交換も行われていた。もちろん、争うこともあっただろう。ネアンデルタール人が絶滅したのは、ホモ・サピエンスが虐殺したからだと推測する人もいるぐらいだ。しかし実は、両者が争ったことを示す明確な証拠は今のところない。希望的観測かも知れないが、両者の関係は、おおむね良好なものだったのではないだろうか。
となると次に興味がわくのが、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の男女関係だ。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の体格は、ほぼ同じである。ネアンデルタール人のほうがガッシリしている分、体重はありそうだが、交配ができないほどの違いではない。ネアンデルタール人はヨーロッパという寒いところに適応したヒト族なので、おそらく色白だっただろう。ネアンデルタール人は、私たちから見ても、それなりに魅力的だったのだろうか。また逆に、ネアンデルタール人から見て、私たちはどういう存在だったのだろう。自分たちよりちょっと華奢で、ちょっと色黒で、上手に石器を作る手先の器用な人類といったところだろうか。本当にそんな両者が、交配することがあったのだろうか。
こればかりは、いくら考えても仕方がないと思われていた。化石の形態を見てもはっきりしたことが言えない以上、これは永遠に解かれることのない謎だと考えられていたのだ。ところが、その謎が鮮やかに解けたのだ。謎を解いたのは、スウェーデン人の分子古生物学者、スヴァンテ・ペーボである。彼とその仲間たちはネアンデルタール人のゲノムを明らかにして、私たちホモ・サピエンスのゲノムの中に、ネアンデルタール人の遺伝子が入っていることを突き止めたのである。この本は、そんな彼の自伝である。しかしこれは、自伝以上のものでもある。なぜなら、新しい分野の先頭を歩いていく研究者の人生は、その新しい分野が発展していく姿そのものでもあるからだ。
しかしペーボの研究生活は、順風満帆というわけではなかった。実はペーボには、若い時にエジプトのミイラのDNAを研究して失敗した、苦い経験があった。ミイラのDNAが見つかったという論文を発表したのだが、後にそのDNAは現代人のものであったことが判明したのだ。古代DNAの研究の難しさを身をもって知ったペーボは、それからは慎重になり、ナマケモノなどを対象として、地味ながらもきちんとした研究を続けていた。ところがそれが、ペーボの新たな苦難の始まりだったのだ(ちなみに「古代DNA (Ancient DNA)」と「化石DNA (Fossil DNA)」は同じ意味だが、古代DNAの方が一般的である)。
ペーボは「ズル」をしなかった
私(更科)は、神奈川県の茅ヶ崎の近くにある私立大学で、非常勤講師をしている。もともとは短期大学だったせいか、敷地はそう広くないけれど小ぎれいで、周囲は木々の緑に囲まれている。とても気持ちのよいところで、行くのが毎週楽しみだが、駅から遠いのだけが、ちょっと不便である。最寄り駅が二つあるのだが、どちらもバスで30分近くかかる。しかもピークを外すと、バスの本数が少ないのだ。
そろそろ木枯らしが吹き始めたある日、帰ろうと思って大学構内にあるバスロータリーに行くと、そこは学生であふれかえっていた。もう夜だったのだが、何か大学でイベントでもあったのかも知れない。長蛇の列がバスロータリーからはみ出し、大学の中心につながる通路にまで伸びている。遅い時間にこんなに混むのは珍しいので、学生も驚いたのだろうか、半分喜んでキャアキャア騒いでいる。まるでお祭りのようだ。まあ私は、うるさいのは嫌いではないので、周りでキャアキャア騒いでいるのは楽しいのだが、とにかく並ばなくてはバスに乗れない。バスの間隔は20分から30分である。次のバスに乗るのは絶対に無理なので、乗れるのはその次か、さらにその次になるだろう。
そういう状況になると、ちょっとズルイことをする学生が現れる。
「知り合いの女の子を見つけて、入れてもらおうぜ」
そんなことを言いながら、どんどん前の方に行ってしまう学生がいる。なんで「女の子」なのかはよくわからないが、女子学生の方が頼まれると断りづらくて、入れてもらえるということなのかも知れない。たしかに寒空の下で、1時間近くも待つのはつらい。でもほとんどの学生は、ズルをする人に文句を言うでもなく、正直に並んでいる。心の中では面白くないと思っている学生もいるかも知れないが、それでも正直に並んでいる。
そんな学生を見ると、私はペーボを思い出すのだ。ペーボもやはり、バスを待って並んでいたのだ。冷たい風が吹きすさぶロータリーで、ズルをする学生に追い越されながら、正直に並んでいたのだ。それも1時間ではない。二十年も並んでいたのだ。
いい加減な『ジュラシック・パーク』研究の流行
時は1990年。ペーボのグループがせいぜい一万数千年前の古代DNAを研究していた頃のことだ。ある別のグループが、衝撃的な論文を発表した。なんと約2000万年前の植物の化石からDNAを抽出し、そのDNAの塩基配列を決定したというのだ。これまでペーボが研究してきた古代DNAよりも千倍以上も古い。しかも報告されたのは820塩基対もあるDNAだ。ペーボたちが報告してきた100塩基対程度のDNAよりもはるかに長い。世界はペーボたちの研究のことなどすっかり忘れて、この植物化石の古代DNAに夢中になった。
さらにこの1990年は、『ジュラシック・パーク』という小説が出版された年でもあった。この小説では、植物の樹液が固まった琥珀の中から、蚊の化石が発見される。この蚊は恐竜の血液を吸っていたので、小説の中の研究者は、蚊の化石から恐竜のDNAを取り出すことに成功する。そして生きた恐竜を現代によみがえらせてしまうのだ。
だが、この小説は、ただの夢物語では終わらなかった。この『ジュラシック・パーク』が映画化された1992年には、本当に琥珀の中のシロアリから古代DNAが抽出されたという論文が発表されたのだ。この琥珀の中のシロアリは、約3000万年前のものだった。そしてその後も、琥珀の中の昆虫からDNAが抽出されたという報告は続き、ついには1億年前よりも古いDNAまで報告されるようになった。
だが、ペーボにはわかっていた。古代DNAを取り出すことは、とても難しい。化石の中にあるDNAのほとんどは、後の時代に混入したDNAなのだ。古代DNA専用のクリーンルームで細心の注意をはらって抽出しても、まだ不十分なのだ。さらに様々な工夫をして、混入しているDNAを除かなくてはならない。
しかし、数千万年前よりも古いDNAを報告している論文はみな、そういう古代DNAの抽出には必須の手続きを全くふんでいなかった。はっきり言って、いい加減な論文だらけだったのだ。そもそも、そんなに古いDNAが残っているはずはないのだ。そもそも、そんなに長いDNAが残っているはずもないのだ。しかし世界は、いい加減な論文が報告し続ける衝撃的な結果に沸いていた。そしてついに1994年には、恐竜のDNAが報告されることになる。8000万年前の恐竜のDNAだ。もちろんペーボは反論したが、なかなか熱狂は収まらなかった。
ネアンデルタール・レースで大逆転
このころのペーボの心中は、察するに余りある。ペーボは数万年前の古代DNAを抽出するにも大変な労力を使い、DNAの塩基配列も細かく検討して、やっとのことで正しいと思われる結果を導き出していた。だが多くのグループは、大した工夫もせずに1億年ぐらい前の古代DNAの抽出を試み、明らかに間違った結果を発表しては、世間の賞賛を浴びていたのだ。そんな風潮の中で、ペーボは疲れて反論をしなくなっていく。そして、たとえ世間の注目を浴びなくとも、自分の研究を地道にきちんとして、正しい結果を報告していこうと思うようになる。そう決意したペーボの姿を、私は慕わしく、また尊いものに思う。彼はどんどん人に追い越されながらも、正直にバスに並び続けたのだ。
しかしペーボの場合は、その後に大逆転がやってくる。ネアンデルタール人のゲノムの解読だ。絶滅した人類のゲノム解読レースはスリリングで、読んでいるだけで息苦しくなるほどだ。そしてこの分子古生物学における最大のレースで、ついにペーボは世界のトップに立つのである。そういう意味で、この本は読み物としてとても面白くできている。痛快な気分が味わえる。でも、もしもその大逆転がやってこなくても、地道に研究をするペーボの姿に共感するだけでも、この本を読む価値はあるだろう。
古代DNAの塩基配列が初めて報告されたのは、1984年である。クアッガというシマウマの仲間の剥製から取り出したDNAの塩基配列が決定されたのだ。一応この論文の発表をもって、古代DNA研究のスタートとみなしてよいだろう。そして、ペーボの失敗であるミイラの古代DNAの論文は、その翌年の1985年に発表されている。ペーボは古代DNAの研究を最も早く開始した研究者の一人なのだ。そして古代DNA研究の最大のヒットであるネアンデルタール人のゲノム解読を計画し主導した人物でもある。時期的にも、そしてその中心的な役割からも、ペーボの研究生活は、古代DNA研究の発展の歴史そのものなのだ。
ペーボの人生は、古代DNAの研究の面白さだけでなく、いかがわしさにも翻弄されてきた。しかし、台風一過で空が晴れ渡るように、古代DNA研究のいかがわしさも、過去のものとなりつつある。そのいかがわしさを取り除いた最大の功労者が、ペーボなのだ。どうやら彼の研究生活は、ハッピイエンドで終わりそうである。
1961年生まれ。理学博士。東京大学教養学部卒業後、民間企業を経て東京大学大学院理学系研究科へ。現職は東京大学大学院研究員、立教大学・成蹊大学・東京学芸大学非常勤講師。
著書に古代DNA研究についてわかりやすく解説し、講談社科学出版賞を受賞した『化石の分子生物学 生命進化の謎を解く』(講談社現代新書)、訳書にサイモン・コンウェイ=モリス『進化の運命』(講談社)がある。